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朔夜 すべては私の掌に 第二部 雲野  

第二部 雲野(くもの) 十六~三十

 十六、

 憑依した生き物の頭脳は、その全てを使いこなせば人さえ凌駕するだろう。これは、海を支配する可能性を持たされたものだったのだ。
 しかし、どれほど時が経っても、文化と思(おぼ)しきのもを築けずにいる。身体のつくりが、海へ戻るために単純化され過ぎたのだ。おかげで、進化により与えられたはずの脳の数パーセントしか使っていない。
 神の姿をもつ人は、その腕と指を使いこなすことによって脳を使い進化を加速させ、短い命を終える前に文字で次世代に引き継ぎ、文化と呼べるものを形にしてきた。

『監視よ、おまえの前任はどうしておる? 』
『入るものを次々と替え、どこかに潜伏しております』
『おまえにも、そんなことが出来るのか? 』
『あのものと私は同じかと………』
『ならば、朕に付いて暢気に島を回遊などぜずに、そのものを見つけ出すか、小娘を海へおびき出してこい』
『わかりました、では………』
 共に泳いでいた一頭のシャチから、ふっと『気』が消えた。海面に顔を出して伺うと、一羽の黒い海鳥が飛び去っていく。その姿が小さくなるとともに『気』も消えゆく。その身軽さは、地に降り立つために制約にしばられる朕には羨ましい。
 さて、憑依したこやつの脳を駆使してみるか。朕には、寝ている脳の大部分を起こせる。
 まず、回遊している大きな魚の群れに『集まれ』と思念を送る。魚たちの動きがぴたりと止まり。朕の周りをぐるぐる周回し始める。ではと、『海底に突入』と送る。魚たちはその通りに海底に激突し、失神するか命を落として浮かび上がる。
 周囲が血に染まると、何処からともなくサメが大挙して現れた。命を落としたり瀕死の魚たちに次々と食いついていく。その最中に、『止めろ』とサメたち思念。得物を得て狂乱していたサメどもが動きを止め、朕のそばにひれ伏す。なんとも愉快。海中の生き物は、朕の思念で思いのままになる。
 さらにもうひとつ。気を集中して海底の岩に向けた。周囲の生き物の動きが静まり、大きな岩がゆっくりと浮き始めた。念力。さても愉快なことよ。この中へおびき寄せれば小娘などひとたまりも無い。

 雲野様の命でシャチから抜け、たまたま上空を飛ぶカツオドリに入った。
 父島上空を低空で照会。高天原の気を二カ所で確認。ひとつは三日月山と呼ばれる一角の森の中。たぶん、朔夜だろう。もうひとつは、海上保安署の建物の中。どうやら取り逃がした前任の監視。そこの職員に入っているらしい。朔夜は防人たち護衛がつくのでおいそれと近づけないが、前任の監視くらいさっさと消してしまおう。
 そう決めて、保安署の建物の屋根に降りた。気はさらに強く感じる。おっと、相手も同じように感じているだろう。うっかり油断した。そう気づいた時、
『動くな! 』という思念。私の入っている鳥に、背後から銃口が向いていた。
『ふん、殺すがよかろう。私は抜けるだけだ』
『そんなことは分かっている』
『そなたは消えねばならぬ。それが高天原の意思だ! 』
『見逃してほしい、いや、雲野様のご行為に我も尽くしたいのだ』
『妙なことを言う。我々は監視が使命。お手伝いではない』
『逃げはせぬ。雲野殿に、そう伝えてくれぬか』
『………全てをお見通しの高天原が、そなたの存在をここまで残した意味が、なにかあるに違いない』
『私もそう思い、朔夜を追ってきたのだ』
『よかろう。今は捨て置く。雲野殿にも伝える。よいか、それから抜けぬのを条件としよう』

