見出し画像

朔夜 すべては私の掌に 第二部 雲野  

第二部 雲野(くもの) 一~十五

 一、
 
 七色に煌めく雲海の果てから、一条の強い光が放たれ私を射た。

「朔夜さま、発つ時がきました」
「降ろせ」
「………御御足(おみあし)は、癒えたでしょうか」と、私を背負う彦火。癒えていないのは彼も。しかし、あえて私を背負い、それを鍛錬とする。愛おしい。
 わずかな沈黙後、つま先が地に着く。予想した痛みは消えていた。 視線が下がり景色が変わる。一瞬ずれた雲間からの光が、日の出とともに、雲海を深紅に染めながらゆっくりと私に戻る。記憶のひとつが蘇る。
「彦火、背丈は? 」
「はい、百九十センチです」
 立てている。砕いた骨はつき、重い体をようやく支えた。
 しかし違う。千年前に失った、私の視線を取り戻すことも決意。
 傷つけてしまった富士を後にすることにした。

 館を守る森の一部が焼かれ、その再生にはかなり時間がかかる。再度の攻撃は、館そのものの存亡にかかわる。朔夜様の館さえ、火には抗えないと知る。
 それに、大半は敵に組みしたとはいえ、多くの命を失った。次なるものの襲来がどうあれ、戦いに同じ場や状況をつくるわけにはいかない。高天原のものから完全に身を隠すことなど不可能だか、朔夜様の生きる場を変える。
「それにしても、太平洋の孤島かよ」
「選択肢のひとつだ」夜織の声が消えてしばらくしてから、明が答えた。
「俺は選択肢とやらを聞いてないぜ」
「警視総監をしている彦火の父上と相談しての結論だ」
「なぜ、その場に俺を呼ばなかったんだ」
「代案はあったのか? 」
「………」
「夜織、すまなかった。同席してもらうべきだった」と、言葉を挟んだが、
「彦火、気にすんな。俺には『代案』など無い」そう呟くように口にした夜織は、日が落ちて黒い闇を写すだけの船窓に視線を向けた。明は壁に付けられたベッドに横たわり目を閉じたまま。
 一等船室とはいえ、小笠原丸は豪華客船では無い。すでに耳や体は慣れ始めたが、船室には終始エンジンの規則正しい軽い振動と低い起動音が流れている。
 常立との戦闘を終えて館に戻り、駆けつけた「特殊班」という医療チームに朔夜様が別室で手当を受けている間、私たちもそれぞれに別の医療チームに傷の手当てを受けた。久蔵と呼んでいた五瀬は大量の出血で気を失っていたが、防人の我々は覚醒したままだった。
 私は蘇った足と戦闘の興奮で混乱していたが、明はその時から戦後処理とに、襲い来る祖神(そしん)への対策を巡らせていた。しかし夜織は、卑墨という男への復習心が再燃し、応急手当が終えた瞬間、明の制止を振り切って館を飛び出した。
 夜半に戻った夜織は明に呼ばれても従わず、私が声を掛けた。
「奴は敵の司令官だった。七次郎を直接殺したと言い切り、菊池代や勝四郎を戦死させた。やはり死に値する! 」と、主張する夜織。
「夜織を制止したのは明ではない。朔夜様だ」
「それはわかっている。しかし、朔夜様も、敵の幹部を射殺したではないか! 」
「そのご行為がなければ? 」あえて問いかけた。周囲にほとばしっていた夜織の殺気が、すっと消えた。
「………俺たちは戦死していた」明かりの少ない館の広間に、夜織の声が静かに響きわたった。背後に遠く、明の存在を感じた。だが、その時以来、二人は言葉を交わさなくなった。
 小笠原諸島の父島への移住の準備中も、夜織はほとんど館にいなかった。その後も卑墨という男を追っていたのだろう。すべての準備を終えた、出航直前に現れた。私の知るかぎり、さっきの会話が常立の戦闘後初めてのものだった。
 雲野という祖神の降臨の兆しはまだない。次なる襲来の前に、明と夜織の関係修復という重責を担い続けている。

 二、

 晩秋の晴天に、視界いっぱいの海原を進む。船の進行方向。鮮やかな紺碧が競い合う水平線を見詰め続ける朔夜様に、付き従っていた。
 朔夜様には「五瀬」と呼んでいただけるようになったが、他のみんなには相変わらず「久蔵」と呼ばれている。その名を聞くたびに、二ヶ月前の戦闘を思い出す。右足のふくらはぎに受けた貫通銃創は癒えつつある。しかし、凄惨な死闘により仲間たちを失った心の傷は、癒えることは無い。それでも、朔夜様の侍従という身に余る使命を担ったおかげで、日々前を向くことが出来ている。
 戦いの直後、治療のために朔夜様の館の中で一週間ほど過ごした。少し動けるようになった時、父の執務室で一通の手紙を見つけた。宛名は五瀬織部、自分。ためらうこと無く封を切った。
 手紙には、父の知る限りの朔夜様という存在について自分に伝えるものだった。書いた日付は戦闘前日。直接伝えることが出来なくなった時を想定して。生き残れば侍従を次ぐ、朔夜様を知らない自分のために。

 朔夜様は、人々が高天原と呼ぶ異空間に住まう『神』と呼ばれるものの血を引いて生まれ、その異空間のものたちが創造した地上に人を生み落とした。三人の防人は朔夜様の最初の子であり、この度選ばれた隼チームの六人や五瀬一族は、その三人の子孫で血縁の最も濃いものたちだった。
 朔夜様は不死の存在だが、高天原と異なる環境の地上世界では、五十年の覚醒期間と百年もの休眠期間に縛られることとなった。休眠から目覚められた時は一時的に記憶も失い………そして子孫も、地上の寿命に支配されて老いと死、誕生を繰り返し現在に至る。
 そこで、朔夜様をお守りする防人の使命を担う最初の子の三人は、その子孫に同じ能力を持つ子が出来て役割を引き継ぐ。五瀬一族は、防人から朔夜様の百年の眠りを維持する役目を担った血縁。これらの仕組みも、地上を住処とされた朔夜様が創られた。
 高天原のものたちは、自らが創造した地上世界とそれを託すこととなった朔夜様を、初めは暖かく見守っていた。
 しかし、朔夜様の子孫たちが増え続け繁栄する営みにいつしか嫉妬し、自らが創造した緑の山野を造り変える人の諸行に激怒した。
 朔夜様は、高天原のものたちが地上から人を駆逐しようとする企みを知り、たとえその手が及ぼうとも生き残れる新たな存在を、千年掛けて自らの体内に宿して生み出そうとした。
 しかし、そのご行為を知った高天原を統べるものは、七代の始祖の神を、様々な生き物に憑依するかたちで地上に降臨させ、朔夜様ご自身を抹殺しようと企てた。そして、防人たちを中心とする朔夜様の子孫たちと戦(いくさ)に………。
 死闘は、幾多の憑依体や、その宿主とされた人に操られ組みするものたちとの間でつづき、善戦したものの防人たちが敗れ、朔夜様の試みは一旦無に帰する。
 この戦いで、祖神の数体は痛手を負い昇天。最後の戦で朔夜様は抹殺したと誤解。そして、朔夜様無きあとの人の営みは、その愚かさを正す存在を失ったがために、やがて自滅するだろうと放っておかれた。確かに人は、いがみ合い敵対し、いつ自滅してもおかしくない今がある。
 だが、瀕死の傷を負いながらも生き延びた朔夜様は、その後の千年で改めて次なるものを体内に宿し、此度、それを生み出すために目覚められた。
 高天原のものたちも誤解に気づき、再度の朔夜様の試(こころ)みを知り、最初の祖神『常立』を降臨させて先の死闘に。

