恋愛感情の無い私がBLにハマった理由


注意書きになりますが、私は恋愛感情は今のところ有りません。
今後も無いだろうとは思いますが、一応書かせてください。


プロローグ

私は基本的にドラマや映画、小説をジャンル関係なく分け隔てなく閲覧しているつもりです。
(今回はドラマを中心に語らせてください。)

特にサスペンスやミステリー、ヒューマンものを好んでいますが、苦手なのは恋愛ものです。観ないわけではありませんが、ものすごくハマる様な恋愛ものには出会っていませんでした。


前記した通り恋愛感情が無い者なので、恋愛の不合理さや恋愛感情特有の思考の揺らぎ、主人公と相手以外の主人公や(主人公が好きな)相手を好きな方々(端的に言うと当て馬)に悲しくなったり、主人公が無意識的に好きな人が居るのにも関わらず、その当て馬となる方々に気を持たせる事をする為に傷つける行為をした後に、主人公や相手がハッピーエンドを迎えられたとしてもなかなか素直に祝えなかったりと、アセクシャル(恋愛感情等無い人)関係なく捻くれているだけかもしれませんが、そう思ってしまいますし、主人公や相手が分かると全部同じ終わり方に落ちる予感がして、先々の展開を楽しめなくなっていました。(あとは、性別の偏見が含まれていると、観ていて嫌になってしまったりと…)

私が観てきた大半の恋愛ものはゴールデンタイムにやっている1シーズン限定ドラマの事です。
王道が手っ取り早く、尚且つ王道を狙う事によって大体の人に受け入れられ観ていただける作品にさせる、安定思考で異性愛者が多いと思われるこのご時世的には良い考えだと思っています。
でもずっと観ている側としてはつまらなくなっているのも事実です。

少し話が戻り逸れますが、自分は恋愛というものを理解できている自信は全く有りません。
その為恋愛要素が少し絡む国語の文章問題は間違えます。解説を読んでも解りません。音楽が好きでも好きなアーティストの恋愛曲は共感できない故にあまり好きではなかったりもします。
ですが、人が人を、物を、存在を好きになるのは分かります。異性愛者も同性愛者も対物性愛者も私にとっては、ある特定のモノに恋愛感情を抱く人だと理解しています。マイノリティーであっても、そこに恋愛感情の差は無いと思っています。

遅れましたが、本題に入ります。


なぜ恋愛感情の無い私がBLにハマったのか


恋愛ものを好まず、恋愛感情も無い私がなぜここまで、縁の無いだろうと思っていた恋愛もの(記事を短くさせる為にBLに一くくりにさせてください。)にハマっているのか。
大まかにまとめさせて頂きます。
最後には今私がハマっている、この記事を書かせた影響力のあるBL作品のご紹介と感想等を述べさせていただきます。

固定概念を剥離させる

先程ちらっと言った様に、恋愛ドラマには多少の偏見はあります。きっと私にもあり今も述べているかと思います。

私が観たBL作品内では誰も同性愛を悔いて居ませんでした。異性愛を描くドラマと同様にすんなりと好きになり、迷路の様な恋愛に入っていくのです。BLをあまり観たことがなかった私には正直、少し戸惑いはあるのではないかと想像していたので、本物の愛を感じられたのが良かったです。

あと基本的にシスジェンダー(男性の体で生まれ男性として生きている方)の恋愛ものが多かったのも意外で、あとむやみやたらと(恋愛関係の)マイノリティーの方々を出さなかったのは、流行に乗ろうと安易な考えになっていないのが良かったです。(以前恋愛ドラマでマイノリティーの役を無理に出して、その意味を人を理解していなかったものがあったので。)

純愛が多い

同じ様な展開で同じ様な関係性が多くなると視聴者は飽きていくものです。
恋愛ものも昔は純愛が多かったと思います。どんどんバラエティーが欲しくなっていき、現在は三角四角関係や不倫、ネット恋愛やマッチングアプリ等の話題も入れて来ています。
でも確立した二人はそれらに阻んで揉まれ引き裂かれたりくっついたりと動きを現します。
その二人が確立している時点で、二人以外のどんな人達も脇役で始まり脇役で終わる感じが有ります。混沌に観させている様で整っている。そんな世界で存在する二人の人間性を視聴者に良くも悪くも植付けさせる事になります。

