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【連続小説】ブルーアネモネ(8)

マサさんは一度、店の外へ出て行き、すぐに戻ってきた。
「今日は臨時休業にするよ。有紀ちゃんもいない事だしな。ゆっくり話そうか?」カウンターの中に戻りながら、マサさんがそう言った。
「えっ?いいんですか?」
「ああ、河端ゼミの連中は、今日から助教の大川君の引率で台湾に研修旅行だから来ないし、他の学生は札見てよそに行くだろう。まあ、たまにはいいじゃねえか。」
「ホント、すいません。」
「いいって、コーヒー飲むか?俺も飲むから。」
「はい」
マサさんは、コーヒーの粉を入れ、アルコールランプに火をつけた。水が沸き上に上がってくると、粉を木ベラでかき混ぜる。この一連の作業はこの店に来てる時にいつも見ていた見慣れた光景の筈だった。しかし、マサさんがコーヒーを淹れる動きは優雅で美しかった。思わず僕はその動きに見とれた。
「しかし、オミ君がコミュ障とか、意外だったなあ。ホント、分かんなかったぜ。」
「それはそうだと思います。僕はこれまでの人生で、ずっとその事を隠し続けてきましたから。誰に会っても、絶対にバレないように」
「固い決意みたいなもんだなあ。それってやっぱり、政治家の血筋だから?」
「そうですね。政治家になろうとするヤツが、対人恐怖症だなんて、絶対秘密にしなきゃなりませんからね。」
「オミ君は、それを隠してでも政治家になりたいんだね?」
「なりたいんだね」と言われて、ガツンときた。なりたい?僕が?そんな事、自分で考えた事もなかった。
「マサさん、それはなりたい、なりたくないって話じゃないんですよ。僕になりたくないっていう選択肢はなさそうで…」
「なさそう?じゃあ、君の人生の進路を決めるのは誰だい?自分じゃなくて、おじいさん?」
「そうですね。」
「それはおかしいぜ、オミ君。自分の人生は自分で決めていいんだ。じゃないと、美月ちゃんのお姉さんや、俺の女房や娘、そして、良平さんの奥さんのように、自分の人生を思うように全うできなかった人に恨まれると思わないか?」
「それはそうかもしれない…」
「そうかも、じゃなくて、そうなんだよ。だから、君も自分で何になりたいか、自分がどうしたいのかだけを考えて生きてみてはどうだろうか?」
「それはそうとしても、僕にはどうすればいいのか、分かりません。」
「簡単だよ。自分の事を自分で考えるんだ。分かるまで。」
「分かるんでしょうか?」
「自分の事を自分で考えるんだぜ。分かるに決まってるだろう。」
「そうですかねえ…僕は自信がないなあ…」
「何で自信がないと言えるんだい?」
「そういう風に向き合った事がないからです。」
「君は人とコミュニケーションを取るのが苦手なんだろう?だったら、自分と会話してみたらどうだ?でもさ、何で、人と関わるのが苦手だと思うんだ?」
「それは自分に自信がないからです。」
「自分に自信がない…か?」
マサさんは急に席を立った。そして、「そうか、今日は店を閉めちゃったから時間はまだたっぷりある。だからお互い納得するまで話し合おうぜ。オミ君は明日も休みなんだろう?」と僕に訊いた。
「ええ、いいですよ。」納得するまで?できるのだろうか?
「じゃあ、この店の閉店時間の11時まで俺に付き合ってくれないか?」
「大丈夫ですけど、どうします?」
「まずは飯を食おう。メンチとポテサラは、いつも通りだが、牡蠣は生牡蠣で食おう。酒はないが、コーラならある。いいかい?」
「生牡蠣は、好物です。」
「じゃあ、早速準備するから、オミ君も手伝ってくれ。」
「分かりました。」


 
マサさんはメンチカツを揚げ、ポテトサラダの皿に盛った。そして、牡蠣の殻を開け、皿に並べた。牡蠣は10個もあった。
僕は、マサさんの指示通りに動いた。まず、レモンを串切りにした。そのレモンは生牡蠣の皿に載せた。次に、ニンニクを6片皮を剥き、すりおろした。そのにんにくをボウルに入れ、バターと合わせ、トーストに塗って、焼いた。
全部できたら、カウンターのテーブルで、二人並んで食べた。何も言わず、黙々と食べた。
生牡蠣は絶品だった。レモンを絞ると最初はレモンの香りがするのだが、身を噛んだ瞬間、口いっぱいに海の香りが広がった。あんまり美味いので、いっぺんに5個を立て続けに食べた。
生牡蠣には、コーラがよくあった。僕は下戸だから、この店のアルコール禁止は苦にならない。
メンチカツとポテトサラダは昨日も食べたし、何なら2年前に遡ると、年間100回以上は食べたお馴染みの味だが、さっきマサさんから聞いた話で、今までとはアプローチが全く変わった。ありがたみというか、特別感というか、会った事がない、奥さんの人柄まで感じられるような気がして、何というか、勿体なくもあり…本当に、食べるスタンスが変わった。
僕がそう感じているのが分かったのか、食べ終わると、マサさんが僕に向かって「味わってくれて、ありがとう」と言った。僕は「こちらこそ、教えていただいたありがとうございます。」と答えた。