「五瀬、島影が見える」と、朔夜様。その視線を追う。水平線の果てに、わずかに浮かぶ小さな影を認めた。朔夜様の横顔をそっと伺う。微笑まれている。強い日差しにくっきりと浮かぶ清々しい輪廓が、宝石のように輝きを放っている。

三、
 
 陽光に包まれた二見港にゆっくりと接岸する小笠原丸を、二年ぶりのに身につけた海上自衛隊の純白の制服姿で出迎えた。
 十月もあとわずか、観光客の姿は少ない。船に渡されたタラップで下船する行列が途切れ、宿からの迎えや観光案内の職員も捌けてから、鋭い視線で露払いのように周囲を牽制する夜織がタラップに現れた。次に、明に導かれた朔夜様の姿を認める。寄り添う久蔵……いや五瀬。そして最後尾につづく自らの足で歩く彦火。無事のご到着に目頭が熱くなる。
「とうとうお出でいただけましたな………なんという幸せ」私の背後で、背が高く胸板の厚い老人が言葉とともにひざまずく。
「お爺さま、あの小柄な少女が? 」振り向くと、大柄な体躯の二人が老人の両脇を支えるように寄り添っていた。
「そう、まさしく朔夜様だ」老人の言葉の直後、一瞬私に注がれた二人の視線に小さく頷くと、二人ともひざまずき頭(こうべ)を垂れた。ようやく僅かな佇まいに見分けのできるようになった。老人の孫で双子の少女たち。
 視線を戻すと、一行は間近に。朔夜様がこちらを見ていた。サングラスをはずし、赤い瞳を私たちへ。あわてて帽子を取り、ひざまずく。地面に着いた膝の上に涙が落ちていく。生きて、お目にかかることが出来た奇跡。

 二ヶ月前、漆黒の闇から唐突に目覚めた。瞬時にすべてを悟る。あまりにも冷静な私が、窓の無い広い部屋のベッドに横たわっていた。手足は拘束され、傍らで数本の光跡や数字を走らせるバイタルサインモニターのセンサーが体の数カ所に伸び、数本の点滴の針が両腕の静脈に刺ささって忙(せわ)しなく何かの滴を垂らし続けていた。
「稲氷小次郎三佐、帰還! 」と、頭上で何処かへ報告するものの声。
「私は冷静だ。状況の説明と手足の拘束を解け! 」
「は!………自分は、状況の説明と拘束と解く権限を持っていません! 今、権限を持つ上官に連絡いたしました! 」
 しばらく待つと、数人の軽武装をした自衛官を連れて警視総監が現れた。
「稲氷警部補、いや、この場では三佐と呼ぶべきかな。任務の遂行、ご苦労だった。ここは自衛隊富士病院の地下だ」
「総監、私は生き返ったのでしょうか? 」
「そうだ。貴官は死に、そして甦生させた」すべての状況をこの一言で理解した。自分はまだ、朔夜様のために働けると思った瞬間、靄のかかっていた頭が晴れ渡った。確かに、五瀬との再会の記憶も無い………。
「総監、私の階級は二尉です」
「殉職により二階級特進したのだ」
 千年の時空を経て、人の存亡を担ってお目覚めになった朔夜様を御護りするものは、普通の人ではない。防人の三人はその頂点だが、どうやら私も隼チームに選んだものたちも、防人に準ずる体をもつ。たとえ心肺停止となっても、脳に損傷が無く、臓器の機能を移植などで回復すれば、数時間後の甦生も可能なのだったと知る。
 私と似た状況で、死後短時間で甦生治療を受けることが出来た勝四朗と菊池代も、その後同じ部屋で蘇った。
 だが、脳に直接銃創を負った七次郎、遺体の回収に手間取り甦生治療が大幅に遅れた五郎兵衛と平八は死亡………。
 
「か、官兵衛! 」と、夜織が私に走りより掴みかかる。その異様な驚き。どうやら、事態を知らない様子。静かに振り払い、居住まいを正し、
「ご無事にご到着………ただただ嬉しく……」と、朔夜様に。
「美しい島で、私も嬉しい」そんな場面の背後から、静かに近づく一台のバイク。瞬時に反応して立ちはだかる夜織。しかし、青い制服に身を包んだ白バイ隊員。
「勝四朗………いや、毛(け)沼(ぬま)隼(はや)人(と)巡査。港の東側の警戒、ご苦労だった」と、声をかける。バイクを降り、メットを右手にかかえてひざまずき、
「再びお会いでき………光栄の極みです。菊池代と呼んでいた神(じん)武(む)猛(たけし)は、小笠原海上保安署の臨時職員となり、監視取締艇『サザンクロス』にて朔夜様のお乗りになっていた小笠原丸入港を曳航しておりました」そんな毛沼の言葉に、朔夜様は微笑んで小さく頷かれた。
「稲氷、手配をご苦労だった」明が代わって答えた。そして、私の背後に控えたまま見守っていた老人のもとへ朔夜様を促した。
「朔夜様、お待ちしておりました。海神(わたつみ)です。二人は孫娘の真(まこと)と珠(たま)。作法はひととおり伝えてあります。侍女として、なんなりとお申し付けください」
三人に順に頷き返して温かな視線で微笑まれる朔夜様。
 その後一行は、老人と二人の娘に伴われて港を後にした。
 毛沼は島内巡邏の勤務に戻り、島の周りは神武の乗る監視艇が見張っている。私は、特進で三等海佐となり、海上自衛隊父島基地の隊長補佐として、最も強い武力を手中に、朔夜様を御護りするあらたな日々が始まった。

 四、

『常立殿、戻られたか』
『雲野殿か』
『下界はいかに? 』
『下界は、見るも無惨に変わり果てておる』
『して、イザナギの娘は? 』
『………無事だ。防人たちは、以前に増して手強かった』
『ご苦労であったな。では、朕が仕留めてみせよう』
『雲野殿、此度の下界は千年前とは武人の得物がまるで違う。愚かな人どもは、殺し合うための道具を千年間ひたすら磨き上げ、研ぎ澄ましておった』
『ふん、なんと恐ろしい諸行。それを聞いただけでも、生きるに値しないものたちだ』
『まさしく。雲野殿、少し策を弄したい』
『聞こう』
『余は、勇んで早く降りすぎた。余の降臨は防人たちの知るところとなり、戦の準備をさせてしまった。よって、ここから娘たちの去就を伺い、迎え撃つ暇を与えずに殲滅されるがよい』
『では、先に放たれている監視を呼び、標的たちの状況を報告させる』
『監視を呼ばれたら余も話がある』

