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【創作大賞2024恋愛小説部門応募作】ブルーアネモネ(2)


ブルーアネモネは、外観に変化はなかった。それは当たり前だ。たった半年ぐらいで、急に古びたり、小さく見えたりしないものだ。でも、久し振りだから、ひょっとしたら何か違って見えるのではと思っていた。でも、全く変わりがなかった。
店のドアまでに外階段を4段上がると、入口の横の大窓から中が見える。日差しが強い日はブラインドが降りてたりするのだが、夏の終わりの今日は落陽の時間とはいえ、そんなに気にならないようで窓は全開だ。
僕はドアを開ける前に、窓から中を見た。
客はまだ誰も来ておらず、どうやら僕が一番乗りのようだ。
カウンター前で、アルバイトの有紀ちゃんが、テーブルを拭いている。
そして、マサさんは、もう一つの窓際に置いてある青いアネモネの咲いているプランターに水やりをしている。そう、この店には青いアネモネが一年中、生花で飾られている。
マサさんが、店の横にある庭に作った小さな温室で、一人で青いアネモネを栽培しているらしい。
マサさんは、兎に角この青いアネモネが好きなんだそうで、だから店の名前もブルーアネモネにしたらしい。
店の中には開店前ののんびりとした空気感が流れている事が、僕に伝わってくる。こうなると、僕はちょっと困る。こんな穏やかな空気を壊してまで入り込んでいく強さが僕にはないからだ。
途端にドアを開けにくくなる。そして、僕は窓の前で立ち竦む。
「オミ君か?」窓越しに僕を見るマサさんが声を掛けてきた。僕の名前は、秋葉和臣(あきば・かずおみ)で、ゼミの仲間からは「オミ君」と呼ばれていた。だから雅さんも僕を見て「オミ君」と言ったのだ。
僕は、小さい声で「ハイ」と言い、ドアを開けて入っていった。中ではマサさんが迎えてくれて、僕の前に立ち、大きな両手で僕の左右の肩を握り、「おかえり」と言った。僕は「ただいま」と返した。有紀ちゃんも僕のそばまで来てくれて、「お久しぶりです。いらっしゃい。」と言った。
そう、マサさんはとても大きな人だ。身長は190mあり、いつも身体を鍛えているようで、腕も肩もでかい。しかし、太ってはおらず、パッと見は細身に見える。僕は174㎝しかないので、今のように肩を掴まれていると、はたから見ると、プロレスラーに肩を固められているようにしか見えないだろう。
「久しぶりだなあ…いつぶりだ?」
「謝恩会の翌日に寄ってから以来ですから、もう半年になります。」
「スーツ姿は就活中によく見てたが、今はスーツが板についてきたみたいだなあ。」
「そうそう、見違えちゃうよね、マスター?」有紀ちゃんがおどけて言う。
「そんな見違えるだなんて…」
「いやあ、見違えたよ。スーツもリクルート用じゃないしな。」
確かに僕は、薄いグレーのサマースーツにノーネクタイで、リクルートスーツとは大違いではある。でも、まだ暑いのにジャケットを着なければならない今の仕事には些か辟易とし始めているところだ。
「まあ、これでも会社員になって、もう半年も経ちますからね。そら、リクルートスーツみたいな野暮なもんは着てはいませんよ。でもね、今時、この暑いのにジャケットを着なければならないなんて、嫌な仕事ですよ。」
「でも、自分で志望したんだろう、広告代理店?」
「ええ、確かに。でも、営業に配属される予定じゃなかったから…データアナリスト的な仕事をしたかったんですけどね。」
ドアが開いた。「何、入口で再会を祝ってんだよう。じゃまで中に入れないじゃん。」
同級生の山岡祥吾がTシャツにジャージ生地のゆったりとしたパンツで入ってきた。相変わらず髪はプラチナブロンドだ。
「ショーゴ!お前は許さねえぞ。就職した訳じゃねえんだろう?だったらウチに寄れるチャンスはいくらでもあるんじゃないかい?」と、マサさんが言った。僕はマサさんがそのように言うと、茶化しているようには聞こえず、本当に説教されている気分になりそうになる。でもショーゴは違った。