 
マサさんは、皿をシンクにつけてから自分の分と僕のコーヒーを淹れた。コーヒーが入ると、マサさんが隣に戻ってきた。そして、自分のスマホを取り出した。
「オミ君は、さだまさしさんを知ってるかな?」
「ええ、名前だけですけど…」
「曲は聴いた事ない?」
「そうですね。」
「じゃあ、この曲を聴いてみてくれ。」
動画が始まった。マサさんが自分でスマホで撮った動画のようだった。
どこかの小さなコンサートホールだろうか?あまり、さださんのようなビッグネームが歌うところのようには見えない場所でさださんが歌っていた。

静かな歌い出し。
やがて大きな愛の歌だと分かるサビ。
そしてエンディング。

聴き終わった後、僕は泣いていた。

「何だ、オミ君、今日は泣いてばかりだなあ。大丈夫か?」そう言って、マサさんはティッシュボックスを僕によこした。僕は何枚も取り、涙を拭き取り、鼻をかんだ。
そう言うマサさんも泣いており、僕の次に無茶苦茶ティッシュを取って、涙を拭き、鼻をかんだ。
「やっぱダメだなあ。これ聴くと涙が止まらなくなっちまう。これな、震災の翌年にさださんが気仙沼まで来てくれてな。歌ってくれたんだ。「あなたへ」って、タイトルだ。オミ君は、この曲聴いて、美月ちゃんの事が浮かんだか?」
「浮かびました。っていうか、ずっと、彼女の笑顔が浮かんでました。」
「だったら大丈夫だ。自分の気持ちに自信を持てよ。俺な、この曲に救われたんだ。俺がアルコール依存症から立ち直ろうとしていた時、月に一回ぐらいの割で、良平さんは俺に会いに来てくれててな。ある時、良平さんからさださんのコンサートの事を聞いて、一緒に出掛けて行ったんだ。で、この「あなたへ」って曲な。これ聴いて、客席で俺も良平さんも号泣して…おっさん二人で人目も憚らずに、号泣だぜ。助かったのは、泣いてた客は俺らだけじゃなかった事だな。俺は珠美と愛、良平さんは昌代さんしか浮かばなかったんだ。オミ君が美月ちゃんの事しか浮かばなかったんなら、それは本物だと思うぜ。」
確かに、この曲の歌詞は全部胸に刺さり、救われる気分になった。そして、救われた先に美月ちゃんの笑顔があった。
気持ちが前に向いた。
「美月ちゃんに会いたいです。」
「自信は持てたか?」
「はい」
「じゃあ俺が知ってる彼女の住所と、携帯番号なんかを教えてやるから、明日行ってこいよ。」
「えっ?いきなりですか?マサさんが事前に連絡してくれないんですか?」
「俺がメール打ったところで、すぐに返信はないだろうし、俺が書いた文章じゃあ、君の思いが正確には伝わらないだろう。かと言って、君がいきなり電話したり、メール打ってもやっぱり本当の思いは伝わりにくいと思うし、下手すりゃ、誰が自分の番号を教えたんだって気持ちになりかねない。どうしても、彼女に会いたいなら、直接会って、顔見て思いを伝えるのが一番いいと思うぜ。」
「いや、やっぱマズいっすよ。今は令和だから…コンプライアンス的にどうかと思いますし、大体直接行ったら、ストーカー呼ばわりされるかもしれないし…」
「バカ野郎!会いたい気持ちに昭和も令和もないんだよ。オミ君、君の美月ちゃんを思う気持ちは真っ直ぐか?」
「真っ直ぐ?」
「鈍いヤツだなあ。真剣か?と訊いてる。」
「そりゃ、真剣ですよ。」
「じゃあ、真っ直ぐだな。」
「真っ直ぐです。」
「真っ直ぐな思いは必ず伝わる。だから、心配してないで、行ってこい。」
「でも…」
 
「ただいま。祥さん、今日何で臨時休業なの?」河端先生が帰ってきた。

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