「卑墨さん、組長がお呼びです」と、ドア越しに声がかかった。右腕に乗っていた女の頭を無造作にのけてベッドから起き上がる。右胸に鈍痛。あれから一ヶ月。折られた肋骨に違和感は無くなったが、細かく砕かれた鎖骨はまだ治らない。立ち上がって鏡の前に立つ。左の頬に醜い縫い後。そして、何も書かれていないはずの鏡に文字が浮かぶ。
『朔夜を殺せ』
 護衛が数人立ち番する暗い部屋の正面で、組長は大げさな机に足を投げ出して腰掛け、悪趣味な置物に囲まれて不機嫌だった。
「卑墨よ。都下で一番勢いのある小川組の若頭と思って囲ってやったがな、組そのものが消えてしまったじゃないか」と、富士宮一帯のやくざものを仕切る西神奈川連合とやらの組長さん。どうやって事態を調べたか? でも正しい結論。
「………」なんとも答えようが無い。あの戦いそのものが、世の中から消えている。
「まぁ、あんたも相当な切れ者との噂があるから、うちで働いてくれるなら准幹部くらいには取り立ててやってもいい」ふん、それがいやならさっさと出て行けか。生き残っちまったからには、こんな田舎やくざの手下で終わるつもりなど無い。
「お世話になりました」確かに。ハイランドから逃げ出したもののすぐに道ばたに倒れていた俺を、あの戦場から逃げ出していたここの組員が助けてくれたから今がある。
「出て行くか。ならそれを持ってけ」と、左横に立っていた幹部が封筒とスマホを手渡した。封筒の中身は、俺あての一千万の請求書。
「小川組とあんたへの経費の請求書や。組は消えても借金は残る。あんたの治療費もな。返済期限は………年末くらいにしといてやろか。携帯は連絡用だ、無くすな! 」
「ふん、これだから田舎もんは困る。俺が卑墨だと知ってこれか! 」言葉が終わらないうちに請求書を破り捨て、スマホを落として踏み砕いた。予期せぬ事態に動きの止まった幹部の腰ベルトに見えていたチャカを奪い、まずそいつの頭に一発。
「何しやがる! 」と、ぐずぐず机の引き出しからチャカを探す組長の胸にも一発。硝煙に包まれた一瞬の静寂。全身に快感が走り力が漲る。よ~し、卑墨様の復活だ!

『これは、余の知る監視ではない! 』
『二千年前に放った監視は、此(こ)度(たび)逸脱行為甚(はなはだ)だしく、このものが消し去った』
『う~ん、確かに………』
『………雲野殿。前任のものなのですが、逃げました』
『そうか、良かった』
『常立殿、どういうことか? 』
『このものには監視の役目を。逃げた監視は、他の生きものを操れる僕(しもべ)に。そして もうひとつ、昇天する間際に、悪党一人に余の意思を書き込んでおいた。こやつもお使いくだされ』
『………忝(かたじけな)い』

 五、

 穏やかな海に、真上から亜熱帯の元気な太陽光が降り注いでいた。
 ようやく治りかけた皮膚を紫外線から守ろうと、医者の指示もあり日焼け止めクリームを塗りたくっていた。山国育ちの俺が、木陰の無い海の上。すると、他の署員からオカマとあだ名を付けられた。二メートル百キロのオカマ。マツコという人気者もいる最近なら、特に違和感はないか………。
 撃たれ、焼かれ、また撃たれ………あれほどボロボロになった俺が、生き返るとはまさに想定外。どうりで意識がブルーアウトしても、夜(やた)鴉(がらす)さんに会えなかったわけだ。
 ベッドの上で一時の死から生還した直後の混乱の中、他のベッドに夜鴉さんを探す。精神安定剤を許容量の倍ほど打ち込まれてから、彼は頭に数発の銃創を受け甦生は出来なかったと聞く。友を亡くした喪失感と、俺が生きている不条理に打ちのめされる。
 小銃で撃ち抜かれた心臓の修復には時間がかかるとのことで、取り出されたまま施設の培養液の中。よって、しばらく体外人工心臓に繋がれたまま身動きが出来ない状態に。幸い移植できる心臓が用意できて、一時的な移植を受け、稲氷や毛沼より遅れて動ける身体となる。だが、少し年配の方の心臓だったらしく、先に復帰した二人より体力的に軽い役目を担うことに。
 役目とは、船が大の苦手な俺がほぼ毎日乗って海上監視。それも、逃げ場が無い二十四時間シフト。勤務を初めて十日あまり、吐きまくって飯が食えず十キロ痩せた。
 でも、忘れもしない十一日目。世界がころっと変わった。延々と続いた船酔いが、嘘のように治まった。その後、どんなに荒れた海でもへっちゃらな、一人前の海上保安官の身体に。
 実は、海上保安官になるには保安大学か学校を出なければならない。総監の伝(つて)で内密に潜り込ませてもらった。もちろん、心臓の移植を待つ日々を、業務に必要な知識を学ぶ時間にあてた。人間、いくつになっても成長するものだと実感する俺は、もうすぐ二十八歳。
 朔夜様のお乗りになった小笠原丸を、愛船、監視艇サザンクロスで曳航した。無事に二見港岸壁に横付けした姿を見届けたと同時に、涙があふれて止まらなくなった。その様子を見た小柄な先輩。一応、船長の二等海上保安正。
「オカマがピエロになってるぜ~ 」と、はやしたてる後輩イジメ。朔夜様の護衛という崇高な役目を担ってなかったら、片手で海へたたき込んでやった………。

 その船に、強い「気」を感じた。明るく暖かで麗しい………この、人という邪鬼が蠢く地上では決して感じることの無い、まさしく高天原のもの。とうとう来た。
 その後、朔夜の動向を追っていた。小刻みに取り憑くものを替えながら。生き残った地元のやくざ。その者を捕らえた警官。救急医療班の一員。そして、今の身体に入る前は警視総監の秘書。おかげで、今日の事態を察知できた。
 この状況、これから降臨される雲野殿にどうやって知らせよう。
 常立殿が昇天した直後に、高天原から我を消す命をうけたものに襲われた。幸い、千年地上に留まり続けた知恵でかろうじて逃げおおせた。しかし、我が存在の使命は変わるものではない。 
 しかし、あの時放たれた新たな監視は、雲野殿を待って何処かに留まり続けている。あのものにとっては、私を消し去ることも使命。さても、ややこしいことになってしまった。
「署長、任務を無事終えたので、本船も帰還いたします」と、声がかかる。
「神武三等保安士か、ご苦労」と、答えてやる。最近入った大柄な新入り保安官。はて、どこかで聞いた覚えのある声………今、私が入っている身体は、小笠原海上保安署長。

