シーソーと芽生え

「春化処理ってのは厳密には間違ってるよ、低温処理のほうがいいかも」
植物学研究室の先輩が私の論文の原稿に赤字で書き込む。
短歌連作「シーソーと芽生え」を作っている今、私は大学院生活の集大成である修士卒業論文を書いている。私が所属している研究室は、シロイヌナズナという植物について研究している。
この卒業論文に、春歌処理という言葉を入れたかったのだが、先輩の添削でバッサリ切られてしまった。春化処理とは、シロイヌナズナの種子を冷蔵庫に2晩入れて、その後室温に戻すことで、疑似的な春にし、ナズナを一斉に芽吹かせる処理のことを言う。
私は、この春化処理という言葉が好きだ。春に芽吹き、花を咲かせるナズナの喜びを上手く表現できている気がする。
一方、私は春が苦手だ。
まず、三寒四温という天気。暖かくなったり寒くなったりして、私の筋肉、血管、毛穴が緩んだり縮んだりして、どうにも不安定だ。
その上に、春の匂いを嗅ぐと、今まで23回分の春の記憶がどっと流れ込んでくる。中学でオーケストラ部の先輩とお別れして泣いたこと。高校の卒業式の日、スタバのさくら味の新作をクラスメイトと飲んだら、ちょっとしょっぱくて、涙の味に似てる、と思ったこと。
春なんて、嫌な記憶ばかりだ。
ただでさえ、不安定な三寒四温の体の上に、別れた記憶ばかりが重くのしかかる。春は、幼いとき父と乗ったシーソーに似ている、と思う。不安定でグラグラした遊具の上に、重たい父が乗ると、反対側の私は全く動けない。
春はこんな状態の私だから、実験室で芽吹いているナズナたちには感心してしまう。私が23回、春という名のシーソーに泣きながら乗る。そのずっとずっと前から、ナズナたちは、春に芽吹くことを繰り返してきた。
でも、本当にナズナは春を喜べているのだろうか。ナズナは、アブラナ科に属する。大根、かぶ、キャベツ、菜の花、ブロッコリー。アブラナ科の野菜は、春に食べると、なんだか苦い気がする。アブラナ科に限らなくても、ゼンマイ、ふき、タラの芽、春に旬を迎える野菜は、みんな苦い。
きっと、三寒四温な春に芽生えるということは、喜びであり、苦さであるに違いない。
私は、植物学研究室で、春に芽生えるナズナの喜びと苦さを科学してきた。そしてこの春、私はナズナの研究を卒業する。社会人になると同時に、学生の私の『人生の春』も終わってしまうような気がする。
今回の別れは、いつになく、しょっぱい。桜味のスタバよりずっとしょっぱい。
それでも、芽生えなければならない。このシーソーがどれだけ傾いていても、地面を蹴って、上がれるはず。
春は、しょっぱくて、苦い、芽生えの季節である。


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