 十七、

 海難救助者を演じ、朔夜様に救っていただくスキューバダイビングスキルの最中だった。朔夜様に背負われ、海面から岸への移動中にそれに囲まれた。
 海上で待機してた真と彦火、陸で周囲を監視していた明と神武、そして寄り添っていた珠も、それらのあまりの早さと統率のとれた動きにはなすすべが無かった。
 海面から数えると、十あまりの背びれ。鮫と早合点して、恐怖のどん底にたたき込まれた。
「五瀬、降ろす」との朔夜様の声。その声色があまりにも冷静だったので、はっと我に返る。相変わらず、自分たちの周りを遠巻きにぐるぐる周り続ける二メートル前後の灰色の個体。心を落ち着けて観察すると、頭部と思われる位置についた穴から時折潮を吹き上げ呼吸をしている。
 陸の明と神武は携帯を抱えて緊張した面持ちだが、沖の真と彦火は笑顔で手を振っていた。そんな確認をしていた私に、
「五瀬、イルカだ。安心しろ、雲野の憑依体ではない。真と珠の知り合いらしい」と、朔夜様。なぜか黙って私たちの様子を見ていた珠。これも、緊急対応のスキル?
 敵で無いことの確認ができて、全身の緊張がほぐれた。ふっと背負うために握りしめていた朔夜様の手が開く。もう腰までの深さだった。
「少し話してくる」と、朔夜様。近づいた一頭のイルカの背びれを掴まれ、そのイルカと共にゆっくり沖へ。他のイルカたちも従う。その後を珠が追い、彦火の側にいた真も海へ入り合流した。その早さ、自分たちはそれぞれの場所で呆然と見守る。真と珠は、大きめのダイビングナイフと小型の水中銃を両足に持つ。有事のさいに備えて。
「神武、その後署長の様子に変わったことは無いか」彦火と共に陸に上がると、明が神武に話しかけていた。
「特に変わった動きはない………ただ、俺は監視艇勤務だから、四六時中見張ってもいない」
「そうか。毛沼がいないので稲氷に声をかけてもらい、小笠原丸で上陸する人間の監視は、自衛隊員に手伝わせて十分にできている」と、明。
「さっき、夜織からメールがきた。卑墨の行方を確認できたので、すぐ処分して戻るという」と、彦火。処分とは抹殺。しばらくの沈黙後、
「それもあいつの業(ごう)だ」と、夜織に指示した明。
「そういえば、ひとつ報告がある」と、神武。
「最近島の周りに、シャチが数頭出没しているという。俺はまだ見ていないが、かなり珍しいことのようだ」
「海神殿に確認していただこう」と、明。
「おっと、もう一つあった」と、神武。
「署長が、カツオドリと話しているぞと冗談交じりに隊員たちが噂してた」
「いや、どんなに些細なことでも見逃すな、そして気にしろ。自分たちは、高天原の未知の敵との戦いをしている」そう、明がみんなを諭した時、朔夜様が真と珠に伴われて海から静かに上がられた。慌ててタオルをお持ちする。イルカたちの姿は、すでに沖に消えていた。
「何かあったか? 」と、朔夜様。我々の表情を的確に読まれる。みな控え、
「朔夜様こそお聞かせください。あのイルカたちは? 」
「ここでの防人たちだ。代々使命を次いできたという」
「そうでしたか! 」と、一人合点のいった笑顔の彦火。後から聞いたが、富士の森に熊の防人がいたという。
「彼らの話によると、この島一帯に高天原の『気』が満ちているという。どうやら雲野殿は、もう降臨しているようだ」