 六、

  三日月山展望台。午前零時。ペガサス座が西に傾き、東からオリオンが登ってきた。間を流れる天の川の星々が競うように瞬く。今日から十一月。
「明、島内で特に報告するような出来事は無い」青い制服では無く、黒いライディングスーツ姿の毛沼が口火を切った。
「海保からもだ。今日………おっと、昨日も退屈な監視航海の一日だった」と、こちらもジーンズにTシャツ姿の神武。
「海自の情報も同じだ」只一人、白い制服姿の稲氷。ここへ移住してから毎夜、それぞれの監視機関からの情報を確認しあっている。
 ハイランドでの戦闘が終わり、バイクで自走出来た我々は館に戻り、駆けつけた特殊班を含む救急医療班に傷の手当てを受けた。
 自分は右足に受けた小銃弾の摘出を終えるとすぐに、
「明殿ですか? 警視総監がお呼びです」と、医療班を搬送してきた制服姿の男に声をかけられた。傍らでまだ治療を受けていた夜織や彦火を残し、その男の運転する自衛隊の所属車両で館を発った。
 数十分の距離で着いた場所は、陸上自衛隊富士駐屯地内の自衛隊富士病院。まず、異様にセキュリティーレベルの高い地下室に案内された。救急医療設備の整った大きな空間にはベッドが三台横たわり、甦生術をされている稲氷、毛沼、神武の姿があった。それを見守る初老の男が。近づく自分の気配に振り向き、
「明か、総監の須勢理(すせり)だ」と、話しかけてきた。
「明です。三人は、生き返るのですか? 」
「あぁ、早く救助が出来たから、この三人は大丈夫だ………このものたちの身体は防人の血を濃く引き、一般人と比較にならぬほど強い。戦闘で分かったろう」安堵というより不思議な感慨をうけた。確かに、自らの身体で実感している。
「呼んだのは、この様子を伝えるためでは無い」と、切り出した総監とは、次の戦いへの戦略を別室で話すことに。
 朔夜様を館から移住させ、高天原のものの襲来から護る。候補地としては、敵の襲来を認めやすい過疎地で、周辺に住民も少なく火器をを伴うバックアップを公然と行える地。その場で何カ所かの候補地をあげられたが、自分の一存では決めかねると、館に持ち帰った。最終決定には朔夜様のご意向も聞き、彦火も立ち会った場で決めた。夜織は、予定を伝えたはずだがその場に現れなかった………。
「自分からは一件。夜織が次の船で一度東京に戻ると言っている。恐らく止めても従わないだろう」
「明、卑墨の件か? 」
「そうだ毛沼。確か、卑墨の過去には詳しいな」
「白バイ隊を率いていた頃、何度か補導した」
「稲氷、海自のヘリか飛行艇は、私たちの有事に対応できるか? 」
「出来る。そのために私は基地の隊長補佐をしている」
「………夜織の頭から、卑墨という男の件を消したい。雲野の降臨の兆しが無い今、最も大きな憂いだ。毛沼、夜織についていき補佐をしろ。そして、卑墨を見つけ次第、消せ。また有事の際には稲氷と連絡を取り、ヘリか飛行艇ですぐに島へもどれ」
「明、殺すのだな」
「そうだ。この件は朔夜様のご意向ではない、自分の一存だ」

 七、

 朔夜様に暇のあいさつをと、長い板張りの廊下をお部屋へ向かう。
 借りの館となった海神(わたつみ)老人の別邸は、三日月山中腹の森の中にあった。手前に第二次大戦の戦跡が残り、足を踏み入れることに躊躇する。そして、朔夜様がお住まいになった時から、一帯も結界となった。俺たち防人も、その敷地内の別邸に住む。
 五瀬の話によると、海神氏の家系は千年ほど遡ると五瀬一族につながるという。古の敗戦の後、傷ついた朔夜様を御守りするために国中に拠点となる別邸を創り、いつでも移住出来るよう管理役を割り当てた。海神老人の祖は、海を渡り続けてこの島を見つけ。別邸を創ったという。
「夜織様でしょうか? 」海に面した廊下を進みお部屋に近づくと、不意に背後から声がかかった。とっさに振り向き身構える。
「真(まこと)です」と、名乗る、跪いて頭を垂れた女。続けて、
「珠(たま)です」と、反対側から。同じように跪くもう一人。声も姿も同じ。襖の閉まった途中の間に控えていたのだろうか? 見事に気配を消していた。島へ着いた日にちらっと見かけただけで、今日まで会うことは無かった。警護役にでもなったのだろうか。
「夜織だ。朔夜様に暇を告げにきた」どうも俺は、こんなふうにぶっきらぼうな話し方しか出来ない。
「朔夜様は、彦火殿と走りに行かれたと、侍従殿から聞いています」と、返事。
「侍従? おっと久蔵のことか」いつのまにかあいつも、戦死した父の後を継いで役目で呼ばれるようになっていた。
 さて、名を聞いたばかりなのに、どちらが答えたのかわからなくなった。ようするに見分けがつかない二人。一卵性双生児。
「そうか………では、お帰りになるまで待たせてもらおう」と、その場に座り込んだ。
 視界一杯に西側の海が広がっていた。陽が傾きかけていた。二人も、少し離れて俺の両側に正座した。しばらくして、
「夜織様、朔夜様がお帰りになるまで一時間ほどかかるかと。その間に、ひとつお願いを聞いていただけないでしょうか? 」もうひとりの娘が話しかけてきた。
「言ってみろ」
「夜織様の体術を教えてください」反対側の娘。聞き慣れない言葉。
「たいじゅつって何のことだ? 」その答えに、二人が顔を見合わせて微笑んだ。
「………素手のケンカのことです」
「………いいだろう、俺は達人だぞ。手加減はしない」
 廊下に近い板張りの広間に案内された。壁には日本古来の武器が並んでいた。
「おまえらはこれも扱えるのか? 」
「はい、祖父に指南していただきました」と、初めて二人同時に答えた。その返事が終わらないうちに、並んでいた二人に足払いをかけた。だが、予想した感触は無く足は宙を切り、力が余って横転しそうになった。かろうじて受け身して身構える。だが、予想した方向に二人の姿が無い。見事。ただものではない。
「不意打ちは、卑怯です」と、背後から。
「それが俺流たいじゅつだ! 」
 その後一時間ほど、二人を相手に本気を出した。女にしては大きな身体が、風のように軽やかに舞う。倒せない相手ではない。だが、並の人間とはあきらかに違う。この感じ、隼チームとの鍛錬を思い出す。やはり、防人の血を受け継ぐもの。久しぶりに、頭を真っ白にして身体を使えた。成就感に満たされる。
 どちらからともなく、構えを解いた。直後に、二人が目前で正座。
「夜織様、ぶしつけのお願いを聞いていただき、ありがとうございました」と低頭。しばらく返答しないでいると、二人はそっと顔をあげ、俺の表情を伺う。初めて二人の顔を見詰めた。少女の可憐さを残しているが、美しかった。なぜか、朔夜様のお顔が浮かぶ。
「………俺はしばらく島を離れる。朔夜様の警護をたのんだぞ! 」
「はい」にっこりと微笑み返す二人。やはり、朔夜様に似ていた。
「それから、俺の願いをひとつ聞いてもらう!」
「はい、なんなりと」すっと緊張を漂わせ、顔を伏す二人。
「今後、二度と、様付けするな! 」
「はい………夜織! 」もう一度顔を上げた二人から、はじける笑顔と笑い声が飛び出した。