「いや、マサさん、俺、そんな暇じゃねえっすよ。何せ、自分で会社立ち上げようとしてますんでね。」と、軽くいなす様な口調で言った。
「そう言ってたけどなあ。で、いつ会社はできるんだ?」
「いや、絶賛スポンサー募集中なんですよ。マサさん、出資してくれません?」
「バカ野郎、この店にそんな金、ある訳ないだろう?儲かってねえ事ぐらい察しろよ。」
「そりゃ、そうっすよねえ。すいません。」
「なんかそのすいませんは、腹立つなあ…」
ドアが開いた。
「ただいまあ」河端先生だった。後ろに松井沙織もいた。
「何だ、サオリも一緒かあ。何だか先生とサオリが一緒に入ってくると、同伴みたいじゃん。」今度は間違いなくからかうようにショーゴが言った。
「そうなんだよ。僕もちょっと居心地が悪くってねえ…」
河端先生は、いつも通りのジャケット姿だし、サオリは相変わらず港区女子のようなゴージャスな雰囲気だし、夕方だし、確かに同伴のように見える。ただ、ここは銀座でも六本木でもなく、高見が原なんだけどね。
「えー、何、先生、私は商店街の通りで声かけたら、嬉しそうにしてくれたじゃん。何で?」
「いや、でも、松井君、君、僕に声かけた後、いきなり僕と腕組んだだろう?ありゃヤバいって。誤解されかねない…」
またドアが開いた。
「今晩は!みんな揃ってる?」と言いながら、大木朱音が入ってきた。アカネは、明るいのが取り柄で、ゼミの仲間の中でも一番のムードメーカーだった。だから今日も明るい大声で挨拶をしながら入ってきた。
「もうそろそろ、みんな座ったらどうだ?」いつの間にか、カウンターの中に戻っているマサさんが、僕らに声を掛けた。確かに、この狭い入口付近には似つかわしくないほどの混みようで、まるで乗車率200%の満員電車のようだ。
マサさんに促されて、僕らは順番に席に着いた。河端先生は着替えてくると言い、店を出た。
不思議なもんで席順は昔通りだった。
うちのゼミの僕らの年代は、男子3名、女子3名だったのだが、途中で美月がいなくなったので、女子は2名。左の一番奥の席は、河端先生の指定席で、その隣から男子が3人角を含めて続き、その後、女子が2名座る。今は河端先生は着替えに行ったので空席だが、河端先生の席の隣が僕、角を挟んで次がショーゴ、そしてまだ来ていない川崎隆太の席を空けて、サオリ、アカネと続いて座った。
みんなが席に着くと、有紀ちゃんが熱いおしぼりと水が入ってコップを配って回った。
「で、みんな何飲む?」
「私はいつもの、濃いめの紅茶にミント。」いの一番にサオリが言った。サオリは外見に似つかわしくなく、昔から苦いのがダメで、コーヒーが全く飲めない。因みに酒も全く飲めない。
「ああ、サオリンのは分かってるよ。もう湯を沸かしてるから。他は?いつものでいいか?」
「MSをSで!後、氷の入ったグラス!」「俺も」「俺の同じで」「私はMSSと牛乳と氷」
MSとは、マサスペシャルの略で、マサさんオリジナルブレンドのコーヒーの事で、その後のSはストロングという意味。つまり濃いめのマサスペシャルのコーヒーをもらい、氷の入ったグラスに入れて、アイスで飲むという注文をした事になる。
アカネが頼んだのは、それのカフェラテ版だ。
「分かったよ。今から順番に入れていくから。」
カウンターの中には、サイフォンが6本もあり、マサさんは順番にコーヒーを点てていく。
マサさんが、サイフォンにコーヒーの粉を神経質そうに測りながら、順々に投入していく時、何故か店の中は静まる。マサさんは大柄だし、手はデカく、無骨そうなのだが、コーヒーを淹れる時の手の動きは繊細で美しい。その姿にみんな見惚れてしまうのだ。
そうしているうちに、有紀ちゃんが全員分の氷の入った大ぶりのグラスを持ってきた。
みんなに配り終わる頃、河端先生が店に入ってきた。先生はいつも通りラフなマドラスチェックのシャツに明るいクリームイエローのスラックス姿で、指定席に座った。
先生の席には氷の入ったグラスはなかった。先生はこの店で、熱いコーヒー以外を飲まない。
