線路の脇で遮断機が降りた。 無音のまま、 空は青く暗く、 呼吸を繰り返しながら徐々に光を失っていく 電車の通過を待つマネキンは その目は人明かりのない住宅街に熱心に注がれていて、 点滅する赤い光の中で膨張していた。 矢印の指す方向に こわばった首を折って眺めていると 光の矢が一瞬私たちを逆方向に貫き、 その日私たちの命は完成した。
YouTubeで観た『A Glimpse』という短編映画が面白かったので、感想と考察を少し書いてみたいと思います。 物語は喫茶店で2人の男女が出会うところから始まります。音声は始めから終わりまでこの2人の会話で構成されるのですが、映像は途中から切り替わって、その後の2人の人生のダイジェストになります。その喫茶店での会話をきっかけにデートを重ねて、恋人になって……という感じです。 以下、ネタバレを含みます。 結局、映像の中でこの2人は破局します。それと同時に、彼女
かみなりにうたれて 編み上げた髪が一筋 額にかかるのを 雨のバスから眺めていた 斜向かいに座ったおばあちゃんは 傘の先から滴り落ちる雨粒を見ていた 座りながらにして死んでいた その目には大トカゲが映っている やがて思い出したように立ち上がると 私が降りようとしていたバス停で降りていった 私はまだバスの外を眺めながら エンジンの排気音を聞いている
ガラスの壁に 耳をつけて聴いた。 死にたい、という声が 小さな振動となって部屋を伝っていった。 それから プロジェッタの光は ひとつの映像を映し た キリストが誕生する日の話を、幼稚園の 茨のなかで 私は聞いた。 私の横を 血だらけの聖母マリアは通っていった。 そのときの映像が DVDとなって 今もテレビの棚に収まっています。 おかしいな 私は、キリストの前で 眼を閉じて 座っているだけでした。 そうして、
市場には、財を、必要としている人に必要な分だけ供給する機能があるとされている。しかし、実際にそうとは限らない。 希少な財の供給について考える。ある希少な財をより必要とする人は、より高い値を払って買おうとする。相対的にみてあまりその財を必要としていない人は、上がっていく値のどこかで手を引く。こうして、希少な財はより必要とする人のもとへと供給される。ある供給量に対してぴったりの需要者が現れる価格が、その財の市場価格といえる。 しかし、この考え方には欠けた部分がある。今からそ
天気雨の降る日 並木が私にさようならを言った 私は意味がわからなかったから その幹についた苔を撫でた 天気雨の降る日は 手に受ける暇もなく 強い風が吹いてくる 私から傘を受けとって どこか遠くへと運んでいく コンクリート
包丁を入れても 金魚は死なない。 皿に盛りつけられても 窓から差し入る月光のなかを 金魚は泳いでいる。 床にじかに置かれた酒瓶が 武勇伝を始めた。 スラムに置き去りにされた 赤ん坊のこと 指輪に絡まっている 細い髪の毛のこと 夜が明ける間際に死んでいった 小さな魚のこと そのひとつひとつが 化粧台の引き出しに詰まっていた。
泥をコップにすくって 朝 家族に出した 一人めは何も言わずに飲んだ 二人めは泣きながら飲んだ 三人めは無視した 四人め、口をつける前に取り上げられた ゴロツキ家族 と、近所で評判をとる私たちは 何も知らないいたいけな朝を虐めに 車に乗り込んで旅行に出かける ゴロツキ家族が渋滞にはまると 車のなかに、幽霊が出る 私たちは 幽霊と口づけをして時間を潰す 長いながいよるがきて 幽霊と腕ずもうをして 私たちの道は終わりへと向かう