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Hakone neighbor's camp 2024


プロローグ

2024/8/6‐2024/8/8 Hakone neighbor's camp (本キャンプのうちの3日間)の備忘録。今の気持ちをありのままに記していく。

1日目

始発の新幹線で小田原まで来て、すぐにでも合宿地の仙石原まで生きたかった。けれども、あんまりにも頭も体も乱れていたので、天山に寄っていくことにした。

【天山湯治郷への寄り道】

箱根湯本から少し離れた山の中にある。
天山湯治郷に着いて最初にくぐる門

天山湯治郷はお湯に入るまでの導線から、こだわりがビンビン伝わってくる。門をくぐり、裸足で館内を進む。その過程をゆっくり進んでいくと、自然と体の感覚に意識が向くようになっていく。
天山のお湯は、他の温泉よりも一段と柔らかい気がする。山から湧き出るからか、しょっぱくない。陽の氣が体に染み入ってくるけど、それは轟々と湧くものではなく、じんわり体を活性化するような入り込み方をする。
お湯に入るまで体に抱えていたたくさんの抵抗は、いつの間にかお湯に浄化され、気がつくと体の余分な力が抜けていた。

天山湯治郷は、付加価値をたくさんつけて高めるより、もともとある温泉を最大限味わってもらうことに全力をかけてる感じがする。価値を足すより、もともとある価値を阻害するものを引いている。

【3度目のHakone neighbor's campが、始まる。】

温泉の余韻に浸りながら、バスに揺られ仙石原へ。
体の感覚に身を任せ、箱根という土地から力を受け取りながらライムリゾート箱根に向かう。

仙石原は、箱根の中でもかなりの山奥にある。人里から離れた静かなリゾート地だ。
このキャンプに来るのは3度目。けれども、前回以上に私はうまく話せる自信がなかった。1年半、自己探求にすべてを費やした私にとって、本音で語り合うのは去年のキャンプ以来のことだったから。

Hakone neighbor's campの雰囲気に自分自身を合わせていく。
今回のキャンプは今までにないくらい自由だった。いつ起きても、寝てもいい。食べるものもやることも、何をしようと自由。でも必要なものは揃っていて、取りに行こうと思えば何でもできる。
そんな、自由で、余白だらけで。ゆえにそれを活かせるかどうかの責任は自分自身にある、そんな環境だった。

余白に飲み込まれた一日目だった。

2日目

【話せないけど話してみる】

今まで、私の中で、成長すること=辛いものを乗り越えること、という先入観がずっとあった。向き合わなければ、という、背負い込みがすごくあった。
事実それによって、私は大きく成長してきたわけで。それ以外の方法なんて知らなかった。

自分の中で、突っかかった何かが、私を開放してくれない。
向き合わなきゃ、乗り越えなきゃ、そう思うことがさらに、私を苦しめ続ける。

でも、こんなに素晴らしい環境があるのにもかかわらず一人で籠もり切りになるのは、なんかもったいない気がする。

そんなもやもやを抱えながら、話せないけど、話そうとしてみる。個々から2日目が始まった。

囚われに向き合おうとする。泣きながら声を絞り出す。そんな話し方を何度かやってみた。何人もの人に聴いてもらった。けれども、意外なことに、深堀りされることってあんまいなかった。それよりも、今やっていることや、未来に意識が向いたことをたくさん聞かれた気がする。

トラウマを無理に味わう必要はない。ただ認知するだけでいい。
あー、また私トラウマを思い出してるなー。でも引っ張られないぞー。今に集中するぞー。でいいんだよ。そう言われて、”ああ、無理して乗り越えなくても良いんだ。”と思った。進みたい方向を見て、ゆっくりシフトしていくことも、乗り越えていくことと同じなんだ。

 ”のんちゃんは、エネルギーと直感で生きたいんだろうな。 繊細だけどメンタルはタフだよね。”
私が今まで積み上げてきたこと、これから進んでいく道はなんとなく直感で思っていたこととあまり変わらない気がした。このまま進んで大丈夫って行ってもらった気がした。
私は、今まで必死に、向き合わないと、乗り越えないと、と思っていて、それが当然かのように思っていたけど、そう言われて、どこか安心した私がいた。

【偶発的・連鎖的・多発的に面白いことが起きる場作りには、余白を残すことが必要。でも、まだなにか足りない。】

静的なオーラと、動的なオーラ。ファシリテーター。そこにいるすべての人。
内省を促すの空気を纏う人。それを汲んで、小さな音を奏でる、場にいる人の意識に介入する人。全身全霊で自分をさらけ出して訴える人。その訴えに乗っかる人。それぞれが押し問答を繰り返しながら、盛り上がり、一つになっていく。