まず先生のコーヒーをマサさんがカウンター越しに手渡しした。先生のコーヒーは自分の大きめのマグに入れて供される。これは決まりだ。先生のマグは白く、Be Free!と書いてある。
このBe Free!のマグは、カウンターの背面にある飾り棚にもう一つ置いてあり、先生は最初の一杯を飲む前に、自分のマグをカウンターのマグに向けて軽く掲げる。普段ならこの後熱いコーヒーが冷めないうちに最初の一口を飲むのだが、今日は掲げるだけにしておいていた。
みんなのコーヒーが配られ始めた。マサさんは既にサオリ用の紅茶を淹れていた。
紅茶も出来た。みんなグラスに移し、アイスの飲物が出来た。
「じゃあ、再会を祝って乾杯しようか?」と、今回の幹事役であるショーゴが言った。
「ちょっと待ってください。今回連絡をもらった時に、メールでひょっとしたら、藤谷美月さんが来るかも、と言ってたんですけど、彼女は来ないのでしょうか?」と僕が言った。
「ああ、ミツキちゃんなら、私がきいてたメールアドレスで、今日の事を知らせておいたんだけどね。返信なかったし、来ないんじゃないのかな?」とアカネが答えた。
「えっ?アカネはメールアドレス知ってるの?」
「うん、仲良かったしね。知ってるよ。」
僕は美月が大学を辞めて、グループラインから抜けてしまった時、連絡方法を失くしていた。彼女はラインを止めてしまっていたし、他のSNSも一切やってなかったからだ。
でも、アカネは知ってる…
「アカネ、後で僕にそのアドレスを教えてくれないか?」
「ええ?それはちょっとダメなんじゃない?オミ君は何でミツキに連絡取りたいのよ?好きなの?」
「いや、そんなんじゃないよ。彼女、急に学校辞めてしまっただろう。あの時僕は彼女にノートを借りっぱなしだったんだ。それを返さないと、どうもね、スッキリしなくて…」
「何だ、そういう事?じゃあ、いいわ。私がオミ君のアドレスを聞いて、ミツキちゃんにメールするわ。それでミツキちゃんがそっちにメールを送りたいと思ったら、オミ君に連絡する、そういう事でどう?」
「秋葉君、それでいいかな?そろそろ乾杯したいんだが、折角のコーヒーが冷めてしまう。」河端先生がそう言うと、僕は先生に向かって「先生、すいません。それで大丈夫です。」と言った。
それを聞いてアカネは親指を立て、OKを知らせた。
「じゃあ、山岡君、お願いしていいかな?」と、河端先生が言った。するとショーゴが席を立った。
「えー、ご指名に預かりました私、山岡祥吾が、乾杯の音頭を務めさせていただきます。今日はみなさん、お忙しい中でお集まりいただき、ありがとうございました。また、マサさんに置かれましては、今日は平日なのに、お店を貸し切りにしていただき、ありがとうございました。別に絶対に集まらなきゃならない理由なんてなかったんだけど、こないだ、ふと、「そう言えば、今月は河端先生の誕生日月だな」って、思い出して、それで、よく考えたら、「今年、先生は還暦の年じゃね?」ってなって、それでみんなに声がけして、サプライズで先生にお祝いしようと思ったって感じなんです。で、先生、今月確か誕生日ですよね?」
「そう、9月の20日ね。確かに誕生日だよ。でもね、僕はまだ還暦じゃない。今年58歳だよ。」
「えっ?」
「出た出た出た…ショーゴの早とちり。いつもの事よねえ。」とサオリが茶化して言った。
「まあ、いいじゃないか。お陰でみんながこうして集まれたんだし…料理はいつものメニューしかないが、シフォンケーキも焼いてあるし、プリンも作ってある。酒はないが、今晩は楽しんでいってくれ。」とマサさんが言うと、「そう、みんなで集まれたのが奇跡です。じゃあ、乾杯しましょう。」とショーゴが言葉を継いだ。
「みなさん、グラスをお持ちください。先生とマサさんはマグで、有紀ちゃんももらってる?OK。じゃあ乾杯します。かんぱーい!」
みんなグラスを掲げ、乾杯と言った。
楽しい夜が始まった。
 

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