 八、

 父島基地の敷地内にある飛行艇用の揚陸スロープに立ち、去りゆく小笠原丸の船尾を見ていた。目前を曳航する海保の巡視艇サザンクロスが後を追う。船尾に立つ神武が我々に気づき、手を振っている。
「行かせて良かったのでしょうか? 」と、傍らに立つ稲氷。
「ほどなく朔夜様に知れるだろう。どうお答えしよう? 」と、返事をした。
「………ありのままで」と、素っ気ない稲氷。
 もしかすると、朔夜様ご自身がお止めになれば、夜織も服した違いない。その場を作らなかった非は、自分にある。
 苦しい。歴代の火明命(ほのあかり)は、幾多の苦難にどう耐えてきたのだろう。兄弟さえ統率出来ない自分のようなものに、朔夜様が御護りできるのだろうか?
 祖父。あらゆることの師でもあった。自分が二十歳となる半年前に、老衰で息絶えた。祖父が生きていてくれたなら、指示を請うことも出来たろう。
 その祖父の話では、母は自分を産み落とすと同時に亡くなったという。防人を生み出すことは、母体には死を伴う負担となってしまうのだ。母はそれを知りながら、自分を生み出してくれた。そんな母の血を、自分は受け継いでいる。
 父は陸上自衛の一等陸尉として、極秘にアメリカ軍のイラク戦争に同行し、海兵隊の小隊を率いているときに、民間人の姿をした敵の自爆攻撃で殉死。
 防人の父はその時、現役の火明命(ほのあかり)だった。朔夜様が眠られている間は、自らの戦闘能力を磨く仕事に就かねばならない。現代の日本では、その位置だった。殉死は、偶然の結果で。秘された出来事は、祖父のみが知ることに。
 そして、朔夜様がお目覚めの時に我が直系の十五歳から三十五歳の男子が、火明命(ほのあかり)を継ぐ。よって、二十歳の自分は火明命(ほのあかり)となった。
 彦火も、祖父を師として育てられたという。警視総監の父は、なぜか先代の彦火では無かった。そして、母は彦火を産んでも生きていた。彼の出生には、本人も知らない秘密があると、父である総監から耳打ちされた。
 そして不運な事故にあい障害をもった身体になっても、彼の血統から防人の使命は委ねられた。その日から。本人なりの鍛錬を積んできている。その延長線上で、図らずも朔夜様に障害を治していただくことに。それも運命だったのだろうか?
 だが夜織は、偶然の天災で天涯孤独となり、己の運命と血統を知らずに育つことに。その身体と心を制する指導者もに恵まれず、力を持てあます荒れた日々を送っていた。あまりにも周囲と違う自分。無理もない。そして、その不安定さは戦闘時にも感じたし、こんな事態も招くことに………。
「ただ、卑墨という男は、他の人とは違う気がします」と、沈黙を破って稲氷。
「実は、自分も感じていた。だが、高天原のものではない」脳裏に、夜織が斬り殺しかけた場面。自分に振り下ろされた刀が頬さえ掠めたというのに、瞬きひとつしなかった。
「卑墨も、何かの運命を担っているのでは? 」
「………少なくとも、自分たちの真逆なものを」自ら自然に出た言葉が、事態を知った朔夜様の、叱責に耐えることが出来るという不思議な自信につながった。
「サザンクロスが戻ってきました」と、稲氷。
 あの神武と傍らの稲氷、そして海神老人やその孫娘たちもいる。それらの心強いものたちとともに、防人の長(おさ)としての使命を果たすのみ。小笠原丸の消えた水平線は限りなく碧く彩られていた。

 九、

 目の前に、真新しい大きなバイクが二台。その周囲を威嚇する圧倒的な存在感に似合わない、乗り手を選べない機械馬の不安気な表情がライトにのぞいていた。
「勝四朗は、やっぱりVFR……最新の1200Fか! 」
「毛沼です。こいつを駆りたくてね。そういう夜織は、相変わらずVmax………でも新型」
「ヤマハも、こいつにはこだわってくれた。二十三年ぶりのフルモデルチェンジさ。Vブーストはやめちまったが、1700まで排気量をあげて200馬力。ノーマルのくせに、スバルラインで壊しちまったフルチューンのやつと同等とはな。おかげで重量が310キロになっちまった。ぜんぜん日本人向きじゃない」と、夜織は笑った。
 竹芝桟橋で小笠原丸を降り、夜織の馴染みのバイク屋へ直行した。バイクを二台手配しておいた。まず、足を確保しなければならなかった。
 コムの入ったメットを被り、それぞれのバイクに跨がり首都高を流す。
「内緒にしていたが、昔、ドラッカーだったころ菊池代に捕まったことがあった」と、夜織。コムの性能は良く、首都高の騒音と跨がるバイクの爆音の中でも普通に会話が出来た。
「公道じゃ、VmaxはVFR800Pの敵じゃ無い。おまけに神武は、全国白バイ競技会のスラローム部門チャンピオンだ」
「なんだ、それを知っていたら逃げなかったな。俺の愛馬を潰すことも無かった」
「あれは二代目だったのか」
「あぁ、赤(せき)兎(と)馬(ば)と名付けていた」夜織にも、三国志などを読む過去があったと知る。
「そいつの犠牲で、スバルラインで神武は命拾いしたのか」
「どうもあいつにかかわると愛馬を失う。疫病神だな」
「いや、神武が生き延びて、ハイランド内の戦闘に参戦してなかったら………」
「そうだな、朔夜軍は全滅していたかもしれない」
「間一髪の戦勝だった」
「………いや、違う」
「どういうことだ」
「朔夜様だ」
「朔夜様は、大怪我をされてまで、お前たち防人を救ってくださったではないか」
「勝四朗、気付いて無いか」
「………」
「いいか、あの場面。すでに死んでいた勝四朗は後から聞いたろう」
「朔夜様が彦火を背負って七十メートルを飛び降り、自ら負傷され、膠着した戦場を彦火に託したという場面か」
「そうだ」
「最後は、怪我で動けない朔夜様の一矢でお前たち防人は勝利を掴んだ」
「そうだ」
「………そうか、わかった」
「だろう」
「我々は、朔夜様に勝たせていただいたのか」
「その通りだ」
「彦火を背負わず、自ら降りられれば、朔夜様の足はたぶん無事だった。そして、あの方の、防人たちさえ凌駕する戦闘能力をもってすれば」
「あの戦況など容易(たやす)く片づけてしまった」
「なぜ? 」
「それでは彦火は生きていけない………俺たちもだ」夜織の声は静かだったが悲壮感を漂わせていた。
「………夜織、結果を受け止めよう。誰もが精一杯の死闘をして得た戦勝と。ひとりで考えを巡らせすぎるな。朔夜様のご行為は、ありがたく受けさせていただけばいい。一度死んだ自分は、よけいにそう思う」
「………」
 その後、答えを返さない夜織の後を追い続けた。都心環状線から首都高三号を経由して東名に入ってしばらくすると、
「毛沼、降りる」と、あの戦闘で使った呼び名を改めた夜織。インターは、横浜町田だった。