 たまたま持たされた大太鼓。私は考えるよりも先に、体が勝手に動いてしまう。人の思いが揺れ動くさまに、訴えかけられるものに、無意識に音で呼応する。音楽の流れの作り方は場づくりと同じだ。一音一音に、”聴いてるよ、大丈夫だよ、さあ声をあげて!”という想いを込める。あと一歩の、一歩が本当に大きくて、怖くて、でも進みたくて。そんな声に、太鼓が背中を押す。強制しない、でも、ただ聴いてるよ、って伝えてる。最初から、リズムを叩いていた中太鼓に、私が乗っかって。私の、太い表拍(おもてはく、音楽の幹になるリズム)に、みんなの手拍子が乗っかって。あー、やっぱ音楽好きだなって。

瞬間的に揺れ動く。波と波がぶつかり、大きな波になる。混ざり合い、つながり、盛り上がり、ゆっくりと収束していく。

1年半前、リフレクションのファシリをしていた私を、今の私が俯瞰で見ているようだった。あのときは、場を回すことだけで精一杯だった。でも、今リフレクションの場に参加して、引っ張られる側からみていると、大小はあれど、あの場にいる全員が互いに影響しあって、全身でそれぞれが発する波を受け取り、波に乗り、ときに飲まれそうになりながら、あの場に集中していた。指揮者だけいても意味がなくて、みんなが個々としていてもいけなくて。みんなが、あの場に賭けようと思わないと、奥底にある本音のぶつかり合いは生まれなかった。

そして、場をつくり、保つ人が何人もいた。静かだけど、密度のあるオーラを放つ人。それを汲み取り、音にする人。本当に小さな音なのに、人の注意を惹き、人をあの場に寄せ付けた。そのうえで、ファシリテーターがあの場にいる誰よりも自分をさらけ出す覚悟を決めて、人を揺さぶった。

そういう土台があったから、何も無いところから、小さな波が生まれ、波及し、大きな波になった。緊張の糸で繋がりながら、安心して自分をさらけ出せる環境。矛盾しているように聞こえるけど、より抽象的な階層に上がるとそれらは一つのものであるとわかる。

わたしがずっと、やりたかったもの。1年半それができなかったのは、否定されることを恐れ、自分自身の内面を外側に出せなかったから。もっと言えば、否定も肯定もない、ただ在るという境地を理解しながら体現できなかったからだった。
今だったら、体現しているイメージができる。できるようになりたいな。

そういう場づくりが行われる一方で、問題提起もあった。
”余白をたくさん設けたデザインをして、安心できる土壌を作って、あと何が足りなかったんだろう。。”

自分自身にも、思い当たる節があった。私は全力出せてない、という自覚があった。私には私のできることで、限界を突破してみよう。

【余白に甘んじてなあなあにしない、人と本気でつながる、整体を人にやってみる。完璧を求めすぎてできなかったことを、中途半端なままの私でやってみる。】

キャンプで仲良くなった友達がこんな事を言っていた。
”あんまり収穫を得られなかった、体がずっとだるい。アフター合宿行くのやめようかな、”
それを聴いて、なにか力になれないか?って思った。私にできることをやってあげたい、と心が勝手に動いた。私の中にある、エゴ的なおせっかいに対する嫌悪感より、私なら力になれる!なりたい!という私の心の叫びが勝った瞬間だった。
リフレクションで宣言した、”たくさん話してみる、人に施術してみること”。

【整体・気功の施術と、体のお悩み相談】

・最初に触ったときの感覚
腰、背骨周り、首筋、頭蓋骨、順番に触れていく。指が骨と肉の隙間に入らない。というか、骨と肉の隙間すらわからない。ジリジリと滞留し、熱を放っている。足先から踝(くるぶし)を触ってみる。足先まで熱いのに、踝は冷たい。

・試行錯誤でやってみる
滞りを流すこと、体を緩めること、全体のバランスを保ちながらやること、軸をつくること
私がやっているのは、その人の鎧になっている体のこわばりを緩め、その人が本来持っている自然治癒力を活性化させること。ひいてはその人が本来持っている、進んでいけるパワーを取り戻すこと。

