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【連続小説】ブルーアネモネ(9)


河端先生は、そんな疑問形の言葉を残し、店の奥の自宅への通用口から家に入っていった。
「あれ、何?」
「きっと、暑かったんだろう。シャワーを浴びに行ったんだよ。良平さんは、汗だくの服を着てられない人でな。烏の行水だから、すぐに来るよ。」
「なるほど…」
そう言ってる間に、Tシャツに短パンに着替えた河端先生が再び店に入ってきた。髪は濡れたままだった。
本当にすぐだったので、ビックリした。
「祥さん、今日はここで晩飯かい?」
「ですね。良平さんが何も作ってないなら。」
「そう、不思議だったんですけど、お二人はいつもこのメンチカツとポテトサラダで夕食にしてるんですか?後、牡蠣グラタンがあるか…」
「いやいや、そんな事はないよ。もっと色々食べるよ。」と河端先生が言った。
「良平さんはな、海外で単身赴任も多かったんで、自炊が得意なんだよ。俺も、店に出せるような料理は店に出してるヤツだけだが、元は漁師だぜ。魚を捌かせたら、それなりのもんよ。ただ、料亭みたいなキレイに焼いたり煮たりは苦手だから見栄えは良くないがな。で、お互いに料理当番を決めて、店を開ける前か、前の晩に夕食を作るのさ。それで良平さんは家に帰ってすぐに食うし、俺は店の合間にちょっと戻って、パパパって食うんだ。でも、今日は俺が何も用意してないから、良平さんにはここで食ってもらうんだけどな。良平さん、今日は牡蠣を生で食ったんですよ、良平さんもそうします?」
「いや、それなら俺は今日は焼きがいいなあ。焼いてもらえる?」
「お安い御用です。後、メシ炊いてないんで、トーストですが、僕とオミ君はガーリックトーストにしたんですが、良平さんもそれでいいですか?」
「ガーリックトースト?いいねえ、それで。」
「分かりました。じゃあすぐに用意します。オミ君、ちょっと手伝ってくれ。」そう言いながら、マサさんは、カウンターの中に戻った。僕も続いてカウンターの中に入っていく。
「オミ君は、さっき作ったガーリックバターを塗って、トーストを作ってくれないか?それが終わったら、悪いが俺とオミ君の食べた後の皿を洗っておいてくれ。」
「分かりました。」
マサさんは手際よく焼き牡蠣を作り、メンチカツを揚げた。僕はガーリックトーストを焼いた。
先生の前に皿が出されると、先生はがっつくように食べ始めた。
「よっぽど腹減ってたんですね?」とマサさんが言った。
「いや、祥さん聞いてくれよ。今日は会議だらけで昼飯抜きになっちゃったんだ。よっぽど牛丼でも食って帰ろうかと思ったんだが、今日は祥さんの当番に日だろう。何か作ってたら悪いなって思って、腹減った、腹減ったって言いながら、駅から歩いて来たんだよ。」
「そりゃすいません。何も用意してなくて…」
「いや、焼き牡蠣が美味かったし、久し振りにガーリックトーストも食べられたから、満足だよ。で、今日は何で店を閉めて、君ら二人なんだい?」
「ええ、それがね…」マサさんが、ここまで二人で話してた事をかいつまんで話した。
河端先生は、食べながら聞いた。
先生は食べるのが早い。先生は食べ終わると、僕の方を見て「しかし、意外だったねえ。秋葉君がコミュ障だなんて…僕はてっきり、やり手のモテ男だと思ってたよ。」
「モテ男だなんて、そんな…僕なんて全然ですよ。」
「そうかい?イケメンだし、スポーツマンのように思えるし…」
「いや、オミ君が言うにはスポーツは全然ダメみたいですよ。」カウンターの中で、先生のためのコーヒーを淹れながら、マサさんが言った。
「秋葉君、本当?君、学祭のうちのゼミの打ち上げの時、ムチャクチャカッコよく踊ってたよねえ。ダンスって、運動神経関係あるでしょう?」
「あっ、さっきマサさんにスポーツが苦手って言ったのは、チーム競技の事で…一人でやるヤツはまあまあなんですよ。走ったり、泳いだり。ダンスも一人で踊る分は問題ないんですが、ペアとか、グループで踊るのは苦手で…ホント、自分の思ってる事を上手く伝える事が出来ない人で…」