純愛である方が良い理由は、その世界でゆらゆらと動いてしまう愛は人間性が疑われる事があり、下手したら視聴者に好かれない二人になります。
主人公達を視聴者が嫌いになったら視聴率も続編希望も減るので、好かれる事が大前提になります。そうなると混沌とした世界で確立した二人か、二人の仲から始まる恋愛か、の二通りの純愛になります。
純愛でも他人を傷つけたり犠牲にしたりしたら反感は買ってしまいますので、後者が安定して好かれやすいです。

特殊な環境下

私が観ていたBLの多くは特殊な環境下で恋が始まった事です。
小説や漫画のSFは作者が言葉と画で読者を惹き込むので表現しやすく感情移入もしやすいのですが、ドラマは現実の範囲内で現在してる俳優さんを起用したり、重力やCGを使ったりと様々な制限があります。そんな中で自然なストーリーに仕上げなければならず、原作本もあるとクオリティーと原作本の良さ、映像ならではのものを作り込むので、結構な重圧の中の挑戦になります。
観てきた作品でSFという異世界なストーリーを、現実の世界の背景と人物を使い、まるでこの世界のどこかでこう本当に起こっているかの様に落とし込む事がとても上手かったです。

原作に忠実で敬意を感じる

先ほども述べたように原作本があると、原作本からのファンが一定数存在している(そのお蔭のドラマ化でもある)のでその方々を満足させられるものでなくてはならないけれど、ドラマから入る人に受け入れやすく観やすく仕上げなければなりませんし、原作本の良さをちゃんと抽出して1時間や30分内に納めないといけないという縛りもできます。原作本があってのドラマになるので、蔑ろにしてしまったら興行収入も視聴率も上がりません。演者やスタッフにとっても原作者にとっても痛手になる可能性もあるので、結構な重みのリスクが伴います。

私はどの作品もまだ原作を読めていない故に信憑性に欠けますが、今まで観ていたBLは、ドラマ視聴者だけの私でも判る程とても丁寧に作られていて原作をストーリーや思考を大切にされているのではないかなと、画面から敬意が染み込まれている作品が多かったです。(SNSでも批判的な声はあまり見かけませんでした。)

漫画なら作者が流れる映像を画として描かれているので、現実に寄せつつ画から流れる映像を再現しなければなりません。小説なら文章内の表現が遠回しだったり間接的だったりとなっているので、スタッフさんと原作者さんとの解釈を紡ぎ合わせて表現しなくてはなりません。このどちらも上手く合わせられて表現させられた作品が話題になったり新作公開に踏み切ったりします。

なので原作者さんも監督を始めとするスタッフさんや演者さんも、一致した解釈やほど好い余白を残しているので、観ていて爽快感あるものだったり物語の真意や謎に促してくれたりと、観てる側としてはストーリーだけでない楽しみ方もあるのが虜にさせてくれるのではないかと思います。



私に影響を与えたBL作品

私の視聴時の順番で書きます。殆ど放送時期の順番と同じだと思います。

きのう何食べた?(テレビ東京)

弁護士・史郎と美容師・賢二の同棲生活と料理を優しく裏技をちょくちょく挟んできますし、お二人がベテラン俳優さんなので結構アドリブも加えられていて手軽に面白く観れます。
BL作品にあまり触れていなかった当時の私としては、恋愛面を全面的にプッシュしている訳ではなく、その中の誰もが抱く葛藤や人生の岐路、料理という作品を共有したり、指標にしたりととても観やすく温かい物語でした。
正反対な二人で、史郎はゲイセクシャル(自認してる男性で男性を好きな人)だという事を隠したい人で、賢二はゲイセクシャルをオープンで会社内でも話す等の違いが、異性愛ではあまり観られない要素なので新鮮でした。
BLに少し興味を持っているが何を見れば良いのかとか、BLは全て至近距離感覚の様な作品ばかりなのか?と疑問に思う方に、優しく少しの隔たりを埋める事や橋として機能してくれる作品だと思います。

この作品はよしながふみさん原作の漫画本から、ドラマシーズン1(全12話)、スペシャルドラマ「きのう何食べた?正月スペシャル2020」、映画の『劇場版「きのう何食べた?」』と続いて放送・公開されました。


30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい(テレビ東京)

題名からSFチックなのがお分かりかと思います。
魔法使い(人に触れるとその人の気持ちが読める)になった安達が、同期の自分より優秀な黒沢が自分に好意を抱いていた事を知って始まるストーリーです。
クールで誰にでも優しくなんでも熟せる黒沢が、なぜ自分に好意を抱いてくれるのかという疑問や、心の声が聞こえてしまう故に黒沢の安達に対する気持ちがダダ漏れになっているのでギャップもありますし、以前の安達は他の女子社員さんに密かに好意を抱いていましたが黒沢の気持ちに気付いてから真摯に向き合う姿勢に純粋さを感じるので、誰もが観やすいBLなのではないかと思います。