・体を触りながら私がしてきたことに気づく
私がやっているのは、体との対話。人との対話。体から、いろんなメッセージをただ受け取る。受け取ったうえで、それを外へ流すべきものを流していく。体の中の良くない流れが落ち着いてきたら、今までその人を保ってきた凝りをほぐしていく。凝りは一般的には悪いイメージだけど、私はそうは思っていない。日々たくさんの刺激に揉まれる中で、体がどうにか対処しよう、体のバランスを保とうと必死に頑張ってきた証が凝りなのだから。だから、凝りをほぐすだけでは状態は良くならないと思っていて。どうしてその凝りや滞りができたのか、言葉による対話と体から伝わってくる感覚からメッセージを受け取り、体と調和する。そのうえで、ようやく凝りに踏み込む。全身のバランスを取りながら、気功とマッサージを都度都度使い分けながら、全身をゆるめる。最後に全体のバランスの最終調整をして終える。そうやって、ようやく根本的な改善が進むと思っている。解決に近づくと思っている。
・施術を終えて
体軽くなったーーー!!って驚愕してた(笑)そのあと、私がはじめて整体をしてもらった合宿主催者、喜多さんに、重心を意識した立ち方を教えてもらいに行ってた。
人が行動を変える瞬間って、強い影響を与えられた体験だと思う。私のできることを人にすることで、人が変化するきっかけになる。そう思えた体験だった。
そして、施術してる間に周りにいる人増えてて、体の悩み相談が突発的に始まる。私も受けたい!って予約を入れてくれた人もいた。
私は、自分自身が生きやすくなるために、整体や瞑想、気功などを学んで実践してきた。追求すればするほど、自分自身が目指す理想の在り方(体や心から、実際の行動まで)に届くまで、まだまだ遠いと思うことだらけだ。けれども、私が積み上げてきたものは確かに存在していて、人に与えられることもあるんだと思えた。自分の目指す理想をさらに追求しながらも、人に自分が学んできたことを伝えたり、体に触れさせてもらうことから学ぶこともあるんだと思った。

【それでも私はもう十分やってるよ】

仙石原という山奥で、リフレクション後、整体のあとっていう状況。滞在期間前半を過ぎて、だいぶ心の鎧が緩んできた。違和感を覚えることは、たくさんあった。でも、私が見ていたのはその先だった。質問の仕方が拙くたって、話が噛み合わなくたって、傾聴の姿勢があんまりだって、良いじゃない。お互いに充実した時間にしたいと思って対話していればそれでいいじゃない。だって、完ぺきな人なんて誰もいないんだもの。意識で深くつながっているだけで十分だよね。話を聴いてもらったり、返答をもらったり、している中で、”もう十分やってるよ”と言われて。人と繋がれなかった原因の、最後のピーズが埋まった気がする。

【本音で話そう。】


今話したい感じをそのまま出してみる。ただただ受け取ってみる。自分の中で実験してきたやりかたが、人とつながるときでもできることに気づく。感性が似ている人、異なる人。否定も、肯定もない世界線。ただ、存在するだけ。否定されると思うから攻撃的になる。肯定があるから寄りかかってしまう。ただあるだけ。
私は自分の直感に従って生きたい、と願ってる。でも直感は断片的にしか、認識できなかったり、なぜそう思ったのかわからないときが多々ある。だから次のようにしていた。

・私なりの直感との向き合い方、抽象と具体の扱い方
私から見えるものは、感覚に近いほどはっきり見えて、自分の実感としてわかないものほどぼやけて見える。感覚に近いものほど抽象的で、文字起こしする(=具体の情報に落とし込む)ととんでもない情報量になる。そういう感覚は納得感があって信用できる。一方、遠くぼやけてみえるものほど、文字起こしした情報が多くなる。実体験を経ていない知識などが多くなる。知識としては知っているけど、自分なりの考えに落とし込めていないもの。そういうものは、気が向いたときに情報収集して、潜在意識の片隅に放り投げておく。知識と知識、知識と実体験が自然とつながるのを待つ。個々だったものが繋がり始め、点が線に、線が面に、面が立体になっていくのを待つ。線になったとき、面になったとき、ようやく私は自分の中にある仮説を認知する。立体になってはじめて、自分の意見を人に伝えられる。

このようなやり方で自分の考え方を確立してきた私だが、だからこそ起こる弊害も結構あった。
自信がない自分の意見は発信できないとか、人の意見に心から賛同できないとか。
でも、Hakone neighbor's campに来て、思った。私がそういう思考になったのは、感覚的な生き方を受け入れてもらえないという前提を私が作っていて、私が鎧を着て反発していただけじゃん、って。同時に思ったのは、誰も確固たる意見なんて持ってない、勇気を出して話してみようと思って、今できる言語化をしている人ばかりだってこと。みんな根底ではつながっている、互いに安心して話せる、互いに尊重し合う、そういうことができていれば、そんなに事故らないんじゃないかって思う。

