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伝統と文化を綴る日記(大峰本宮 天河大辨財天社編)

今回はとても感銘を受けた神社をご紹介します。

奈良県天河村に天河大辨財天、通称天河神社という神社があります。存在を知ってから是非一度行ってみたいと思っていた神社です。

実際に行った模様はこちらでご紹介してますので、今回は神社の歴史について書いていきたいと思います。

すいません。こういうの調べるの好きなんです。良かったらお付き合いください。

天河大辨財天社 (天河神社) の魅力と神秘

天河神社は、日本有数のパワースポットとして知られています。弁財天を主祭神とし、芸能や音楽の神としても名高いこの神社は、古代から芸能関係者や信仰者に崇拝されてきました。

また神様に呼ばれないと行くことの出来ない神社と言われていることも理由の一つですが地理的に日本の三大霊場である高野、吉野、熊野を結んだ三角形の中心に位置している事も気になるポイントです。

神社の創起

天河神社の起源は飛鳥時代に遡ります。役行者が大峯を開山する際、祈りによって最初に現れた辨財天を、最高峰・弥山に祀ったのが始まりです。辨財天は水の神様。もともと天川の里人たちは、吉野から熊野へと流れる川の源流地域に生活していることから、古来より命の根源である水、そして水を生む山を大切に思い、信仰してきました。

弁財天と五十鈴

御祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は弁財天として知られており、芸能や学問、財運の神として崇められています。

神社の拝殿には、巨大な五十鈴が吊るされており、これは神代鈴と同様のものであると伝えられています。この五十鈴は、神話時代のアメノウズメが岩戸開きの際に使用した鈴とされています。

能舞台と芸能の聖地

天河神社には素晴らしい神楽殿(能舞台)があり、毎年多くの能が奉納されます。
神社の舞台は、日本古典芸能の能楽を確立した世阿弥の嫡男観世十郎元雅が、父(世阿弥)の命を受け、大神様へ思いを込め能楽の再起を願って舞った舞台です。

観阿弥・世阿弥らの活躍でたくさんの能面・能装束などが寄進され、現在は能狂言面30面が重要文化財に指定されております。世阿弥も使用したという「阿古父尉(あこぶじょう)」の能面(重文)、豊臣秀吉公が奉納された唐織の能装束なども奉納されています。
この能舞台では、自然の中で能を鑑賞できる贅沢な体験が可能です。

宮司一族の歴史

天河神社の宮司一族である柿坂家は、山岳信仰の開祖「役行者」の弟子の末裔とされ、現在の名誉宮司である柿坂 神酒之祐氏は、その65代目にあたります。

自然と調和する神聖な空間

天河神社の周辺は、四季折々の美しい自然に囲まれています。特に秋の紅葉や春の桜は見事で、訪れる人々に癒しとインスピレーションを与えます。

五節句開きと新たな始まり

天河神社では、年に五回の節句の日に祭りが行われます。旧暦の10月10日に行われる五節句開きの神事は、新たな一年のサイクルの始まりを告げる重要な儀式です。

まとめ

天河大辨財天社は、その歴史と伝説、神聖な空間、そして芸能の神としての存在感から、多くの人々に愛され続けています。

この神社は、訪れる人々に強い霊的な体験を提供し、自然と調和する神聖な場所として、心身の浄化と再生を促します。ぜひ一度、天河神社を訪れて、その神秘的な魅力を感じてみてください。

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