夏目漱石「坊っちゃん」③ 漱石の経歴

1、漱石自身について

「坊っちゃん」の作者:夏目漱石の略歴はこんな感じである

・本名・夏目金之助。慶応3年(1867年)生まれ(なお翌1868年が明治元年)。
・現在の東京大学にあたる帝国大学の英文科を卒業。
・妻・鏡子は10歳下で明治10年(1877年)生まれ。二人は明治28年(1895年)にお見合いで出会い、翌年に結婚。
・見合いの時点で漱石は27~28歳、鏡子は17~18歳。
・妻と見合いをした明治28年当時、漱石は愛媛県の松山中学で英語教師をしていた(見合いの場は東京)。
・その後イギリスに国費留学。
・明治38年(1905年)「吾輩は猫である」で作家としてデビュー
・「坊っちゃん」の執筆は明治39年(1906年)
・大正5年(1916年)「明暗」執筆途中で死去。享年49歳

2、「赤シャツ」と漱石との共通点

ご存じの方も多いと思うが、「坊っちゃん」は「四国の学校」が舞台で、主人公が教師(数学)である。当然、松山中学で教師をしていた漱石自身の体験がモデルとなっているだろう。
(なお作中では舞台が「松山」とはふれられておらず、「四国」のほかには架空らしき地名が数回出てくるのみです。また別記事でふれます)

そして「坊っちゃん」の最大の悪役:赤シャツも帝国大学の文学系の学部を卒業したエリートという設定である。おそらくその経歴で若くてして教頭に就き高収入で、マドンナと仲良くなることに成功している。

まとめると
・漱石が実人生で結婚相手を決める見合いをしたその当時に自身が就いていた、四国・中学教師を描く小説を書いた
・そしてその小説において一番の悪役(赤シャツ)は、漱石と同様に帝大卒かつ文学系のエリートだった。自身が悪役のモデルといえる
・さらにその悪役男は、ヒロイン女性(マドンナ)から、お金と肩書目当てで選ばれている

どうだろう。作者自身が結婚を決めた当時をモデルに書いた小説で、かつ作者自身をモデルにしたと思われる登場人物の男が、お金と肩書目当てでヒロインから選ばれているのである。

一体どんな思いで、漱石はこのような展開を描いたのであろうか。他の記事でも書いたが「ヒロインが悪役男を積極的に選ぶ」という通常あり得ない展開を、どんな思いであえてぶち込んだのか。
この話を読んだ妻・鏡子は、一体どう思ったのだろうか。その後の夫婦関係に変化はなかったのだろうか。

3、漱石の他作品

(1)漱石の劣等感

私は夏目漱石は
「俺が帝大卒のエリートだったから、この女は結婚を了承したんだろ、、、俺は自分の人間的魅力ではなく経歴肩書でこの女から選ばれたんだ、、、」という、劣等感のようなものを自身の妻に抱いていたのではないか思っている。それもかなり強い劣等感を。

むろん単なる交際ではなくて結婚、ましてやお見合い結婚なので互いの職業や経歴、親や親族の社会的地位なども踏まえた上での出会いであることは大前提ではある(これを書いている令和6年時点でもう「お見合い」についてイメージができない方も多いとは思いますが、私の知人にお見合いした人がいます)。
しかしそれを踏まえても「自分の人間性の魅力ではなくて肩書で結婚した」と、ある意味では被害妄想的に漱石は劣等感にさいなまれていたのではないか。
私の推測の根拠として「坊っちゃん」以外の他の漱石作品にも、その発露とみられる展開が多くある。以下に列挙する。
(なお、結婚理由にせよなんにせよ、ある女性に対して強く劣等感を抱くのは、自分がその女性を(勝手に)好きになっているからである。)

(2)漱石の他作品

・「三四郎」
「坊っちゃん」から二年後、明治41年(1908年)に執筆された小説。
主人公の大学生:小川三四郎が物語の終盤、ヒロインの女性に思い切って告白する(「じゃ、何んでいらしったの」「あなたに会いに行ったんです」)。
しかし、ヒロイン:里見美禰子からは、告白を無視されてしまう。告白したのに相手の女性からは、いわゆる完全スルー・ノーリアクションで流されて聞かなかったことにされてしまったのである。
そしてヒロインは主人公になにも告げることなく、学生の三四郎とは対照的に社会的地位がありそうな男性(「脊のすらりと高い細面の立派な人」(三四郎「十」))との結婚を決める。

・「それから」
「三四郎」の翌年、明治42年(1909年)執筆。
主人公:長井代助はかなりの資産家の息子という設定で、30歳だが仕事をせず観劇や音楽鑑賞をしながら生活している。
ある日、主人公の友人で銀行員であった男性が職場でトラブルを起こして失業、借金も抱えてしまう。するとその銀行員の妻で同じくかつて主人公とも仲が良かったヒロイン:三千代から、主人公が猛烈なアプローチを受け、この3人の関係性はどうなるのかー という話。

・「行人」(こうじん)
大正元年(1912年)執筆。主人公の兄が結婚しているが、兄は妻であるヒロイン:直(なお)からはあまり愛されていない。外を夫婦で歩いている様子も「まるであかの他人が同なじ方角へ歩いて行くのと違やしない」と母親に言われてしまう距離感である(行人「兄・十三」)。妻の態度に悩んだ兄は、弟である主人公に「直(なお)は御前に惚てるんじゃないか」と疑いを向け、兄弟や兄夫婦の関係はどうなるのかー という話。

・「こころ」
これは知っている人も多いだろうが、大正3年(1914年)に執筆された有名作品「こころ」
主人公と主人公の親友「K」が同じヒロイン女性を好きになるのだが、ヒロインは主人公と結婚し、ふられた形となったKが自ら命を絶ってしまう。
この話でも、ヒロインと結婚できた主人公は亡父の遺産相続により、仕事をしなくとも何年も生活していけるほどの資産家である(「それから」と似ていますね)。しかしフラれたKのほうは親から勘当されており金がない男性であったた。そして最終的には主人公自身もー という話。

・「明暗」
やや変わったパターンで、大正5年(1916年)執筆開始され、夏目漱石の絶筆となった「明暗」(作品完成前に漱石が死去。享年49歳)。
主人公の男性:津田がこれまでとは逆に、おそらくは妻の親戚が金持ちでそれを目当てに結婚したもの。主人公の妻:お延は夫(主人公)のことが大好きで夫のために自分の親戚に借金までしているが、夫側はそれほどではない。夫はお延と出会う前に付き合っていてある日突然振られてしまった女性:清子のことをずっと考えている。
やがてある事情から夫がその清子のもとを訪ね、二人が再会して言葉を交わしたー ここで、未完となっている。

こうして列挙すると、夏目漱石の抱えた劣等感とその深さがみえてこないだろうか。
しかしみなさんは「三四郎」の三四郎のように、思い切って異性に告白したが、特に反応がなく聞かなかったことにされてしまった経験はあるだろうか?私はあるよ

 

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