そんなことを想いながら、語らう。
どうでもいいような会話の中に、その人を知るヒントが溢れている。
それができる間柄に安心感を覚える。
好きなものを全力で好きって布教してくる人になんだか共感しちゃう。
そんな自分がいることに気づいて、こういう発信だったら私もやりたいなって思ったり。

”学生が活動を始めるのに起業はありか?”みたいな議論が始まって、めっっっちゃ共感しちゃったり。共感してもらったり。そこでまた、過去のトラウマが自分ひとりだけのものじゃないって知って、はからずも傷が癒やされた。
人の数だけ正解がある。だから、自分の感覚って大事だって改めて思った。人の言う正解が自分にとっての正解とは限らない。
ビジネスをしている人が全員起業家なわけないじゃんか。他人の自己顕示欲に飲まれる必要なんてない。起業は手段。リスクを負うのは、それを負ってでもやりたいと思うから。志を大事にしたいなって思う。

3日目

【場作りとシャーマン。スピリチュアルとスピリチュアリティ。】

昨日の太鼓は、とてもシャーマンっぽかった。原始的な音楽は、とても心地よくて、話を聴いてみたいと思った。

音楽による場づくり、現代的なシャーマン、スピリチュアルとスピリチュアリティの違い、などなど色んな話を聞かせてもらった。

小さなゆらぎを感じ取り、調和し、人をつなげていく。私がやりたかった場づくりはやっぱりシャーマン的だったんだなぁ、と思って。

スピリチュアルに対する嫌悪感を私自身まだ拭えていなかった。疑いの目で見られることが怖かった。もともと感じ方が宗教的であると気づいてから、それを表すのが怖かった。
でも、私がやってるのはふわふわスピリチュアル(実体験を伴わない、洗脳的なもの)ではなくて、自分の感じ方を徹底的に探究し、突き詰め、腹落ちしたものを体系化していくこと。〝それは、気功や禅のほうが近くて、スピリチュアルとは違うもの。スピリチュアリティなんだよ。だから違和感があるものはたくさん勉強して、自分にあった考え方に出会っていったらいいんじゃないかな。〟

私の中で、もやもやしていたことが一気に晴れていった。

”論理も感覚も使えるけど、めちゃくちゃ感覚で生きたがってる”
心地よいを越え、ただ在るを越え、一つの点になり、それすら越えて無に至る。
私にパーツが足りなかったわけじゃない。パーツが少なかったとしても、足りないということはない。具体のレイヤーで対立している項たちを、そのレイヤーで見続けるから対立して見えるだけ。抽象を深めた先に、全てがつながっていることを認識できていれば、話を受け止めることは自然にできるはず。
情報が溢れた世界で生きている限り、純粋で居続けることは至難の業である。それをし続けることが正しいとも思わないし、まどろむことも時には必要かもね。でも、理想とする状態を人にも広げるには、自分が純度が高いことは必要で。人の上っ面の行動や感情に引っ張られず、導くことで自分の理想が具体化されていく。

1年自分の感覚に向き合い、自分を確立してきたこと。その過程で得たもの。それらがあって、感覚についての話ができる。こんなに嬉しいことはない。そして、やっぱり私はスピリチュアリティに関わりが深い人と話が盛り上がることが多い。私の話を聞いてもらいながら、どういう勉強の仕方が良さそうかとか、参考にするといい人(私の感性に合いそうな人)を紹介してもらったり。普通に生きているだけでは、繋がらないようなご縁を頂いた。

【自分の苦しみながら乗り越えた体験が、人の役に立った】

 今回の合宿ではうつ病など疾患を持っていたり、そういう経験を持っている人と仲良くなることが多かった。私はそこまで行ったことはないけど、なんとなくわかるように思える部分もあって。
最初は、自分がどういう人間か全然わかってなかったなってことを思い出した。1年半あれこれ悩んで進んできた道は、他の人にも参考にしてもらえるくらいのものになっていた。今回の合宿で、私の感覚について話を聞いてくれた人は総じて、わかりやすい!説得力がある!と言ってくれた。すごく、自信になった。