この作品は豊田悠さん原作の漫画本から、ドラマシーズン1(全12話)、続いて映画の「チェリまほ THE MOVIE ~30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい~」が公開されました。


永遠の昨日(MBS)

こちらもSFで、初めて観させて頂いた時は、SFのこの主人公・満の友達・浩一の“生きているのに死んでいる身体”をどうやって物語を終わりに迎えるのかと疑問に思い視聴し始めました。徐々に進む友達関係から、付き合っていると言えるか絶妙な位置関係で育まれた二人の愛は正に“永遠”なのかと。彼らを観てると多少の刺激を含蓄した癒しの気持ちが湧き出ました。淡い青春でした。
高校生ならではの刺激を求める時とあまり素を見せられない時の塩梅は丁度良く、青春群像劇だけでない情や先生との接する時もあるのでどの立場の人でも置いていかない様な印象を持ちました。
恋愛も二人の中のマイペースに進んでいたのが良かったです。

この作品は榎田尤利さん原作の小説から、1シーズン(全8話)限定ドラマで放送され完結しました。MBS他で4月13日より毎週木曜日の深夜1時29分から「永遠の昨日 完全版」が放送されます。(内容はオリジナル版1シーズンの内容と未公開シーンとモノローグが含まれています。)


美しい彼(MBS)

特にこの作品は私に最大の影響を与えてきました。平良(信者)にとっての清居(王・キング)の様な。
先に謝っときます。この作品部分は熱く多く語りすぎますのでご了承を。

吃音症の高校生の平良は春の自己紹介時に症状が出て落ち込む瞬間、美しい彼と言われる清居が遅れて入って来て、平良は救われると同時に好意に似た崇拝感情を抱くというお話です。

まず、本当に映像が綺麗なんです。文字で伝える事は私にはまだ無理かもしれません。宣材写真というかドラマイメージ写真というか…を見てくだされば分かりますが、このドラマは寒色系(特に青)を多く使っていました。趣味の写真を通じて自分の世界を写し出す平良が見えているものを見せている様な演出でした。とにかくどこを切り取っても絵になる部分が多かったです。あまりベッドシーン?は好きではないのですが、この作品はカメラワークで誘導される趣がある景色と官能的な雰囲気の二人が無上に綺麗で、美しすぎて直視できない空間と同じ気持ちにさせる世界になっていました。
シーズン1のストーリーはシーズン前半で平良の見える世界から、後半に平良が感じる完璧な清居の世界に転回する時、伏線回収をされた感覚で爽快感あったのと同時に、彼らの関係が尚更愛おしく感じました。

ドラマのシーズン2では八木(清居役)さんの声が少し高くなっていて、演技力も表現力も人間心理が上手く表現されていた事に驚きました。平良の鈍感さも芽生え拍車がかかっています。萩原(平良役)さんはよく主人公の目立つ存在になるものや、地味で冷たそうなのに人間味のある優しい役をされていて安定した安心感があります。
そして、高校生時代に清居に使い走りされた平良だったのに、シーズン2では平良に振り回される清居に見える世界が変わり、一途で崇拝している平良にとって清居は不動で高貴な存在、清居を崇拝対象と見ている為にどこかお互い視線が合わず、希望通りの動きをしない平良に清居は不満と嫉妬を得てしまう…というのがシーズン2の流れです。

この作品は凪良ゆうさん原作の小説から、ドラマシーズン1(全6話)に続いて、既にシーズン2(全4話)が無事終わり、3月10日~16日まで『映画「美しい彼」~special edit version~』が一週間限定()で全国(一部除く)TOHOシネマズで公開されました。内容は未公開映像とシーズン1の本編映像を再編集したものです。そして4月7日から『映画「美しい彼」~eternal~』が公開されました。内容は新作映像でシーズン2の後のもう少し成長した二人が観れます。

※一部TOHOシネマズ劇場では期間が延長されています。


【番外編】テレビ東京とMBS

テレ東とMBSしかないとお思いのあなた。正解です。あまり観れていないので申し訳ございません。

ここで個人的にテレ東とMBSのBL作品の違いについて軽く語りたいと思います。


テレ東は万人受けしやすいBLが多い特徴があります。今回紹介したテレ東2作品はどちらも漫画原作です。なので漫画由来の、観やすくコメディーで和やかになるような比較的万人受けしやすく家族で観ても安心でき、最後は癒される感覚をあるのではないかと思います。

