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びるじじこ

生きていくために、
誰もやっていないこと、誰にもできないことをするんじゃなくて、(誰にでもできることだとしても)誰もやらないことをする

ぼくの仕事は誰にでもできる(大卒じゃなくてもできる)と言われることがあるけれど、じゃあ誰でもやっているのかと考えると、あんまりやっている人がいないじゃないか。
都市部に出ればもう少しいるのかもしれないけれど、いまのところまわりで同年代の職人を見たことがない。

前に吾妻川で黄昏ていたらインドネシアからの技能実習生2人組と友達になった。1人は土木で来ていて、もう1人は介護。農家の手伝いに行っても実習生に出会う。みんな、リモートではできない仕事。
建設業は、この地域ではまだおじさんたちが頑張ってくれていて、あまり海外からの実習生は見かけない。でもあと10年もしたらおじさんたちみんな引退せざるを得ないだろうから、そうしたら実習生に頼るしかないだろう。
外国人に仕事を取られるとか言う人がいるけれど、そんなことはなくて、日本人にも仕事はたくさんある。でも多くの日本人はそういう仕事をやりたがらなくて、それを海外の人に頼っているのだと感じる。

革新的なところにばかり目が行くけれど、生きていくために本当にエッセンシャルな部分をよく見て、人があまりやりたがらなくてもやっていけば、生きていけるという安心感はあると思うのだけれど。
確かに高給ではないかもしれないけれど、人が生きていく限り必要になる仕事は絶対になくならない。一番最前線(現場)の仕事は、ロボットにもなかなか代われるものではないと思う。
海外の友達に、配管工をしていると言うと、良い(稼げる)仕事だねと言われる。進学率が上がってホワイトカラーの人口が増えた分、技術者が減って逆に所得が上がっているらしい。将来高給になるからこの仕事を安定していると思っているわけではないけれど、本当に誰もがやらなくなれば、そういう状況にもなるはずだ(すでにそうなっても良いはずだけれど、安価な外国の労働力に頼ろうとしている)。

仕事に困ったら、だれにでもできる仕事はたくさん残っている。過酷なイメージがついているのだろうけれど、ぼくは楽しく働かせてもらっている、そういう事実がある。状況次第、相性次第で、この仕事だって楽しめるものだ。
誰にでもできる仕事だと言うなら、ほんとうに誰もが楽しくやりがいを持って働ける現場を作っていけるようになりたいなと思う。
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