届いたがそれは1973年のやつだ!

実家から箱が届いた。

川合健二マニュアル、うんこれが羅針盤になるはず。

さて、つぎは1966年のアサヒグラフを、とのオーダーだったけど……。

いつのかわからない。

どうもおかしい。本文に「ヒッピー」という言葉も出てくるし。
1966年であればまだヒッピーという言葉はたぶんアメリカでも一般的でないはず。だって、モントレー・ポップ・フェスティバルよりも前なんだもの。

発行年を見ると1973年になっている。
違うじゃん、1973年は、もう1966年の川合邸に影響受けた連中は走り出してるんですよ。すでにインスパイア系の建物建ってるもん。


自分の推論は、
①1966年にアサヒグラフに掲載された川合健二さんの家が、愛知県三河地域を中心に、ごく一部の層に多大なインパクトを与えていて、一種「青春梁山泊」になったいたこと。
②そして、それは面白いことにサマー・オブ・ラブとほぼ同時期に、かつ特に関係なく発生したんじゃないかということ。
です。
実際、ホール・アース・カタログと比べても早くって、先行的に影響を与えていそうなのがバックミンスター・フラーくらいしか思いつかない。

じゃあ、なんで地域同時多発的に、国も違えば世代も違うのに、なんでこういうことなっているのかっていうと、これはやっぱ戦争体験と冷戦下における核の恐怖というのがベースとしてどっかり横たわっていると思う。

その辺を解き明かしたいなと考えています。

とりあえず、川合健二さん家が載ったのは、どうやら1966.2.11号のアサヒグラフだというわかったので、今日はヤフオクでポチってみました。
「日本の古本屋」では見つからなかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?