ネットの中の個人 (デジタルネイティブ世代の思うこと)

私は子どもの頃から曲がりなりにもインターネットが存在した、デジタルネイティブ世代である。
小学生あたりから子ども向けのyahoo!やgooを利用し、中学・高校ではブログをやってみたり、mixiにこそ手を出さなかったものの、大学に入ってから本格的にツイッターやFacebookなどのSNSを使うようになり、LINEがいつしか連絡手段となり、noteやinstagramなども徐々に使うようになってきたという、私とインターネットの関わりはそういう変遷をたどっている。

ブログが流行していたのは2007年あたりだろうか。
そのころのブログは匿名が前提とされており、私もブログを作るときは匿名だった。そういえばそのころ、2ちゃんねるなどの掲示板も流行していた。掲示板にはあまり手を出さなかったので詳しいことはわからない。が、掲示板とブログというコミュニティにおいては、「匿名」がある種の原則であるという空気があったのは間違いない。

そうしたインターネット利用歴を経て、大学生になる。実名登録を基本とするFacebookを例外として、ツイッターはブログ時代の「匿名」を踏襲し、匿名でやっていた。唯一実名のFacebookは記事の公開範囲を友達に限り、クローズドに使うようにした。LINEはあくまでも連絡手段であるため、実名で登録した。
このようなSNSの使い方をするのは、今の20代後半〜40代前半の世代に多く見受けられるような気がしている。

ところが、同世代である大学生〜20代前半のSNS使用法を見てみると、ツイッターやインスタグラムでも実名登録をしている人が目立つ。
上の世代よりも、実名登録への抵抗がないという傾向があるような気がしている。

実名でSNSを使うことに抵抗のない世代は、おそらく高校〜大学にかけて初めてインターネットやSNSに触れた人たちなのだろう。それか、インターネットに触るようになったときすでにSNSがかなり発達していた、私よりもひと回り若い世代なのだろう。

インターネットの関わりがSNSから始まる人たちは、インターネットという社会において自分という個人があるのが当たり前であるかのごとく、実名のアカウントを作る。ブログからインターネットとの関わりがスタートした私には、当初その感覚が理解できなかった。

しかし実名でSNSを使う彼らをよく観察すると、彼らが築いているSNS内の社会は、現実の社会の延長であるということに気づく。彼らが実名のSNSでつながっている人たちは、現実の友人で、ネット上だけのつながりの人とつながっているケースはどうやら少ないらしい。

匿名で「いつでもいなくなれる私」としてネット上だけのつながりを「いつでもいなくなれる不特定多数の彼ら」と築いていたブログ時代と今とでは違うのだなぁということを実感する。私も、ツイッターこそ匿名のアカウントを持っているが、つながっているのは大半がリアルの友人である(ツイッターで知り合った人も多いけれど)。

インターネットの世界は流れがあまりにも早すぎる。実名か匿名かにこだわる文章をつらつらと書きながらも、ブログ時代が懐かしかったなぁと思いをはせる。

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