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ロビンソン・クルーソー、ディティールのドラマ

ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』が今回の本でした。
1719年に初版された小説なので、3年前で出版300周年だったんですね。
岩波少年文庫版を読んだせいかもしれませんが表現がわかりやすく、しかし無人島でのサバイバルを描いたその内容は生々しく感じられました。また、生々しさは内容だけでなく語り口もそうで、たとえば自分のための砦を築くくだりを一通り述べたと思ったら、時間を遡って野生の生き物をどうにか飼いならそうとする話をはじめる、というように、経験談を思い出したままに語っているという構成でした。

アンディ・ウィアーのSF小説で『火星の人』という作品があります。アメリカで2011年に出版された本ですが、日本語版のあらすじをそのまま書き写すとこうです。

有人火星探査が開始されて3度目のミッションは、猛烈な砂嵐によりわずか6日目にして中止を余儀なくされた。(…)火星に一人取り残されたマーク・ワトニーは、すぐさま生きのびる手立てを考え始めた。居住施設や探査車は無事だが、残された食糧では次の探査隊が到着する4年後まで生きのびることは不可能だ。彼は不毛の地で食物を栽培すべく対策を編み出していく。

火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫あらすじ

まさにロビンソン・クルーソーの2010年代風バリエーションです。また、解説で紹介されている著者ウィアーの言葉は、逆に『ロビンソン・クルーソー』の魅力の説明としても読むことができます。

ぼくのシナリオが長篇を成り立たせるかどうか、心配じゃなかったかって? リアルな話にしようとすれば、退屈な物語になるんじゃないかと思わなかったかって?
実は、心配だった。
でも、書いているうちに、ある啓示が開けた――科学がプロットを創りだすんだ! 複雑きわまる問題と解決のひとつひとつを検討しているうちに、そうでなかったら気がつかなかった些細なディティールが、マークの解決しなければならない重大な問題になった。隕石の直撃は必要ない――不意打ち、災厄、危機一髪はつぎからつぎへと、ひとりでにやってきた。

火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫解説 

「隕石の直撃」のような劇的な出来事は必要ないとはいえ、『ロビンソン・クルーソー』の終盤で蛮族や反乱船との戦いから無人島脱出へつながったように、『火星の人』においても火星脱出のシーンはやはり劇的です。
ただ、物語の肝はやはり「些細なディティール」にあります。NASAには「問題を片づけるときはひとつずつ」というセオリーがあるそうですが、『ロビンソン・クルーソー』においても、安全な住処として洞窟を掘りたい、洞窟を掘りたいがスコップがない、スコップをつくるために固い木が必要だ、そのための木を探しに行こう……という風に、生存のために片付けなければならない問題を地道に処理していくことが、そのまま物語になっています。
わざと大きな話に広げれば、物語というものは必ずしも「劇的なこと=ドラマ」だけで出来ているのではなく、「日常的なこと=ディティール」がなくては成り立ちません。あるいは、『ロビンソン・クルーソー』や『火星の人』のような物語においては、ディティールがドラマを連れてくるのであり、ディティールこそがドラマであるのです。

最後に、今回の本では宗教(キリスト教)への目覚めも重要な出来事として登場しました。この辺のテーマも、いずれ別の本を読んでみたいところです。

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