【創作大賞2024応募作ファンタジー小説部門】カザン #3
暑い夏の夜の熱を持ったアスファルトの匂いがした。ハイウェイ。首都高か?退避路肩にいる。タマゴ型のスーパーホワイトに輝く物体が横にある。そのタマゴを僕は何かよく分からない白く薄い膜ごしに見ている。ヌーっとタマゴから穴が開き、カザンが顔を出した。
「サカキも顔を出してみて」
自分の周りのラバーみたいな膜に手を入れると、膜から顔を出した。手触りはなく、不思議な感覚だ。
「じゃあ行くわよ。ついてきてね」
カザンのタマゴが弾けるように飛び出した。
タマゴの中で僕は頭を前にして、うつ伏せ状態で浮いている。
頭の中に閃きが走った。目の前で何かが弾けた。
すると僕のタマゴもすごい勢いでかっ飛んだ。
見たことがないような高架の道路。
一瞬で走り抜ける。
相当高いところに道路はあるようだ。
そのまま夜空に向かって飛び出しそうだ。
何キロ出ているのだろう。
ゲームでも経験したことがない疾走感。
爽快だ。
道路のオレンジの常夜灯が流れ、道路沿いのネオンサインがフラッシュし、色とりどりの光が尾を引く。
なだらかな上り下りのスロープ。魅力的なカーブ。
前を走るカザンのタマゴを追いかけて走る。
操作の仕方は全く知らない。
ただ前にある青白い光を追っているだけだ。
タマゴは滑らかに走る。
見た事がない景色。道路の左右には荒廃した都市が見える。
疾風のように走り抜ける。
潮風の匂い。生臭い。
その臭いが、熱帯夜の籠った熱を増幅させる。
マスクもしないで、外に出ること自体が随分久しぶりだ。
バーチャルの世界のはずなのに、何と言うリアル感。
清々しい。気分は最高だ。
目の前になだらかな上りカーブが見えた。その先にPAへの進入路がある。カザンのタマゴがPAに入っていった。僕も続いた。
カザンはタマゴから出て、PAの外側の見晴らしの良いところにいた。彼女へ向かう。彼女の向こうの景色が目に入る。
高架道路のすぐ下に海がゆったりとしたピッチで波打っていた。そのだいぶ向こうに、海面の上に建つたくさんのビル群。全部箱に入ったフライドポテトのように細長く均等に林立していた。
ビルの下は、銀紙を巻いているように太陽光パネルがついていて、その下には海の水が来ている。薄く波打つ海面の下には、荒廃したむき出しの土、廃墟、壊れて錆びた車、電車。多分中央線と丸ノ内線の車両が前後に見える。東京ドームの残骸は、ドームの膨らむはずの屋根がない。それらがぽつぽつと見える。ここはどこだ?到底東京都内のようには見えない。だが諦めて認めるしかない。東京タワーが根元辺りが海面に沈み、上から1/3のところで折れて、くの字に曲がっているのが見えた。
「ここが、私たちの街」
「そう、僕の住んでいた街でもあるね」
僕はそういうのが精一杯だった。この光景を消化するにはまだまだ時間が必要だ。
「ゲリラ豪雨と、海面上昇が重なった時に、東京タワーまで高潮が届いて、その性でタワーが折れたの。」カザンが、普通の声で説明した。
なんという未来なんだ。
「自由の結果がこれよ」
「…」
「人間のリーダーはミスをする」
「どういう事?」
「さっき動画でも言ってたように、全てのミスが始まったのが、あなたたちが今遭遇しているcovid19の感染拡大からなの」
「そうか、そうだな」
「そう、新型コロナウィルスは、なかなか抑えきれなかったわ。感染が収束するまでに何年もかかった」
「コロナウィルスを抑えられなかったから、結果として世界が戦争するのか?」
「それだけじゃないと思うけど、新型コロナウィルスがきっかけになった」「責任のなすり合い?」
「剥き出しのエゴよ。人間にしかない、到底理解しがたい感情」
カザンと僕の間にスクリーンが現れた。
夜の渋谷。
見たことがある光景。
Tシャツ姿の僕ぐらいの男。
後ろに2,3人の仲間。
恐らく2020年の映像だ。
「僕は、絶対にコロナになりません。自信があります」
マスクをせずに笑って答える明らかに酔っぱらった若者。
画面が変わった。
ロンドンのスーパーマーケット。
マスクをしていないおばさん。
マスクをしていない事を指摘しているアフリカ系の女性。
罵り合い、手が出る。
フロリダ。
若い男性。
「若い時間は短いから、遊びたいんだ」
「…」僕は何も言えなかった。
「これがあなたたちの自由。ウィルスを目で見たこともないのに、何故か勝てると思ってる。何の自信?」
「分からない…」
「これは、人間の驕りよ。一般市民ですらこうだったの。それがゆくゆく大惨事を引き起こすきっかけになった。こんな独りよがりみたいな主張を持ったモンスターみたいな人間の性でね。やがて映像に出てきた一般市民とは及びがつかないほどの強大な力を行使できるリーダーたちが動き出した。そして、一般市民の独善性とは規模が違い過ぎる破壊力を行使した」
「それが戦争か?」
