きみ(ネコ)がいたって料理はたのしい。
休日はネコが眠ったら料理を始める。
早朝4時から起きているネコはたいてい11時頃、キャットタワーの最上段で眠り始める。
最上段にはフチがついたふわふわの台があって、その中にみっしり丸くなって眠っている。静かな部屋にピーピー寝息が響く。
すごい存在感だ。
この平和な時間に夕飯の準備をする。
味噌汁の具をきざんでだし汁で煮たり、魚に塩をふって水を拭いたり、肉に下味を付ける。
副菜も作る。せっかく早い時間に用意するんだから、味を染み込ませる和物やサラダが多い。
余裕があれば平日の作り置きもする。
ネコが起きて呼びにくるまで黙々と、窓の外の日差しを感じながら無心で手を動かす。
特別な料理はでき上がらない、ただの準備だけれど料理はたのしい。
夜になったら魚を焼いてサラダを盛り付ける。あたためた汁に味噌をとく。
netfrixでドキュメンタリーを観ながら食べることが多い。
夜遅く帰るパートナーがすぐに食べられる支度も済ませておく。
私が食べている間、ネコはテーブルにお座りをして、メニューによっては箸の動きをじっと見ている。
人間の食事にあまり興味はないけれど、食べたがるのは鶏肉とチーズ系。
ネコなのに魚介類にあまり興味がない。
お肉・チーズ系が好きみたいだとパートナーに教えたら、典型的な太るタイプと言われた。(「気にしないのね。」とネコに言っておいた。)
1年ほど前、家にネコが来てだいたい半年経った頃、一番の趣味だった料理をたのしめなくなった。
理由は端的に言うと、私が料理することをネコが嫌ったからだ。
当時は仕事から帰宅して、ネコのごはんを出したらすぐに準備を始めていた。
ネコはごはんを半分食べてヤンヤン鳴き始める。
「おもちゃで遊んでほしい」「クローゼットに入るところを見ていてほしい」
「とにかくキッチンに行かないでほしい」らしかった。
ネコの要求に応えすぎてはいけない(鳴き癖になる)と知っていたので、無視すると鳴き続け、気を引くために壁を爪で引っ掻くようになった。
元々1人マイペースで生きてきた私はその頃、初めての子猫の世話、仕事、パートナーとのすれ違い生活で疲れ気味だった。
良くないと分かっていても変なところが完璧主義で、自分の生活ペースが乱れることが大きな心の負担になり、憂鬱だった。
ネコと私、お互いにストレスが高まっていった。
そもそも、ネコはパートナーが連れてきた。知り合いの家で産まれ、飼い手がいなかったらしい。2人とも猫が大好きで、飼いたい気持ちは強かった。
ただ、もし飼えば長く時間を過ごすのはどうしても私なのだからと、飼うかどうかの判断は最初、私に委ねられた。
・2人とも仕事で出かける家で、責任を持って最後まで飼えるのか。
・帰省も旅行もし辛いのではないか。
・ネコは幸せなのか。
なかなか飼う判断ができなかった。
ついに考えることに疲労して、最終的にどうするかは、ネコの話を持ち出した人が決めてほしいとパートナーに頼んだ。
そうしたらなんと翌日、家に帰るとソファの陰で、グレーのふわふわした子猫が動いていた。
手を伸ばすとまったく警戒せずトコトコ歩いてきて、膝にのせて撫でると、青い瞳でグルグル喉を鳴らしていた。
あの光景はずっと忘れないと思う。
帰宅が憂鬱だったある日、とうとうネコは私が料理を始めたとたん、ベッドの上でおしっこをした。
手のひらサイズで家に来てから、一度もトイレを失敗したことがなかったのに。
驚いてネコを見ると、マットレスの向こうでやんのかポーズを取り、とても不満そうに私を見ていた。怒っている顔だった。
その後、気をつけて様子を見ていても数回同じことがあった。
(布団やベッドカバーは可能なら洗濯、難しければコインランドリーへ持っていった。)
ネコがトイレ以外の場所で粗相をするのはストレスだと知っていた。
分離不安なのかと心配で、うまく飼育できていないことが情けなく、何よりネコがかわいそうだった。
ネコが私に懐いていることと、ネコがしたいことは当然別物なのだ。
一緒に暮らす以上、人間にあわせてもらってばかりいられないのだ。
それで私は、大幅に料理に使う時間を減らした。
仕事から帰ったらまずはしっかり時間を使ってネコと過ごした。
家事をしながらボール投げをしたり、話しかけながらコーヒーを飲んだり、風呂掃除を見せたりした。
ネコはまるい顔を上げてこちらを見つめながら私に付いて回った。
風呂掃除の見学でさえ結構たのしそうだった。
人間の夕飯は日に日に簡単なものに変わった。
カキフライや唐揚げは真っ先になくなり、手作りの副菜はあって1種類。
うどん、炒飯、鍋、丼もの、おかずになる汁物が増えた。
揚げ物は食べたい時に買って帰るようになった。
休日にネコが眠ったら料理するやり方も、この頃から少しずつ始まった。
以前は好きな料理研究家のレシピ通りに、食べたことがない料理を作ってみたりしていた。
おかずを詰めた弁当を作って友人とアウトドアへ繰り出すこともあった。
あの頃、そういうことができなくなったら、料理はつまらなくなってしまうだろうと深刻に思っていたのだ。
結論。それらができなくたって料理はたのしい。
なぜだか分からないけれど、野菜を切ったり肉を焼いたりしているだけでも料理はたのしい。
なぜだか分からないけどたのしいようなことは、形を変えても損なわれないのだ。
ネコはあっという間に2歳になった。
ネコの成長と私が生活を少し変えたことで、今はまあまあ穏やかに過ごしている。
構ってちゃんなのは性格のようで、相変わらずうるさいことはうるさい。
それでも最近は「お米だけ研ぐから待って。」とか「これだけ焼いたら終わりだから。」などと話しかけると、赤べこのように頷きながら待っている。
もしもずっとずっと先に、たのしみではないけれど、ネコが寝てばかりいるようになってしまったら、また時間のかかる料理を始めるかもしれない。
よく作るようになった料理
・豚キムチ豆乳スープ
・牛丼
・炒飯
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