「そうかあ…結構マジなコミュ障なんだなあ…それにしても、君が藤谷君の事をねえ…いい機会だから、話そうか…藤谷さんがねえ、うちのゼミに入る前に、僕の研究室に一人で来たんだ。僕が用を尋ねると、「僕のゼミに秋葉君が入る事になったかどうかを教えてもらえませんか?って言うんだよ。その時すでに秋葉君がゼミに参加する事が決まってたから、入るよって答えたら、嬉しそうにそうですかって言って帰っていったんだ。それでね、僕はてっきり藤谷君が秋葉君の事を好きなのだと思ってた。そうじゃないの?」
「いや、そんな事はないです…でも、そんな事があったなんて、知りもしませんでした。」
「そう、彼女はそれも君に言ってなかったんだ。そりゃそうだよなあ。彼女、学校辞める前に何回研究室に来たっけ?」
「ゼミが始まって、2週間後にはもう休みがちで、1か月経たないうちに辞めちゃったんで、10回もなかったのではないかと思います。」
「それでも10回ぐらいは来てたんだ?そう、そうだな…10回は来てたように僕も思う。で、何で君はどっかのタイミングで、藤谷君に話さなかったの?」
「いやそれは無理ですよ。いきなり告って、すぐにフラれたら、その後僕どうやってゼミに参加したらいいんですか?第一、彼女があんなに早くいなくなるなんて思いもしなかったし…もっと、ゆっくり時間があると思い込んでいたんで…」
「ああ、そうか。そりゃそうだよなあ。分かるよ、その気持ち。で、藤谷君がいなくなって、思いが募って、後悔ばかりして…そんな感じだろう?」
「そうです。」
「思い返せば、僕もそうだったなあ。僕もね、最初にパンジーで昌代に会った時に、一目惚れだったんだけど、そっから、告白するまでだいぶ時間がかかったからなあ。半年ぐらいは店に通ったなあ。ある日、意を決して、何だか、色々と口実を作って、何とか昌代の休みの日を聞き出す事に成功したんだ。それでね、当時は携帯電話もなかったから、休みの前の日の閉店間際にパンジー行って、映画のチケット渡して…別に誰でもいいんだけど、良かったら一緒にこの映画観ませんか?って、誘ったんだ。今考えると、別に誰でもよかった余計だったよな。でも、それが僕の最大級のリスクヘッジだったんだよね。フラれた時の衝撃をできるだけ和らげる…でさあ、昌代、酷いんだぜ。こっちがそういう風にむっちゃ苦労して、映画誘ってるのに、チケット見て、この映画、主演の俳優が好きじゃないんだけどねえって言って、断られて…」
「ええ、それで終わりですか?」
「いや、そうじゃなくってね。あれ、夏の日だったんだよなあ。こんなに晴れてる日が続いてるのに、映画館なんて真っ暗なとこ行かないで、ドライブでもしないって言って。彼女がお父さんの車運転して、一緒に江の島に行ったんだ。で、一緒にサザエ丼食って、江ノ島のてっぺんまで登って、夕日見て…」
「何だそれ?ただののろけじゃないですか…いいなあ。それで、先生は昌代さんとお付き合いする事になるんですか?」
「お付き合いどころか、その江の島ドライブの2か月後には一緒に住んだよ。僕がこの家、実家に転がり込んでね。お義父さんは俺にも息子が出来たぞって喜んでくれてね。で、僕が大学卒業して、外資系のコンサルに入って2年目に結婚したんだ。」
「そんな早くに…スピード婚ですね…」
「いやだってほら、彼女をさ、一人にしておくと、他のヤツに取られるかもしれないじゃん。僕はそれがどうしても許せなくってね。だからさ。」
「俺だって、そうだぞ、オミ君。」マサさんがみんなの分のコーヒーをテーブルに置きながら言った。
「マサさんもスピード婚なんですか?」
「ああ、三日だ。」
「三日?」
