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tomodachiになりたい

先日入った飲食店でこんな案内を見た。

「LINE友だち登録でドリンク一杯無料!」

お馴染みのぼっち気質から今日も今日とてソロ入店、そして完全にガードが下がった状態で視界に飛び込んできたこの「友だち」ないし「友達」という文字。

僕は注文した料理が出てくるまでの待ち時間、ふと目にしたこの言葉の意味をスマホを置いてしばし考えてしまった。

「ネットで多少の個人情報を提供して、しばしば宣伝のDMを受け取ってくれる人」という関係を「友達」と呼ぶのはあまりに自己都合すぎないか?と思うけど、さりとて上記の案内に『ネットで多少の個人情報を提供して、しばしば宣伝のDMを受け取ってくれる人はドリンク一杯無料!』とバカ正直に書かれていたら絶対相手にしないと思う。

そう思うと、何をもって、どれだけの距離感で、どれほどの関係性を「友達」と呼ぶかは当然ながら人によって違う。

なのでドリンク一杯分の下心を隠さず、個人情報とLINE登録を差し出して擦り寄るのも、考えようによってはそれはそれで友達なのだろうと思う。

まぁ僕は登録しなかったけど。

可愛いストーカー

小学生の頃、同級生から軽いストーカー行為を受けていた。

といっても相手は同性の男の子だし、もちろん夜の帰り道に後を付けられて…みたいなガチなやつではなく、あくまで自分がノリ気じゃない時も強引に遊びの約束を取り付けてきたり、しつこいくらい家に押し掛けてきたり…といった可愛いヤツである(ストーカーに可愛い/可愛くないの区分があるかは分からないけれど)

なお、件の彼は姉を持つ弟であり、対する自分には妹がいた。

そのため、両親および精神的成熟の早い姉からの愛をたっぷり受けて育った寂しがり屋の彼と、一人っ子という絶対的地位を突如現れた妹に破壊され、両親の視線ごと一気に奪い去られた勢いから、一転して一人遊びが上手になった僕の性格は完全に真逆で、僕が「とにかく誰かと一緒にいたい人」と「とにかく一人になりたい人」の組み合わせが信じられない悲劇を生むと悟ったのはこの頃だった。

そのくせ当時の彼はなぜか僕のことをいたく気に入っていたようで、その自分が愛されていることに何の疑いも持たない無垢な性格のまま、僕への無邪気な粘着の日々は続いた。

僕が一人になりたいときも気づくとそばに寄って来たし、僕が他の子と2人で遊びたい時も間に割って入って来たし、ある時は家に遊びに来た別の子がピンポンを鳴らしたのでドアを開けると、その子の背後に立っていたこともあった。

いくら子供のすることとはいえ、当時小学校の中~高学年の僕には軽くホラーだった。

そんな彼からの粘着は数年続き、僕も僕で真っ向から切り離すこともできないまま曖昧な態度を取り続けた。

そして彼にはどこかメンヘラ彼女気質なところがあり「ねぇヘイゴが一番仲いい友達って誰?」と、あきらかに自分と言って欲しそうに聞いてくることもあった。正直この辺は思い出すだけでしんどい。

で、いよいよそんな彼への鬱陶しさが爆発した小学校卒業間近、とうとうこちらから突き放すような態度を取ったことがあった。

その後の彼のリアクションはだいたい予想通りの逆ギレで、日々理由もなくやたら突っかかってきては『なんで怒ってるか分かる?』と面倒くさい彼女みたいなことを言ってくる始末だった。

この辺の経験から僕は「人間には互いに分かり合えないタイプの人種が存在する」という事に気づき、争ったり余計なカロリーを消費することなく、できるだけ無駄な折衝を避ける方向に人格形成が進んだ。

ちなみに件の彼からその言葉を聞いたとき(あ、根本的にムリだ)と思い、その後は彼の欲しかったであろう言葉を並べて事実上の「仲直り」を成立させた。

そして小学校卒業間近、僕らの学区から選択できたA中学校とB中学校のうちどちらに行く?と彼に聞かれたので「A中学校に行くよ!」と答え、それを受けた彼が「じゃあ俺もA中学校に行く!」と満面の笑みで言ったのを確認したのち、僕は誰にも言わずに進学先をB中学校へ変更した。

