家族と向き合う。①

 喜多さんのワークショップでの課題の一つが家族と向き合うことだった。

 手紙を一人一人書いているのだけど、それが追いつく前におばあちゃんとぶつかった。

 家のおばあちゃんは、50年近く事業経営(と言っても小さな自営業だが)していて、今でもバリバリ現役、一家の長に近い。北政所とあだ名が付いたレベルで、色々仕切っている。そんなおばあちゃんと3世代で暮らしていることもあり、私の第二の母と言っても過言ではない、なんて背景がある。

 おばあちゃんの生きてきた軌跡を、何百回聴いてきたつもりだったけど、あまりにも負の感情が覆い尽くされてしまうので、ちゃんと向き合えてなかったな、と気づいた。
 戦後を生き抜いた団塊の世代、子育てしながら事業経営、地域でのリーダー的存在。そんなおばあちゃんは、弱音を吐くことも、感情に素直になることもできない体質だった。
 気功と整体をしながら話を聞いてみたりもしたが、長年生きるために自戒し続けてきた軸を私はどうすることもできなかった。(どうにかしようとするほうがおこがましいのかもしれない)

 だから、おばあちゃんの中には、なんでできないの!なんで私ばっかり!という吐き出せないエネルギーが循環して増大するっていう、たいがいな悪循環をしていて。

 昨日は、その渦に飲まれてしまった。

 それでも、向き合うって決めたから、向き合っているんだけど。

 家族や先祖を辿っていくと、おばあちゃんの血は代々リーダー気質であったなぁ、と知った。

 私は生まれてからずっと、無意識に、「人はこうあるべき」という価値観の中で育った。自分を律し、他者に貢献する生き方を幼い頃から見てきた。それはおばあちゃんだけではなく、家族がそうだったから。

 同時に、責任を負うということ、リーダーであるということに対する苦悩もたくさん見てきた。

 繊細な感性をもって生まれた私は負の感情を浴びまくって育った。それだけで体調が悪くなるくらいに。前に出たい、やりたいと思ったことを実現したい、その想いの後ろに、いつも「あんなふうになりたくない」という感情が尾を引いた。

 そこまで自分を犠牲にしなくちゃ、何もしてはいけないのか?
 そんな疑問を自覚することもなく、感情しか認識できなかった私。どれだけ頑張っても、報われることはない、という思い込みはここからも来ているのかもしれない。

 今、答えは出ない。
 でも。

 そうまでして、私を育ててくれた、家を守ってきたおばあちゃんには感謝してもしきれない。
 嫌なことをたくさん書いたけど、おばあちゃんからどれだけ無償の愛を与えられたか。私にはわからないくらい、たくさんの愛情をもらった。

 そして、おばあちゃんの今まで生きてきた軌跡を聴いたうえで(たぶんどれだけ聴いても聴いたことにならないのかもしれないが)、

 私は違う生き方をすると思う。

 もっとしなやかに生きてみたい。自分の軸も、価値観も、経験を経るにつれて変化していく。決めつけることなんて、答えなんてないって思うから。〜であるべき、という考え方はかっこよく映るけど、柔軟性がない思考停止とも取れる。〜であるべきと決めることが、人を自分を苦しめる原因にもなる。

柔軟であることは、考える量も増える。でも許せるものも増えるはず。その時のベストをきっと作っていける。

おばあちゃんを知り、愛して、それでも私はこう生きたいと言う。本当に生き直しだなぁって思う。

きっと、これを続けていくと、家族の才能を知り、未練を知り、カルマを知る。すべて知ったうえで、自分の生きる道を決める。

きっと、今まで以上の、生き方ができる。
現におばあちゃんに向き合うことで、ビジネスに対する嫌悪感やリーダーに対する嫌悪感は薄れたんだから。
 私は私なりのやり方を作っていくと、覚悟ができたんだから。

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