「珠美はさあ、旅行で松島に来てたんだ。俺は言ったように漁師で、そん時俺は釣り人を乗せる船の船長で。彼女がさあ、俺の船の側を観光船で通りかかる時、俺は彼女に見とれたんだよなあ。で、船を港につけて、客を降ろして、後片付けしてる時にさあ、俺の船に珠美が来たんだよ。で、岸壁から俺に向かって、私に見とれてたでしょう?って、言ったんだ。これでも俺は男だぜ。女にそんな高飛車な態度を取られるなんて許せねえ。今風に言うとマウントを取る?そんな感じじゃん。だから俺は、見とれてねえよって言ったら、嘘ばっかり、ずっと私を見てたくせにって言うんだよ。癪に障るだろう。バカ野郎、俺がアンタをずっと見てたって、何で分かるんだよ?って言ってやったんだ。そしたらな、珠美がだって、私があなたをずっと見てたからって、言いやがったんだ。それでな、その晩からずっと一緒に過ごして、三日目に彼女が家に帰るのに俺はノコノコついていって、そんでお義父さんに挨拶して、結婚のお許しをもらって…」
「それで結婚ですか?」
「そう、そんで色々あって、釣り船辞めて、知り合いがやってる牡蠣の養殖手伝って、そのうち、自分で養殖始めて、で、珠美がレストランやる事になって…だな。」
「秋葉君は、この話初めて?」先生がうんざり顔で訊いてきた。
「ええ」
「僕なんてねえ、これ聞くの1万回目ぐらいだよ。」
「いや、良平さん、そりゃなんぼなんでも盛り過ぎだろう。」
「いや、それほど多いって事だよ。耳タコ」
「牡蠣なのにですか?」僕が真顔で訊いた。
「ありゃ、こりゃ一本取られた!」
「良平さんが話盛るからだよ。そろそろいいかな?」
「どうしたんだい?」
「さっきからオーブンで焼きイモ作ってるんですよ。食べます?」
「いいねえ。秋葉君も食べるだろう?」
「焼きイモって、サツマイモですか?」
「ジャガイモとサツマイモ、両方だよ。企業秘密だがなあ。ウチのポテサラにはちょっとだけサツマイモも入ってるんだよ。誰にも言うなよ。」
「そうなんだ…絶対に言いません。」
「嘘だよう。サツマイモの事は知ってるヤツは知ってる。有紀ちゃんなんて、おやつに焼きイモ焼いてやったりしてるもんな。」
「そうなんですね。でも、僕は全く気付きませんでした。」
「まあ、うちのポテサラはちょっとスパイスが効いてるから、分からないかもなあ。で、どうする、ジャガイモとサツマイモ、両方食う?」
「じゃあ、折角なんで両方とも。」
「よっしゃ分かった。」
マサさんがアルミホイルで包んだジャガイモとサツマイモを出してきた。先生は冷蔵庫へ行き、何かの瓶を持ってきた。
マサさんが、ジャガイモのホイルを開けると、イモから湯気が出て、ジャガイモの香りが広がった。そこへすかさずバターを載せていく。そしてその上に先生が瓶から出した塩辛のような物を載せた。
「先生、それなんですか?」
「これかい?昌代が好きだったカツオの塩辛だよ。君も載せるかい?」
「カツオの塩辛?珍しいですね。」
「鹿児島名物みたいだね。昌代たちのお義父さんは鹿児島の枕崎出身で、このカツオの塩辛がいつも食卓にあったらしくてね。特にこのジャガイモを食べる時は昌代はこのカツオの塩辛がマストで」
「それはウチの珠美もそう。絶対なんだよ。だから、俺も良平さんもジャガイモにはカツオの塩辛が必なんだ。」
「お二人とも、奥さんを愛してたんですねえ。」
「愛してたねえ…」二人の声はシンクロした。それが僕には羨ましかった。
三人でイモを食い、コーヒーを飲んだ。
二人はカツオの塩辛を載せたジャガバターを美味い、美味いと言いながら食べてた。
僕は美味いは美味いが、カツオの塩辛自体が馴染みがなく、そんなだった。

これまでの話の結論として、河端先生も明日、僕が直接美月に会いに行く事を奨めた。
今日の二人の話を聞いて、僕もそっちの方向へと心は傾きつつあった。でも、ちょっと躊躇する気持ちも残っていた。それを正直に二人に話すと、マサさんが「じゃあ、どうするかは別にして、彼女の実家の住所と、携帯番号、メールアドレスだけは書いてやるから、持っていけ。」と言い、自分のスマホを見ながら、メモ書きしてくれた。
僕はその紙を受け取り、二人にお礼とお休みの挨拶をして、店を出た。
夜空は澄んでおり、秋の始まりを感じさせた。

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