こうして僕の義務教育の第一節は「軽ストーカーを撒く」という激動の事件で賑わい、進学直後は「別の中学になってもまた遊ぼうな!」と息巻いていた彼だったが、中学内での友人関係が充実してきたのか、ほどなくして連絡も来なくなった。

先述の通りこの経験は僕の今の性格にも多大な影響を及ぼしていて、何かとソロ行動のがラクだったり、大人数での談笑が苦手だったり、(合わないな…)と思った相手にすぐ心を閉ざす内向的な性格の種はこの一連の出来事だと強く思っている。

ただそうして粘着された経験があったからこそ、幼いころから一人の時間の貴重さを理解できたり、一人遊びや創作的な趣味に没頭できるようになったりと、悪い事ばかりではなかった。

なので特に彼のことを恨んではいないし、風の噂でA中学校に進んでからも周囲に彼が煙たがられていたと聞いた時は「自分が面倒だと感じる奴はたいてい他の人から見ても面倒なんだなぁ」という普遍的なことに気付けた。

tomodachiから始めましょう

そんな経緯から内向き…ないし、ソロ行動向きな性格になったことでハマれた趣味も数多くあり、直近のその最たる例が「大喜利」だと思っている。

この「大喜利」、人によって捉え方が違うので一口には言えないけど、僕は「個人プレーであると同時にチームプレーでもある」ところが面白いなと思う。

それは回答者の答えやすさに配慮してお題を作る所から始まり、いざ回答を出した際の周囲のリアクションや補足、ツッコミ…そうした反応を通して答えを出した人を決して一人にしない、という分かりづらい優しさが根底にある部分が好きだなと思う。

それでいて大喜利の回答は「人の予想を裏切りつつ、適度に共感も得られる範囲」という”近すぎず遠すぎず“な距離感が好ましいので、「自分にとっての面白さ」と「他人にとっての面白さ」の両方を想像して脳内でバランスを取る必要があり、自分の我を出し過ぎてもダメだし、逆に他人に自分を寄せ過ぎてもダメ…という所が面白い。

そんな大喜利に密かに(?)ハマり続けてきた僕なので、ある日自ら「特技は大喜利です」と公言してデビューし、誰に強制されるでもなく自主的にTikTokで大喜利動画を毎日上げるアイドルが現れた時は驚いた。

それもお題の考案から回答まで全て自分で行い、撮影の都合からフリップの回答はすべて鏡文字で書くという分かりづらい徹底ぶりにも頭が下がった。

そんな一部の人以外には分かりづらく、伝わりづらい情熱を武器に最後までワンマンライブの宣伝を頑張っていたnuanceの城戸海月さんに言葉にしがたい好感を覚えた。

@mitsuki_nuance

10/6恵比寿リキッドルームにてNUANCEワンマンー❕ぜひお越しください❕#ベルメイク #大喜利 #アイドル #04

♬ オリジナル楽曲 - 肘当ては爆発するもの - 肘当ては爆発するもの

なお平日開催ということもあり当日自分は若干遅れて会場に入ったのだけど、グループの強味である多彩なギミックを冷静に客観視しているからか、逆に今回のワンマンはぶっ続けで曲数を届けるストロングスタイルな一面を存分に魅せる内容で終始引き込まれた。

そうした構成のため、8月に加入したばかりの城戸さんがこの2カ月で軽く見積もっても20曲以上を覚えたことにただ素直に感心した。

思うにドルヲタは無意識に「このグループでは誰推しか」という物差しで互いのスタンスを測りたがるもので、そうした「好きか/好きじゃないか」みたいな大雑把な尺度がたまに息苦しくなる時もある。

だったらいっそ「友達になりたい」ぐらいが卑屈でも尊大でもなくて丁度いいなと思うけど、漢字で「友達」は圧があって堅いし、「友だち」だとなんかLINE登録を迫って来そうなので、ここは読み手にニュアンスを委ねるつもりで「tomodachiになりたい」ぐらいが収まりが良い。

以上、僕と同じく大喜利が好きで、ワンマンで輝いていたnuanceの城戸さんとtomodachiになりたいヲタクの脳内よりお届けしました。


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