MBSは良質な恋愛ものが多いと感じています。何度か観た作品で文学的哲学的、ある種の官能的なものが多い印象でした。今回紹介したMBS2作品はどちらも小説なので、文学的要素を強く感じるのかと思います。演出やセットも誰もが思い描きやすい普遍的なものでありながら、小説由来である主人公達の言葉選びのセンスを感じられます。(BLではないものでは「少年のアビス(漫画)」や「ホームルーム(漫画)」等(ホームルームはものすごく好きでした。))
今回紹介したMBSのBLは純文学を連想しつつ、恋愛の歪みや哲学的に考える所があり、人々のマイノリティー部分を強調してそれに寄り添う人物も居るのが特徴的でした。(ちなみに「少年のアビス」と「ホームルーム」にも同様のものを感じ取れました。)

気軽にワイワイ観たい方はテレ東、哲学的で人間の奥深さを映像で垣間見たい方はMBSをオススメします。


エピローグ

恋愛感情というものは人間だけが持ち合わせるものだと感じてます。それを持ち合わせていない自分には、BL含めた恋愛物語はとてつもなく生きづらそうで絶対に生きてみたくない世界でもあり、高貴で手に入れられない絶対的価値のある宝石の様な世界でもあると感じています。

私は恋愛感情が無いですが、人を愛せます。この場を借りてBLを熱弁してる時点でお分かりのように、結構色々なジャンルのヲタクをしています。
恋愛感情が無いってだけで冷淡な人という訳でも無いと思っていますが、恋愛感情が理解できないとなると多少冷淡な部分が垣間見えると思います。

世界が恋愛によって、色褪せて見える事も色鮮やかに見える事もありません。誰かに一目惚れをしてスローモーションになる事もありません。好きな人を好きでいる自分が好きになる事も無いです。推しが居ても変わらず普通です。好きな人とならどこまでも行けて無敵になれる感じも無いです。今までムカつく嫌いなアイツが、好きで好きで仕方なくなり頭がその人でいっぱいになる事も多分これからも一生無いでしょう。

ですが、皆さんと変わらず人間です。なので異性愛がどうとか同性愛がどうとか人間の皮膚や眼の色がどうとか、何を言ったって結局人間は人間ですし、愛す事も嫌いになる事も出来てしまうのです。一緒くたにするのは容易で、疲れて頭を使いたくない時はそうしたくなるのも分かります。ですが、プロローグで言った通り、恋愛感情持ってる時点でアセクシャルの私にとっては何も変わらなく見えます。対象が違うだけで。アセクシャルも恋愛感情ある方も有無の違いなだけで変わらないです。そう思っています。

辛そうに見える恋愛も唯一羨ましいと思える所があります。なんだか華やかに見える所です。恋愛話をする人はどうしてか推しを語るのとは違う雰囲気を醸し出します。みんな恋愛感情というものを持っている時、尚更眩しく見えます。きっと楽しさも違うんだろうなって感じて、少々寂しさを引き替えに持っています。

昨今、精神的観点が凄まじく発達した故に、今までの数字的規律や法律・憲法では簡単に区別したり排除したりできなくなりました。きっとこれからも精神の発展が科学と同等に栄えていくでしょう。どこまでが差別でどこまでが個々を護れるか、境界線がとても危うく希薄に感じられます。同性婚で少子化が加速してしまうのではないかと懸念する声や、少子化が起きるのは恋愛スキルが身に着けられてないからと想うのとか、人々は結局主観でしか世界を人を見れない訳ですから、こういう考えが湧くのも理解はできます。

ですが、BLにハマった者であり、恋愛感情特有の煌びやかさを得ていない者としても、結婚という契約を羨ましく思っても進めない人が一定数居ると想うと悲しく感じます。当たり前を見てきて、当たり前を自分は得られないと確信する時、自分も落胆して人生をやり直したくなりました。きっと結婚したいと思える、一生添い遂げたいと思える人と出会えたら、やり直しはしたくないと思いますが、酷く落胆はするでしょう。

これは私の勝手な願いです。いつかそういう方が好きな方と結婚という契約を結べる世界になれば良いなって思います。上記したBLを観てきて、「お互いの親と接したい」とか「結婚はできないけど同棲はしてる」とか彼らの想いを知った時、酷く辛く感じました。もしかしたら片想いより辛いのかもしれません。彼らの世界も美しく素敵な物語として生き続けて欲しいです。


長々と失礼しました。最後まで読んでくださる人は居ないと思いますが、私が胸に秘めて居た事をこの場で語れた事を幸せに思います。


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