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日本を原(たず)ねて 心の健康 ストレス解消 【福沢諭吉】

7福沢諭吉 (1835~1901)
未来をひらく福澤諭吉展 産経新聞 (2008年12月11日)
慶応義塾大学ア―ト・センター前田富士男所長に聞く、…文久2(1862)年幕府遣欧使節団の通訳として英国やオランダを訪れた際、日本人として初めて欧州の文明文化の実態を見た福沢は、文化の保存の大切さに気付いた。…「国の光は美術に発す」という福沢の書がある。前田所長は「国の大切なところは、文化に現れる、という考えなのだろう」と解説。

よって日本古来からの生活感情をあらわしている。

未来をひらく 福澤諭吉展  (大阪市立美術館 図録)
 第7部 たしかめる共感—福沢門下生による美術コレクション
 福沢は「国光は美術に発す」との一幅の書を残している。 
 国光は美術に発す—この福沢の書幅は、文芸芸術が政策上の問題ではなく、下からの文化活動を欠いてはありえない。とする批判のメッセージと理解したい。福沢のもとに育った文化人「小林一三(1873~1957)、松永安左エ門(1875~1971)など」たちは、その感性の翼を美術作品、文化財のありうべき「公と私」との圏域に市民の下からの「共感」の場に、はばたかせたにちがいない。  234ページ235ページ

国が真に独立に値するためには、単なる物質的豊かさだけでは足りないことを強く意識していたのである。(福士)                   238ページ
「国光は美術に発す」との一幅の書は、福沢門下生によりコレクションされた。
 例夢記切 明恵筆 (松永安左エ門)(耳庵)旧蔵       278ページ
 (明恵上人 あるべきようは)

 「あるべきようは」は、日本古来の生活感情である

松永安左エ門と松永コレクション 尾崎直人
松永安左エ門と福沢諭吉
 福沢諭吉とはそもそも如何なる人であったか、一言もってこれをおおえば—ホール・ネイチュア(Whole Nature)の人—複雑多岐をきわめた日本の近代化変革のなかに大きなスケールいっぱいに闊達自在に生き抜いた自然人だった。その唯一人といわなければならない。あるいは、日本の生んだ最初で最大の自由人であったかもしれない。  363ページ

数寄者として耳庵・松永安左エ門と松永コレクション 尾崎直人
 耳庵松永安左エ門の茶への関心は、…教養やステータスの具ではなく、生活を美的に生きるための実践的方法論と考えていたようである。         359ページ

よって日本古来からの生活感情をあらわしている。

福沢諭吉の日本皇室論—現代語訳 平沼赳夫監修 池田一貴訳 財団法人無窮会編 
                             島津書房
 帝室論
  ここで私が特に注目するのは、日本固有の技芸である。今日それを保存したいと考えれば難しいことではなく、逆に放置閑却すれば根絶する恐れのあるもの、これである。
日本の技芸には書画があり、彫刻があり、剣槍術、馬術、弓術、柔術、相撲、水泳、諸礼式、音楽、能楽、囲碁将棋, 挿花、茶の湯、薫香など、その他大工左官の術、盆栽植木屋の術、料理割烹の術、蒔絵塗物の術、織物染物の術、陶器銅器の術、刀剣鍛冶の術、など、私はこれらすべてを逐一記すことはできないけれども、その項目はおびただしい数にのぼることだろう。
これらの諸芸術は、日本固有の文明であり、今日その勢いは、すでに激震に襲われて次第に衰えようとしているため、それが消滅しないうちに救出することは、実に焦眉(しょぅび)の急であると言わねばならない。…このような場合に唯一、頼みとして望みをつなげるのは、ただ帝室あるのみである。
 帝室は政治社会の外に立って、高尚な学問の中心となり、同時にまた、諸芸術を保存して衰頽(すいたい)から救いたまうことがおできになるのである。    53ページ
 
 福沢諭吉は日本古来からの生活感情をあらわしている。

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