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#いい声で歌いながらご飯を作るシリーズ

ご機嫌いかがですか?

ぱとらっくです。

私のX(旧Twitter)でやっているもので、「#いい声で歌いながらご飯を作るシリーズ」というものがある。

単純に読んで字の如く、夜ご飯を作る時に歌った歌を紹介する、というだけのハッシュタグだ。

ただそれだけの謎ポストなのだが、ありがたいことにやっていくうちに少しずつそれに反応して下さる方が現れるようになり、コメントをくださることもあるのです。
なんということか……
とても嬉しいです!
皆様いつもありがとうございます🥹✨

そしてこのタグにも、ちょっとしたエピソードがある。

私は小さい頃から歌を歌うのが大好きだった。
本当は歌を習いたかったし、声楽で音楽の先生になるのが夢だった時期もあった。

音楽の成績だけは高校までの12年間いつも一番よい評価だったし、中学2年生の時は市内だか県内だかの総合文化祭の選抜合唱団のオーディションで合格したりもした。
(大したことじゃないと思ってたからほとんど人に言ってなかったけど、字にするとちょっとスゴイ感じになってしまった。自慢ではありませんが、これしか誇れるものがないのでご容赦願います)

歌が習いたかったが、住んでいるところが田舎だったため歌の教室が近くになく、代わりに親の知り合いがやっているピアノ教室に行かされた。
ピアノは全然うまくならなかったが、ソルフェージュという歌いながら弾くレッスンは大好きで、ピアノの先生にも「歌は上手ね」と皮肉をこめてよく言われたものだった。

放課後にはよく音楽の教科書や歌の本を開いては歌いながら帰った。
時に練習を、時にハモリパートを。
ひとりで歌いながら、別のパートを脳内再生してハーモニーを楽しんだ。
そんな子供時代だった。


さて。

なぜ私は歌を歌うのか。

その理由は、得意だから、だとずっと思っていた。

その本当の理由を知ったのは、それから30年ほどもたったある日のことだった。

その時は仕事と家庭といろいろなことが重なり、心労で本当にダウン寸前だった。
子供に笑いかけるのがやっとだった時だ。

 
家でひとりぼんやりとしていた時に、そういえば歌を歌ってなかったことを思い出して、やっとの思いで音楽をかけた。
口ずさむとなぜか涙があふれてきた。
それはとまるくとはなく、気付いたらそこにはわんわんと声をあげて泣く私がいた。
そして、その後はなぜか不思議ととても勇気が湧いてきたのだ。

そう。
私が歌を歌うのは、自分を癒やし、励まし、明日への勇気を湧き上がらせるためだったのだ。
それはまるで泣く子をあやす子守唄のように。

その時の涙でハッキリと理解した。

実は、私の家庭はまあまあ困難な場所だった。
これはとても私の人生に大きな影響をもたらしたし、今でもそれは続いている。
それもあって、家にいるのが好きではなかった。
学校も遠く近所に子供もいなかったのでひとりで歩いて帰ることも多かった。
その気の進まない帰り道、自分を癒やすために、これから起こるつらい家での時間を耐えるために、歌っていたのだ。

声をあげて泣きながら、その事に気づいた時には震えた。
そして、どうにかしてここまでやってこれた自分を少し誇らしく思った。

それに気付いてからは、つらいときにはムリにでも歌を歌うことにしている。
私の内側から勇気が出ると信じて。

歌には特別な力があると信じている。
実際に癒やされてきた私が言うから間違いない。

今日も今日とてご飯を作りながら歌うだろう。
今夜頑張った自分へのご褒美に。

ちなみに、歌うことの意味を教えてくれた歌はMr.Childrenの「Tomorrow Never Knows」

人生の要所要所で私を支えてくれた大事な歌が、またしても新しい気付きを与えてくれた。
そんな音楽に出会えたことを幸せに思います。


それではよい1日を。

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