 十、

 日没が近づくと、都道二百四十号で島内を一廻りランニングされるのが朔夜様の日課になった。約十五キロの行程。朔夜様ご自身の指名で、私がお供をすることに。治していただいた足の鍛錬を兼ねているよう。お心遣いが、天にも昇るほど嬉しい。
 三日月山の館から下り降り、扇浦海岸まではほぼ海岸線。そこまではなんとか付いていけるようになった。だが、そこから中央山に向かう行程は一気に駆け上がる登り坂で、傘山、夜明山と続く島の尾根のようなアップダウン。そんなコースもまるでスピードを落とさずに走りきる朔夜様には、まったく付いていけない。
「彦火、急げ! 夕焼けに間に合わぬ! 」毎回、合い言葉となった朔夜様の叱咤激励。しかし、私が三日月山に戻るのはいつも日没後。これではお供にならないと、この行程は、扇浦の分岐点で毛沼が白バイで待機し、マラソンの先導車のように朔夜様を白バイで誘導してくれていた。
 その毛沼は昨日、夜織について東京に。扇浦手前までお供をしてからそのことを思い出し、どうしたものかと分岐点を見ると、何事も無かったように待つ白バイ。稲氷だった。
 さっさと走り続ける朔夜様。慌てて先導を始めようとした稲氷は、
「道順を! 」と、私に手にしたメットを投げ渡して後部座席に誘導。
「コムが無いから分岐はどちらかの肩をたたいて合図を」と、稲氷。
「わかった………稲氷、白バイはタンデムシートが無いのを知ってるな」と、その位置の金属ケースに座ることになったことを知らせておく。路面の凸凹は避けてほしいと。
 結果、朔夜様の前を稲氷とともにタンデムで走ることに。朔夜様が不思議そうに私の背を見詰める。
「彦火、足は」朔夜様が走りながら声をかけてくれた。呼吸の乱れはみじんもない。
「はい、ほとんど元通りになりました」と、お答えする。ラグビーの現役選手だった頃の感触を思い出せるほど回復した。それでも、朔夜様の上り坂の走りにはついていけない。朔夜様のことを知らなかった明が、スバルラインで最初の洗礼を受けた話を思い出した。そして、
「夜織はどこへ? 」と、予期せぬ問い。朔夜様と五瀬には内密にと、明から言われていた。しかし、ご本人から直接尋ねられれば、お答えするしか無い。
「東京へ行きました、毛沼も一緒に」この事態で、すでにお察しだろう。
「初戦が後を引いているか……… 」走られているのにまったく言い淀みの無い、毅然としたお叱りの言葉。思わず、
「申し訳ありません」と、答えてしまった。振り返って、朔夜様のお顔を伺う勇気が無かった。それっきり無言で走り続け、ランニングの最終地点としている三日月山の展望台入り口へ着く。
「明と五瀬を呼べ、真と珠も」とのご指示を残し、バイクを道端に止めたていた私たちを残して、さっと小道を登って行かれた。稲氷に従うよう指示し、急いで館の明たちを呼ぶ。そして、何も知らない五瀬には説明した。言葉を返せない五瀬は苦渋の表情に。
 展望台に立つ朔夜様。何も無かったように、静かに夕焼けを見詰めていた。足下にひれ伏し、
「朔夜様、自分の一存で夜織と毛沼を島から出しました」と、顔を蒼白にした明。朔夜様はゆっくりと振り返り、
「私の知らぬことは、あってはならない」とのお言葉。明だけで無く事態を知っていた全てのものが深い後悔の思いを共有した。再び夕日に向き直ってしまった朔夜様に、
「すぐに帰るよう二人に連絡いたします」と、明。
「夜織の気が済むまで、放っておけ」と、お顔を背けたまま言われた。慚愧の念で俯いたまま身動きが出来なくなった私たちは、日が落ちて星が瞬くまでその場を動けなかった。ふと気づくと、いつの間にか朔夜様と五瀬の姿は消え、私たちの後ろには海神老人が座っていた。

 十一、

 大きなテーブル珊瑚の下にうずくまっていた薄茶色の魚が、不意に海面の光の中に消えた。
 背後から、リンリンという水中ベルの合図。振り向くと、浮上のハンドサインをする真。残圧計を見ると、まだを100を超えている。真の背後には、スキューバの装備を身に付けた、珠に伴われた朔夜様の姿。自分に向かって空気が無いというハンドサイン。OKの合図を返す。水中だと、朔夜様に対する敬語を選ばなくて済んでしまう。小気味好いが、失礼な気もする。
 島での戦闘を控え、海中が戦場となる確立が高いと、全員スキューバダイビングが出来るように訓練を始めた。朔夜様に報告すると『私も技(わざ)を取得する』とのお言葉。
 三日月山でお叱りを受けた翌日からすぐに始めた。講師は真と珠。二人ともインストラクターの資格を持っていて、我々が移住するまでは小笠原ダイビングセンターにガイドとして勤めていた。
 自衛隊員で士官の稲氷はもともと最上級のライセンスを持っていたが、巡視が非番の日には、なぜか神武も加わった。『久蔵、誰にも言うな。他の保安士は知らないが、俺のライセンスはペーパーなんだ』と苦笑い。心臓の移植を受けるまでの日々に、保安士として必要なダイビングの知識だけたたき込んだ。そのまま移植直後に小笠原赴任。実習をするゆとりが無いまま、勤務が始まってしまったという。
 そんな神武や自分を含め、他の移住組は順調にスキルを上げていったが、朔夜様だけはいくつかの問題があった。
 まず、朔夜様の身体は水に浮かない。塩分が強く浮力の増す海中で、いくら肺いっぱいに空気を吸い込んでもあっけなく沈んでしまう。お身体の密度が我々の三倍を超える。だから小柄で体積の小さなお身体で、体重が二百キロもあるのだ。仕方なくロクハンという厚手のウエットスーツで身を包み、ウエイトは一切身につけず、大きめのBCDと呼ぶジャケット型の浮力調整装置に空気を入れたまま着込んでの潜行となった。それでも、BCDからうっかり空気を抜きすぎると見事に海底に沈んでしまう。
 さらにもうひとつ、水中での空気の消費量が我々と違った。そのお身体を維持されるためには、大量の酸素を必要とされた。よって、どんなにお慣れになって消費量を減らしていただいても、倍を超えるスピードで残圧計の針が減っていく。対策として、ダブルタンクという機材にナイトロックスと呼ばれる酸素濃度の高い空気を入れたものを急遽発注した。
 島と竹芝を一週間に一往復という小笠原丸でそれが就くまで、朔夜様の空気消費時間にみんなが合わせることにした。最悪の場合、各自の機材に着いているオクトパスという非常用のレギュレーターで、他のもののタンクの空気をお分けすることも出来たが………。
 よって、他のものの面倒は真が見ることにして、朔夜様には珠がぴったりと張り付いた。
 予定したスキルアップを終えて浮上すると、海神(わたつみ)老人の漁船が待っていてくれた。彼の仕事は漁師。ここでのあたりまえの仕事として、代々就いてきたという。
「朔夜様、ご首尾はいかがでしょう? 」と、機材を外し終えた朔夜様に海神老人。
「皆に迷惑をかけている」と、苦笑される。
「そうですか。しかたありませぬな。お頼みになったものが着けばよいかと」
「ここでは、そのようだ」
「………『ここ』ではと申されますと? 」
「高天原の湖面では、私は自在に泳げたのだ。湖中もふくめ、身につけているものが濡れるということも無かった………」
「………地の上は、あなたさまには住みにくうございますな」
「いや、私はここが好きだ」傍らで、それとなく二人の会話を聞いていた自分たちは、顔を見合わせて頷き、微笑みあった。
「昼食のご用意ができでおります」老人が差し出した椀の中には、さっき釣り上げられた薄茶色の魚が真っ赤な具となっていた。

 十二、

『雲野殿、降りる頃合いかと』
『場所は? 』
『下のものたちが小笠原と呼ぶ、南海の孤島です。朔夜はそこに移住しています』
『海か………塩の混じる地の水は好かぬ。小娘め、朕の不得手を知っての諸行か? 』
『………下の七割は、塩の水に満たされております』
『そんなことは知っておる………しかたがない、その状況を逆手にとって、魚にでも憑依するか』
『上策かと。少し見てまいりましたが、人の使う新たな得物のほとんどは、水中では無力と化します』
『ならば、得物の優劣を除外し、あやつらと対峙して勝てるものは? 』

