【連続小説】ブルーアネモネ(12)
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野球が終わりTVが消えると、店の中は静かになった。僕はカウンターの上の皿やグラスを片し、洗い始めた。
「それで、秋葉君はどうするの?藤谷君に会いに行くの?」と、河端先生が訊いてきた。
「明日、伊豆へ行ってこようと思ってます。その話をしに、今日ここへ来たんです。」
「そうか、それは良かった。でも、君、今日もそうだけど、明日も平日だよ。いいの、会社は?あっ、遅い夏休みって言ってたっけ。」
「あ、いや、それが、僕、今日会社辞めてきました。」
「辞めたの?そりゃ思い切ったなあ。覚悟の表れかい?」
「それはよく分からないんですけど、昨夜、マサさんに言われたんです。自分に向き合ってみたらって。それ、帰ってからずっと考えてて…何でかって言うと、今まで僕、そんなこと考えた事なかったんですよね。いつも自分に自信がなくて…で、何で自分に自信がないのかを考えたんですよ。そしたら一個、分かった事があって、今まで、自分の事を自分で決めてこなかったんです。学校も友達も塾も部活も趣味も、全部予め決まっていたか、決めてもらったかのどっちかで、いつもお爺ちゃんかお父さんの言う事を聞いていればいいって感じで…それに自分で何の疑問も持ってなくて…野球だってそうです。おじいちゃんとお父さんは選挙区が兵庫なので、二人とも阪神タイガースの応援団の名誉顧問とかだったりして…でも、僕は阪神に興味がなくて、どっちかというと大谷とかが気になって、パリーグの試合を見たいって言っても、見れなくて…そしたら全く興味がなくなって…ダンスもそうです。僕、高校の文化祭でクラスのみんなでダンスパフォーマンスをやったんです。でも、僕はコミュニケーションを取るのが下手だから、みんなと一緒にフリを合わせるのが苦手で、でもダンスは好きで…そしたら、ウチのパフォーマンスのクライマックスのところでソロで踊れる事になって、で、僕の踊りにみんながついて来るようなエンディングで…ウチらのパフォーマンスが終わったら、スゲエ拍手貰って、歓声もスゴクて、僕、ムッチャ感動して、みんなと抱き合ったりして…でも、ウチの両親は見に来てなくて、後で上がった動画を親とおじいちゃんに見せたら「選挙区の会合の打ち上げとかに使えるかもな」って、おじいちゃんが言って、お父さんもお母さんもそれ聞いて頷いたりして、僕はそんなんじゃないよって思うけども、その場では言えなくて…そんな一個一個が、本当は疑問だったり、悔しかったり、嫌だったりしたはずなのに、僕はそれを全部スルーしてきていて…スルーする方が楽だからですよね。何も波風立たないし、誰も傷つかないし…でもね、美月ちゃんの事だけはスルーできないんです。スルーしちゃいけないんです。それが分かったから、分かったから…」
「だから自分に向き合うために、会社を辞めたという訳だね。」
「そうです。」
「聞けば君は藤谷君と殆どコミュニケーションを取ってないよね。それなのに、君は藤谷君に拘る意味は何なんだろう?」
「瞳ですよ。」
「瞳?」
「僕ら、コロナで外出制限が出てる時に入学したじゃないですか。だから、みんな学校に出てくる事が殆どなくて…でも、入学したての頃に、一回だけ学校に来る用があって、その時に彼女をふと見かけて…そん時ね、100%みんなマスクしてるじゃないですか。だから、全部の顔が見えなくて…マスクするとね、女の子は大体目が可愛く見えるんですよ。でも、そんなんは僕はあんまり興味がないんですけど…そう、普段はね、まったく気にしないというか、見てないんですよ、人の事。顔も姿もみんな。でも、あの時、チラッと見かけただけなんですけど、美月ちゃんだけ輝いてるように見えて…瞳がね、スゴいんです。キラキラしてて、吸い込まれそうで…」
「歌みたいだね。「君の瞳に恋してる」という事だ。」
「ホント、そうなんです。あの瞳に一発でやられちゃったんです。でも、そっからは授業は基本オンラインでしょう。画面の中に彼女の姿を探すんですが、全然見つからなくて…大体、一回あった時も名前も知らなくて、それでいきなりオンラインで、ずっと彼女の事が気になってるのに、名前すら分からなくて…」
「で、君は悶々としていたんだな。」
「悶々どころじゃないですよ。もう本当に気が狂いそうになるぐらいで。でも、変なんですよね。僕はそれまでそんな事になった事がなくって…自分で勝手に男子校の弱みと言ってたんですよ。」
「ああそうか、君は清廉学院第一高校出身だったね。第一は男子校だもんな。」
「そう、地方にある第二から第五までは全部共学なのに、何故か第一だけ男子校で…おかしいですよね。」
「まあそもそも清廉は全部男子校だったんだけどね。少子化の影響で地方は共学にせざるを得なかったんだよ。」
「だったらついでに、第一も共学にすればよかったんじゃないですか?」
「いやそこは、何というか、伝統というかね、理事会にも色々あるんだよ。横道逸れた。で、君はそれまでは女の人にそんな狂っちゃうような気持ちになった事がなかったんだ?」
