おともだち 〜つたない比喩をそえて〜

フランス料理みたいなタイトルでしょ。
でもぜんぜんフランス関係ないよ。
料理も関係ないよ。
また自分のこと。いつものように。

自分と一緒にいることにつかれてしまった。

自分で自分を外に連れだしたり、自分で自分のワクワクすることを探したり、自分で自分を悲しませないようにしたり、なんとかなるさって自分に声をかけてあげることに、つかれてしまった。

何かに期待して、身をゆだねたい。
ひとりにつかれてしまった。


だいじょぶ。こういう気持ちには慣れている。

なんか船長になった気分だ。
こういう気持ちは乗客で、私は船長。
私は船長だから、どっかの港に船をつけて、乗客を観光させちゃえばいいのだ。

この乗客は常連さんだ。(船の常連ってなに)
顔見知りだ。
何度も乗ってきて、他の乗客にまで迷惑をかける困ったお客さんだ。

船の例えが長すぎた。

とにかく、自分といることに疲れちゃった自分を、どうにかしたいと思っている。

おともだちって大事って言うけど、そんなに大事かな?と思っていた一桁のころの自分。
こういう時にすくってくれるのがおともだちなのだよ、と伝えたい。

きっとこういう気持ちになった時に、外に、社会に、連れ出してくれる存在のことをおともだちと言うのだ。
それが血のつながりがある人でも、人じゃなくても、お犬でも、木でも、コーヒーでも、私はおともだちと呼びたくなってしまう。

私をよく連れ出してくれるのが、青空だ。
人の名前ではなく、あの、雲がぷかぷか浮かぶ、あれだ。

ひとりに、自分に疲れてしまったら、青空が私を外に連れ出してくれる。 

青空は私のおともだち。

絵本のセリフみたい。だいぶメルヘン。

青空が私を連れ出してくれて、連れ出された先には木とか草とか花とかが待っている。
いつもいてくれる。優しい。

青空や、木からしたら不本意かもしれない。
そんなつもりじゃないと思われてるかもしれない。
ほんとはどうなのか、わからない。
空は喋らないから。私は人だから。喋ったことをすべてだと思ってしまうから。見えたものがすべてだと思ってしまうから。聞いたことをすべてだと思ってしまうから。

見えないものを見ようとしよう。聞こえない声を聞こうとしよう。
自然の中にいるとそう思う。
背筋が伸びる。

おともだちって呼んでもいいかなぁ。

はたからみたら私はひとり。
でも連れ出してくれるおともだちがいる。
そして、心の中では船長で、困った乗客と向き合っている。よそ見しちゃってるけど、出航した港は確かに小さくなっている。

すべてのがんばる船長に言いたい。
あなたの船、運転、海も含めて、うつくしい。

途中から読んだら、船好きと勘違いされて釣りとか誘ってもらえそう。(だれに)

比喩が好きだからすぐ例えちゃうけど、まだまだだね。まるで比喩の赤ちゃんだね。











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