 勝てるものとして、千年前は蛇に憑依した。音も無く動き、わずかな進路があれば何処へでも忍び込める。そして、人を宿主にしても、着衣の中に姿を隠せる。また、究極の武器として、自ら人を殺す『毒』を持つ。
 しかし、憑依して気づいたのは知能の無さ。薄れゆく思考の消えぬ間に、急いで宿主を捜す。ともかく朔夜に近いものと、朔夜の隠れる藤原氏の別邸の衛兵へ。幸い得物も身につけていたので、そのもので襲おうと朔夜に近づき、防人の一人火夜織命(ほのよりのみこと)に見つかる。
 宿主とした衛兵は瞬時に斬り殺されたが、幸い憑依した蛇は無傷。願ってもない成り行き。入ったものが死に、憑依体が生き残れば、宿主を替えられる。死んだ宿主の体からそっと離れ、火夜織(ほのより)に忍び寄って入る。
 しかし、火夜織(ほのより)のからだは衛兵とは違った。朕の意思と拮抗し、自らの命を絶とうとする。そして、憑依した蛇が自らの身体に絡んでいるのを認めると、迷わず刃を突き立てた。幸いその刃は蛇の身体を掠め、火夜織の急所も外れたが、直後に朕は自らの意識を消した。
 一命を取り留めた火夜織には、幸いことの次第の記憶は無かった。しかし他の防人を含めた多数の護衛に見守られた館の中。蛇の朕に逃げ場は無い。悟られぬよう極限まで意識を消して、火夜織の着衣に隠れて機会を伺う。
 二日後、火夜織の体は早々に癒えて動けるほどに。そして、本人の意識は残るが、予想通り操れる。討つ時と得物を握りしめ、鞘を払った。
 そのまま朔夜の部屋へ。刀を手に異常な様子の火夜織に向かって護衛が群がる。手当たり次第に切り捨てる。最後に、防人の火明照(ほのあかり)と彦火火出見(ひこほほてみ)が朔夜の部屋の前に立つ。刀を交える。手強い。弱った火夜織では、二人に太刀打ちできない。ただ、殺せるはずの火夜織に止めの一撃を加えてこない。失血して動けなくなるのを待っているよう。
 時が無い。倒した護衛の刀を二本ひろい、自らの刀は腰の鞘に。二人が身構える。二人の立ち位置を見極め、両手でそれぞれに刀を投げる。同時に、腰の刀を抜き朔夜の部屋へ突進。視界の端で、投げられた刀を容易く払う二人。でも、その動きで一瞬の間が出来た。
 扉を蹴破る。朔夜が立っていた。朕の入った凄まじい形相の火夜織に睨まれても、表情ひとつ変えない。
 刀を振り下ろす。なぜか空を切る。視界の端で、刀を持ったまま右腕が飛んでいた。そこに絡みついていた憑依体の蛇の頭も。視界が宙に浮く。朕の入った火夜織を切ったのは火明照だった。屋根を音も無く通り抜けて天に昇っていく。下界には鳳凰の姿をした館。美しい。意にそわね昇天。失意。朕の初戦は、こうして終わった。

 監視の助言で、海を悠々と進む大きな白黒模様の生き物に憑依した。不思議だ。異様に頭が晴れ渡っている。思考は憑依以前とほとんど変わらない。魚なら、すぐに宿主を見つけて借りの頭を持たねばと思っていたのに。
『これはなんだ? 』
『私も入りました。人がシャチと呼ぶ生き物です』
『これは、魚ではないな』
『人の仲間、ほ乳類と呼ばれるものです』
『これで勝てるのか?』 
『対峙されれば間違いなく。これは、海のもののなかで最強の生き物です』

 十三、

 町田駅北口広場。午前二時。広場の真ん中に置かれた、おかしな回転モニュメントを囲んだ手すりに寄りかかりって、二十四時間淀みなく流れ続ける雑踏を見ていた。 記憶の何処かに、このモニュメントの上に乗って周囲を物色していた残像。振り返ってもう一度見上げる。とても人が乗れるような代物じゃない。頭を強く振って、おかしな絵を振り切る。
 俺を認めて近づく強(こわ)面(もて)の二人。今日の『みかじめ料』を取りに来た地元やくざの小物。その後ろから、俺の手下がゆっくりと囲む。気づかずに手を差し出す強面。
 
 生き残った小川組の構成員をかき集め、安物の覚醒剤を素人相手に売りさばく阿(あ)漕(こぎ)な商売を始めていた。この雑踏に紛れた売り買いは、売り手や買い手の特定が難しく、サツに見つかりにくい。
 改めて感じるが、世の中バカはいくらでもいる。特に、ごく普通に生きている連中に、買い手が尽きない。それだけ社会が腐り果てていることを、悪党自ら実感。政治家さんたちは何をしてるんだろう。おっと、悪党が世の中を憂えてどうする。
 西神奈川連合の親分たちをやっちまってから、地元の都下町田に戻った。その件は、大きなニュースにもならず、追われる気配もない。もしかしてあいつら、死んだ方が世の中のためだったのかも。
 さて、俺が生きる糧を得る場は裏家業。幸いそっちも買い手市場。小川組幹部だった伝(つて)を使って、あっという間に今の商売にこぎ着けた。上がりは………毎日ストレスを抱えて朝から晩まで働きづめの方々には言えない大金。
 またしても、悪党順風満帆に思えるのだが、その後も鏡を見る度に『朔夜を殺せ』と文字が浮かぶ。何度たたき割ったことだろう。哀れな右拳に生傷が絶えない。やはり、この呪縛から解放されるためには、あの小娘を殺すしか無い。
 小娘の住む館の位置は分かっていた。手下の何人かにあの場所を見晴らせた。しかし、いくら見張っても人影は無い。どうやら、何処かへ去ったあとのよう。
 そこへ朗報。火炎放射器の横流しが発覚したのに、なぜか免職を免れて左遷ですんだ知り合いの自衛隊員がいた。名を傀儡(くぐつ)という。俺が凶悪暴走族「鵺(ぬえ)」のヘッドをしていたときのサブヘッドだった。俺が族を抜けて小川組に入った後、奴は本物の武器を使いたいと自衛隊員になった。平和ボケ?のこの国。そっは売り手市場。
 陸上自衛隊員だったのに、海上自衛隊の小笠原基地へ。確かに南海の孤島。ひと昔前の言葉で言うなら、完璧な島流し。
 そいつの情報によると、最近、必要も無いのに副隊長が来て、直後に屈強な三人の男に囲まれた小柄な女が住み着いたという。気がつくと、海保と警察署にも新入りが一人づつ。どいつもがたいが良すぎて目立つらしい。正しくあいつらだ。

「お役目ご苦労様です………チンピラども!」と、一言返して差し出した手を蹴り上げる。強面の形相が鬼に。合図。背後から一斉に襲いかかる俺の手下たち。多勢に無勢。気を失うほどボコボコにして、さっさとその場を退散し、階下の駐車場へ。
「今日まで苦労をかけた。少ないが、謝礼だ」と、手下どもへ気前よく金を渡す。
「卑墨さん、何処へ」と、問いかける一人。
「どうしてもやらにゃあならない野暮用があってな、海の向こうへ行ってくる」
「へぇ、海外ですか? 」
「ん? まぁ、そんなもんだ」
「お帰りになりやしたら、また使ってください」
「あぁ、生きて帰りゃあな」

