門限トラウマ
17:01
12月の今日の日没は16:47。
17時をまわれば外はもう薄暗い。
「17時には家に帰れるよう、帰っておいで」そう伝え、送り出した。
17:01娘の姿はない。
スマホを見ると、ショートメッセージに「◯◯公園にむかえにきて」とメッセージが来ていた。
友だちが家の近くまで送ってくれると言っていたが、予定が変わったようだ。
暗くなりかけた小さな公園に少女が二人ポツンと座っていた。
「あの、私、お米炊かないといけないので、こだぬきちゃん送って行けなくて」という。幼いのにご苦労様。
こちらこそ、勝手に送ってもらう段取りにしていて申し訳なし。お友達を家に送り届けて、暗くなった道を娘と自転車で帰る。
家路に急ぐ人の間を縫って自転車を漕ぐ。車のヘッドライトが、交差点で白く光る。もう立派な夜道だ。
「あの頃、なんであんなに怒られたんだろう」
遠い遠い記憶が蘇る。
小学生のあの日、遊びに夢中になって、17時が過ぎていた。恐る恐るドアに手をかけると、鍵がかかっている。
インターフォンを鳴らして、母に許しを乞うが、母の怒りは収まらない。
しばらくして、もう一度インターフォンを鳴らす。次は祖母が出たが、「お母さんを怒らせたらアカン」と、まだドアを開けてもらえない。
その後どうやって許されたのか忘れてしまった。ただ、「恐怖」だけが身体に残った。
それから思春期を経て、大学生になって、就職してと、いい大人になって「門限」はなくなったが、相変わらず外泊については、厳しかった。まあ、娘を持つ親ならそれもそうかと思う。が、
いくつなっても、夜遅く帰ることには後ろめたさがあったし、もう怒られる年でなくなっても、いつも、「母は怒っているかもしれない」と思うと、心は疼き、憂鬱になった。
それが解消されたのは、たぬきち自身が結婚してから。ようやく母の「門限」から解放された。
娘こだぬきの門限が遅れたことに、注意をしようか?どうしようか。少し遅れたくらいで目くじら立てることもないが、約束は約束だし。
そんなことを考えていたら家に着いた。結局娘に門限のことは注意しなかった。
帰宅した娘は何事もなかったように、温かい部屋でタブレットを見ている。
なんであんなに母は怒ったんだろう。鍵をかけて家から締め出すほど怒るようなことだったか。
他に原因があったのか、当時のたぬきちが常習的に約束を破り、堪忍袋の緒が切れた結果だったかもしれない。
あれだけ強烈に怒られた甲斐があってか、「門限」はたぬきちにとって恐怖となり、しっかりトラウマとなった。
「あんなに怒ることじゃなかった」
今日、大人になったたぬきちは、少女たぬきちの門限遅れに、そう結論づけた。
もう、母も昔の母ではない。
もう、たぬきちも昔のたぬきちではない。
私は、私のやり方で、自分と家族と向き合っていく。今日、書いたことで、また一つ感情が手離れるはず。
さようなら。門限トラウマ。