「そう、地域紛争とは及びもつかないほどの地球に壊滅的な被害をもたらした戦争」
「僕は経験していないけど、事実だとすればこんなに悲しい事はないな」「これは事実よ。変わり果てた東京の景色を見たでしょう」
「ああ、見たけど、まだ頭が追いつかないよ」
「それは仕方がないわね。でも事実よ。そして、もっと悪い事実もある」「covid19を撲滅できなかった事だね」
「撲滅なんて、出来るなんて思ってない。けど、ウィルスの脅威をもっと真剣に受け止めていたなら、今はこんな事にはなってない筈だわ。」
「それはそうだろうな。認めるよ」
「認めて当然だわ。だって全部事実だもの。でも、ありがとう」
真っ白い部屋にいた。
窓の外は青い空が見えた。
カザンが目の前にいた。
「よく考えたらさあ。君は「人間の驕り」だと指摘したんだが、そう言う君だって人間じゃないか?」
「私たちは、ただの人間ではないわ。HANDANが統括する生態系を維持するための人間」
「どう違うんだ?」
「私たちはウィルスに勝てるとは思っていない。ウィルスが一番強い生物だと知っている。人間は弱いと知っている。他の生物と共生する事を最優先に考えている。つまり、地球の未来をより良くする事を願っている」
「僕らだって…」
「人間はミスをする。HANDANはいつも間違わない」
「…」
僕らは、地球の明日を考えているとは言えない。それは間違いない。自分の明日もぼんやりとしか見えていないのに、地球レベルで考えを至らせるなんて無理だ。
「ここは君の部屋?」
「仮想空間の私の部屋」
「君はリアルワールドにもいるの?」
「当たり前でしょう。存在するわ」
「あの高いビルの上の部屋に?一人で?」
「一度に質問は一つだけだと言ったわ。二つとも返事は、そうよ」
「何階に?」
「知らない。ビルを出た事がないから」
「生まれてからずっと一人って、寂しくないの?」
「同じ事、何度聞くの?一人ではないわ。仮想空間では学校に行っているし、友達もたくさんいる。部屋にはヘルスメーターがいる」
「何故、僕に会いに来たんだい?コロナを防ぐ力は僕にはないぜ」
「違うわ。人は治療薬を作ることもできるし、ワクチンを作ることもできる。でも感染が拡大する際の人が取る行動は防げない」
「怯えや、知識不足で、人と人が諍いを起こす事?」
「そうね。ウィルスの蔓延がきっかけで、世の中が憂鬱な空気感に包まれて、やがて例えばマスクのしてる、してないといったレベルの話ごときで人間は反目し合うようになり、やがて色々の複雑な事情が相まって、国単位で憎み合い、戦うのよ。おかしくない?」
「TVで、そんなニュースを時々見るけど、そんな酷い事になるとは思ってないね。想像もつかない。」
「それが、ウィルスの怖さなのよ」
「でも、それが本当に起こるんだとしても、全部が全部ウィルスの性ではないだろう?」
「勿論、それはそう。でもね、ウィルスのような目に見えない恐怖は、人間のエゴを増幅していくのは間違いないわ」
「じゃあ戦争とか政争みたいに憎しみ合うような色んな出来事は、たまたまリーダーたちがそれぞれの判断で引き起こしているのではなく、ウィルスの蔓延とかが起因しているというのかい?」
「いつもウィルスだけが理由になる訳ではないんだけどね。人間は自分たちが制御できない事全般に対して畏怖の恐怖を覚えるでしょう。例えば気象的な事だとか、地震のような自然災害的なものとか、そういうのが原因になる場合もある。でも、今回はコロナウィルスが理由なのよ。今みんな遠いと思ってるかもしれないし、気づいてもないかもしれないんだけどね。でも、その後歴史学者とかジャーナリストとか有識者が、そう解明しているわ」
「そうなんだ。じゃあ信じるとして、僕だけがそんな怖さを知っても仕方がなくないかい?僕が今こんな経験をしているのが不思議だ。なんで僕に教えるんだい?」
「私とあなたが同じ波形だから」
「波形?」
「遺伝子でつながっているの。私はあなたの子孫」
「子孫?マジか?」
「本当よ」
「僕を助けに来たの?僕はこの後、何か命の危機があるのか?」
「別にないと思うわ。私たちまで命がつながっているのだから」
「じゃあ、何故僕に会いに来たんだい?」
「私ね、大学で生命史を学んでいるの」
「大学生なんだ…それで講義を聞いたか何かをして、僕らの時代のコロナ禍が気になったの?」
「そうね、私たちと比べて、あまりに考え方が違っているのが気になる。」「それで、僕から色々と話を聞こうと思ったの?」
「違うわ。あなたと一緒に生活しようと思ってるの」
「一緒に生活って、どうやって?」
「あなたのスマホに入ることができたから、もう簡単よ。スマートスピーカーやスマートウォッチ、あなたのデバイスにいることができる」
「それで、僕はどうすればいい?」
「全部のデバイスにある私のアプリを立ち上げ続けてくれたらいいわ。いいかしら?」
「分かったよ」
僕らは2020年に戻る事にした。