「そうなんです。で、オンラインばかりの授業をこなして、3年生になりました。その最初のオリエンテーションの後、ひょっとしたらと思って、僕は学校へ行き、学生課の掲示板のところへ行きました。そこで、僕は彼女と再会するのです。でも、その時は僕は既に彼女の名前を知ってました、藤谷美月ってね。如何にオンラインばかりと言っても、流石に2年も授業を受けてるとね、画面の中で彼女を見つける事が出来たんですよ。」
「それで彼女が藤谷美月だと知ったんだ。やっぱ可哀そうだねえ。オンライン授業ばかりって言うのは…健全なキャンパスライフとは到底言えないもんなあ。」
「そうですけど、コロナだから仕方ないですよね。で、彼女を見れるオンライン授業は欠かさず出席して…」
「ひょっとして、僕の講義に君が皆勤賞だったのはその性かい?」
「まあ…そんなとこっす。」
「わっはっはっはっは…全く君って人は…どこまで正直なんだ?呆れるを通り越して、感心するよ。で、ゼミの選択の時に学生課で君は藤谷君と会うんだ?」
「あれ?それって、マサさんから聞いたんですか?」
「あっ!言っちゃいけなかったんだった。しょうがないなあ…そう、昨夜、祥さんから秘密ですよって言われて聞いたんだよ。でもね、祥さんを責めないでやって欲しいんだ。僕がね、藤谷君の事だったら、僕にも力になれるかもしれないと言ったんで、それで彼は話してくれたんだ。」
「えっ?先生も彼女と特別なつながりがあるんですか?」
「ああ、彼女がね、自分の実家がやってるホテルを海外展開できるようにしたいと言ってきた時に、お父さんを説得しなくちゃいけないという話を聞いてね。彼女の家がやってるホテルってのが、ホテルとは名ばかりで、結構歴史のある高級旅館が大きくなって観光ホテルになりましたってヤツなんだ。当主はお父さんでね、何だか6代目らしいんだけど、伝統を重んじる人みたいでね、藤谷君がお姉さんの夢を話しても取りつく島もないようで…それで、一度お父さんに僕から話してくれって言われて、お父さんの名刺をもらったんだ。でね、お父さんに電話をかけたんだが、やっぱり全く話にならなくって…でも、その翌日にお母さんが大学の僕の研究室まで来てね。突然の来訪だったから、こっちはビビったけどね。お母さん、真面目な人でね。僕の研究室に入ってくるなり「先生すいません、すいません。うちの主人が大変失礼な振る舞いをして…すいません」って、スイマセン攻撃さあ。こっちは面食らっちゃって…真面目なんだねえ。そうしてるうちにお父さんが突然倒れてね。脳梗塞だよ。幸い一命は取り留めたんだけど、左半身がマヒしちゃって今は全く動けないらしくって…そんなこんなでお母さんはその旅館の社長を務める事になって、お母さんは大変だよ。お父さんは寝たきりで、お姉ちゃんは亡くなったばかり、そして妹の藤谷君はそれが元で引きこもり状態。なのに自分は今までやった事ない社長業だろう。でさ、お母さん美代さんて言うんだけど、芯の強い人なんだけどね、やっぱ、心が折れそうになる時がある訳さ。そんな時ね、その時だけだけど、僕に電話くれてさ、相談って言うか、まあ愚痴だな。弱みを吐き出すのさ。その時にね、美代さんが藤谷君の事を話す事があって、それで頼まれて何度か藤谷君と話したり、会いに行ったりしてるんだよ。」
「そうなんですか…先生が、そんなに藤谷さんの家に関係していたんですか、知りませんでした。」
「そりゃそうさ。いくら学校を辞めた人間でも、我々教師が一生徒の家庭内に肩入れしているように見えてしまったら、色々と世間がうるさいからね。こっそりとやってたんだよ。」
「なるほど、分かります。それで、先生は藤谷さんの家がやってるホテル?旅館に行った事もあると?」
「旅館だけではなく、近くにあるご自宅にも行った事がある。リビングで藤谷君とお母さんともも話したしね。」
「えっ、自宅にも行ったんですか?しかも、藤谷さんと会ったと?」
「そう、お母さんに藤谷君が外に出るようにしたいから、説得してくれと頼まれてね、行ったんだ。でも、僕が話してもムリだったけどね。でもね、彼女、全く話をしないという訳ではないから、君が行っても会えるだろうし、話もできると思うよ。」
「本当ですか?」
「ああ、多分。だから、明日行ってみるといい。後で、お母さんには僕からメールしておくから。」
「分かりました。じゃあお願いします。」
店のドアが開き、マサさんが帰ってきた。
「オミ君、明後日の土曜日に引っ越しするから手伝ってくれないか?」
明日じゃないならOKだ。
「大丈夫です!」
「後、ショーゴたちにも声を掛けてくれ。」
「分かりました。」
「明日は行くのか?」
「行ってきます!」
「よし、頑張ってこい!」
「頑張ります!」
そう言った後、僕は自分の部屋に帰った。
明日は早起きしなくてはならない。そのためには早く寝なければならない。
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