エピローグ

世間の喧騒から離れ、スマホの通知から離れた2泊3日。それはとても表現し得ない時間、空間だったけど、リトリート的な要素もあったんじゃないかと思う。
このキャンプから日常に帰ると、結構、時差ボケならぬ、環境ボケになる。それがわかっていたので、時間をかけて、帰路につく。
キャンプ地の仙石原を出て、芦ノ湖を囲む元箱根に立ち寄った。仙石原よりも拓けているけど、箱根神社と富士山が拝めるあの場所はどこか神聖な感じがする。そこから、バスに揺られゆっくりと箱根の温泉街に降りていく。大自然から少しずつ遠のいて、人が多い温泉街になっていく。温泉街の喧騒に揉まれ、自分が生きていた現実世界に帰っていく。


今回たくさんの体験から得た、たくさんの感覚は、きっとこの世間の喧騒によって一度かき消されるだろう。けれども、一度失ってなお、それを求めようとすることが、あのとき得た感覚をたしかに自分のものにすることができると思う。

これから。

1年半乗り越えられなかった、2つのこと。乗り越えた先にある未来。

 3度目のHakone neighbor's camp。1度目、2度目から大きく成長していたことをこの場所は教えてくれた。
 そのうえで、2度目から1年半乗り越えられなかったことを乗り越えさせてくれた。人と深く繋がること、自分の感覚をベースに生きること、私はこの2つができなかった。一人で乗り越えるにはあまりに大きかった。

 この場にしかない自然環境の中で、自分自身を解放した時間。1年以上積み上げたからこそすんなりできた、整体や音楽。話すことができた私自身の感覚のこと。みんなの、話を聴こうとしてくれる姿勢。整体の話をして、説得力があるって言ってくれたこと。そんな接し方をしてくれたから、私も心を開いて人の話を聴けたこと。これだけ言葉を尽くしても、書ききれないことがたくさんあって。そのどれもが、次に進んでいく私の背中を、優しく押してくれる。あの場にいたすべての人へ、ありがとうを伝えたい。

このキャンプの先にある未来。
正直、今の私には断片的にしかわからない。わからない部分の多さに、ビビってる私もいる。

でも確かに、あの場所は存在していた。私は、もっと私の力を信じて良い。私の感覚を信じて良い。

だから。

もう一度、感覚を信じて、感覚の土台の上に具体を積み上げてみようと思う。感覚と具体どっちとも仲良くなりながら、それでも根底には感覚(直感)を据えておこうと思う。

【抽象的な土台】

私自身がまっさらで、軸を持った人になる。
結界を張り、結界を拡張することで私が伝えたい空気を纏う。それが人に伝播する。場づくりに影響する。
私の生き方の土台を深める、それが整体にも、人との関わり方にもダイレクトに影響する。

共感する人、生き方にたくさん出会う。自分自身の選択肢を増やし、フットワーク軽く動けるようになる。

”今まで一人で仕舞い込んでいた理想を具現化していく”
人との関わり方においても、私の在り方を土台に据える。

もっと、人を知りたい。関わっていきたい。
ありのままの私で、心から人を大切に思って、関わっていきたい。


【今決まってる具体的なアクション、これからやりたいこと】

つなげるマルシェでの整体屋さん出店

それに伴って私に興味を持ってくれた人とお話すること&
整体をやるにあたって自分の感性をさらに磨いていくこと

ざっくばらんに話すことを通して、マルシェでも、マルシェ以降も繋がれるきっかけができたらいいな。

天山湯治郷や箱根の自然を通して、導線や空間デザイン(ハード、ソフト)に生かせたらいいな。

音楽による場づくりをできるようになりたいな。
自分の想いを詰め込んだ、届けたくて届けたくて仕方がないコンテンツを作れるようになりたいな。


”つなげるマルシェ”はこんなところ!!
仕事をもっとポジティブにとらえていて、喜びが循環する場所になりますように。

もっと先にぼんやり見えているもの

感覚を信じ、偶発的な出会いを大切にしながら、その先にありそうって思えるもの。ぼんやり見える、未来への欠片を書き留める。

共感する生き方には、いろんなものがくっついている。共感する生き方は一つじゃない。共感する部分もあれば、そうでない部分もきっとある。

でも、共感したものを集めることが、私の理想とする生き方への目印になる。

共感する会社、働き方、場所、人。。。今わかってる集めたい欠片は、こんな感じ。もっともっと、解像度高くしたいし、できることを増やしていきたい。

たくさんの仕組みを知り、情報を得、体験をする。私なりの理想を、これからも追っていく。

そんな行動を重ねながら他方では、
不器用で、不完全な私を、私自身が全面的に受け入れてあげる。

具体的なことは、まだわからない。
計画することもできない。
正直、、、超こわい。。。!!

でも私は、このスタンスを貫こうと思う。
しなやかに、私らしく生きることを全うしたい。


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