 十四、

 高天原のものは、人には無い気を放っていると祖父に教えられた。
 時に凶暴さも。三十年ほど前に富士の館を訪れ、眠っておられた朔夜様を御簾越しに拝謁した時に感じた麗しい気とはあきらかに違う。
 海神一族の祖は、古より朔夜様の侍従を担う五瀬一族の末裔だった。
 千年前の、高天原の神との死闘に敗れ、辛うじて生き残った朔夜様をお隠しするための場を探しに、一族は国中に散った。我が祖は海を渡った。ようやく見つけたこの島に住み着き、『海神(わたつみ)』という氏(うじ)もいただき、今日の時を待った。
 防人の血を引くものたちは、母が死を伴い産み落とした子を、役から退いた祖父が育てる。父は防人として常に前線に。よって、ほとんどの防人は生みの親を知らない。 防人に準ずる我が家系も、ほぼ同じ理(ことわり)に。真と珠を生んだ母は産後に息絶え、息子は役を担う修業のため島を出て戻らなかった。
 そんな真と珠は、朔夜様の護衛とお世話をさせていただく光栄な機会預かり、私は五瀬一族直系の若い侍従と、朔夜様の住まう館の管理をする日々をいただく幸運が訪れた。歓喜の極み。
「高天原の気を放つようになったものが、島内をうろついておりまする」と、侍従殿に伝えた。数ヶ月前から。
「ここでの生業(なりわい)は? 」
「海上保安署長です」
「………高天原の『神』は、人には憑依出来ないという。ただ、憑依体で、人を宿主とし、意識を乗っ取り操るらしい」
「はい。しかしそのもののそばに、憑依体となる生き物は見当たりませぬ」
「常立殿の憑依体は、どうやら虫だったよう。よって、宿主の頭髪に紛れ込み、その者を操った。だが、次に降臨する祖神は、同じ種の生き物には憑依出来ない理(ことわり)」
「そのものを見張りつづけます 」
「宜しくたのむ。朔夜様と明たちには報告しておく」
 狭い島。私はその隅々と、住む人々も含めて熟知している。海上保安署の宿舎を管理する者に仮病を装ってもらい、宿舎に入り込んだ。やはり以前の署長に、そのような『気』は無かった。
 しかし、宿舎の風呂までつけ、身にまとうものも無く、頭髪を洗う姿まで入念にぬすみ見届けたが、署長を操る憑依体と思われる生き物は見つからなかった。
 その報告をすると、朔夜様ご本人に呼ばれた。
 午前零時。朔夜様のお部屋には、海上保安士の神武殿や海上自衛隊長補佐の稲氷殿もいて、島内にいる朔夜様の護り手全てがそろっていた。
「気は、確かか? 」と、朔夜様。黄金の光彩が何時になく光っていた。
「今のところ、動きに不審な点は無いのですが、そのもの自身が放つ気は確かです」
「………七代の祖神様たちは、地に降りるために憑依体を必要とする」
「やはり、わたしの誤りでしょうか? 」
「降臨する神には、地での諸行を見届ける監視を、アマテラス様が放つよう。形の無い『気』のみで、そのまま浮遊もし、どんな生き物にも入り込め操るらしい」
「それも我らの敵なのでしょうか? 」初めて明殿が口を開いた。
「………役は、見届け報告するのみと聞く」
「では、署長には監視が入っていると? 」
「恐らく………ただ、そのものは我らを攻撃してはこないはず。役に反すれば消されるらしい」
「我々に危害を加える素振りがあれば、俺が消します」突然、神武殿が言った。あきらかに怒りの形相。最も近い場に居て気づかなかったことを恥じているよう。場の緊張が一気に高まった。しかし、
「監視が入っても人。殺すことは許さぬ」と、場の緊張を鎮めるような静かな物言いの朔夜様。
「菊池代! 怪しい動きがあれば拘束までだ! 次の戦端が近い。警戒を密に! 」と、明殿が朔夜様の視線を確認してその場をまとめた。
 次の日から、臨戦態勢に入る。雲野という祖神の襲来に心と身を引き締めた。

 十五、

『島に高天原のものが現れたという報告が入った』と、毛沼から連絡メール。
『同じメールが来ている』と、返信する。
『すぐに戻らねば』と、毛沼の返信。
『雲野とかいうやつじゃないんだろう』と返す。音声電話の着信。毛沼。明の許可は得ず、朔夜様に挨拶も出来ずに勝手に出てきた俺。
「どうも、そのようだ。操られているらしい人間がいるという。そいつが直接襲ってくることはないらしい」と毛沼。
「………俺たちは、死にかけた常立の宿主ではなく、その手下に殺されかけたぜ」そう言葉を返すと同時に、あの時の場面が脳裏に蘇った。

 すでに、三発被弾していた。視界には、菊池代と勝四朗の無残な亡骸。それに、被弾しても闘志をむき出し死地に向かう久蔵。
 明は、冷徹な指示を俺に。レーザー標準をされている三つの銃口があるのに、『腕で頭を覆い、横へ跳べ』と。
 左足の二発の銃創は大腿部と脹ら脛。まともには動けない。死を覚悟した。自分の死で、明が起死回生してくれればいいと。
 しかし、突如現れた彦火に救われ。そして、最後の一矢は朔夜様自ら。
 あの、明の指示で死のうとした時、俺の思考は止まってしまった。何か大きなターニングポイントを俺自身に与えてやらねば、前を向けない。
 あれこれ考えて行き当たったのは、あの時、明の制止で殺さなかった卑墨。七次郎、五郎兵衛、平八の仇(かたき)。そう決めてしまった。

 聞き覚えのあるバイクのエンジン音が複数。
『来た!』と、毛沼にメール。
『了解、ともかく早く済ませて島に戻ろう、すぐに行く』と毛沼からの返信
 標的の卑墨に悟られぬよう、居所を突き止めた。小川組がシマにしていた町田に戻り、の残党と覚醒剤売買をしていた。古巣へ戻る習性は、動物には共通らしい。
 しかしそれも短期間で止め、次は鵺の残党を集め、なぜか小笠原への渡航を計画していた。それも『小娘を殺す』と嘯(うそふき)きながら。どうやって我々の動きを知ったかは分からない。
 組を崩壊させた訳の分からない目的の執着に嫌気がさして、声を掛けた数名は抜けた。ほとんどが富士スバルラインの死闘の経験者。二度とごめんだという気持ちはわかる。その一人を捕まえ、情報を聞き出すことが出来た。そいつから俺たちの動きが卑墨にバレないよう、毛沼の伝(つて)で当分留置しておいてもらった。
「集まったのは、奴も含めて五台、相変わらずZX14Rだ」と、毛沼に連絡してみる。ここは芝浦パーキング。時間からして、竹芝桟橋から出航する小笠原丸に乗るつもりらしい。
『もう着く』電源を入れていたヘルメットのコムから声。すでに電波の届く範囲に来ていた。大黒パーキングエリアにいたはずの毛沼。まだ慣らしの終わってないVFR1200Fで、いったい何キロ出してとばしてきたのか? 卑墨たちのバイクが、出口に向かって動き出した。ほとんど同時に毛沼のVFR1200Fが反対側から現れる。
『夜織、仕留めるのは卑墨のみだぞ』と毛沼。
『邪魔するやつは蹴散らす! 』と答えた。

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?