 十八、

 前を一列に走るZX14Rに付いた。まもなく芝浦インター。最後尾のバイクから順にウインカーが点灯。頃合いを見計らい、二段ギアを落として猛烈にダッシュ。浮き上がるフロントを、体重移動でなんとか押さえ込む。
 インターで出ようと速度を落としていた四台目まで抜くつもりで、行きすぎた。Vmax1700のパワーが扱い切れてない。
 急いでアクセルグリップを戻し、五台目だった先頭車の真横にぴたりと張り付く。その車体を一蹴り。インターから出ようとブレーキング中の予期せぬ衝撃。バランスを失って、自分の視界から消え、路面との複雑な衝突音を響かせて転倒する様子が、サイドミラーに映る。
 しかし、他の四台は事態に的確に対応。体制を取り直し、そんな事態をつくった俺を追ってきた。
「毛沼、付いてるか? 」と、コムで確認。
「あぁ、今、転(こ)けたのは卑墨じゃない」
「そうか。何代目が奴かわかるか」
「多分、夜織の後ろの先頭車だ。一番難しい目前の転倒よけを、難なくこなした。他の三台とは違う」
 首都高中央環状線の上で、芝浦インターから降りる動きを阻止した。卑墨たちはそのインターで降り、バイクごと小笠原丸に乗り込む予定だったはず。
「夜織、前は危険だ」と、毛沼の声が聞こえたと同時に、背後で銃の発射音。同時に左のサイドミラーが吹き飛んだ。
 このまま的にされてはたまらない。間髪入れずに急ブレーキ。後輪が浮く。銃を片手に持ちながらでは、この咄嗟の対応についてこれまい。
 想定通り、卑墨と思しきバイクを前に、続く三台のZX14Rと毛沼のVFR1200Fが抜き去っていく。 よしっと、一気に三段ギアを落とし、各ギヤ全てレッドゾーンまで引っ張る超急加速。きっと、世界中でこんな加速が出来るマシンは他に無いだろう。高速で走る前のバイクたちがまるで止まったもののように瞬時に目前に。
 しかし、せっかく追いついたと思ったら、一斉にブレーキング。狭い路面沿いに右カーブして環状線を抜け、箱崎ジャンクションを六号線に入った。間もなく隅田川を左に望む直線。
 予想したことだが、ZX14Rたちが猛ダッシュ。200キロを超える頃から俺のVmaxがじりじりと離されていく。それでも果敢に食らいつく毛沼のVFR1200F。奴のバイクはオールマイティー。
「逃げに転じたか? 」
「あぁ、そう見える。下に降りたら、自分にかなうはずが無いことは、卑墨は知っている」
「走行中なのに、どうしてメットをしている相手がわかる? 」
「さっき、夜織がやつの銃を交わすためにブレーキングしただろう。その時、一瞬奴の横に付けて、ウィリーして見せたのさ」
「なるほどな、勝四朗の十八番か」
「相当混乱してるだろう。あいつの目の前で、自分は死んでるからな」
「堀切だ………左か? 」
「そうだC2に入った。さらに超高速走行になるぞ」
「わかった、尾行はまかせる。なんとかコムの範囲ぐらいならついて行けると思う」
「了解。300キロ超のバトルは初物だ。少しは楽しませてもらおうか」

十九、

 予期していた襲撃だった。
 小笠原にいる自衛隊員の傀儡(くぐつ)から、一週間ほど前から新任の白バイ警官と、小娘の護衛の一人を見かけなくなったと聞いていた。しかし、今、俺を追っている一台は毛沼さん。どういうことだ? 
 薬物売買で荒稼ぎした金を、小娘をやる準備金に使った。仲間がほしかったので、元鵺の生き残りに声をかけた。しかし、相手があの富士で死闘したやつらだと知ると、みんな尻込みし、たったの四人しか集まらなかった。
 島へ行っても移動手段が必要だろうと、大枚はたいてZX14Rもそろえてやった。
 高速道路と言ったって真っ昼間。他に走る車を交わしながらアクセルグリップを捻り続けるのは、度胸というより死ぬ覚悟が必要。やっぱりみんな、死にたくないらしい。 俺は、小娘を消すという目的がある。だから、今、死ぬつもりじゃないが………。
 葛飾ハープ橋を越えてから、一気にアクセル全開。瞬時に景色が流れ、追っ手の二台を置き去りに。
 けれど、300キロ超えのバトルとなったら、付いてくるのは毛沼さんだけ。仲間の三台は、ぶれ始めたサイドミラーの中で空しくけし粒に………。
 それにしても、こんな狂ったバトルにピタリと付き合う毛沼さん。あんたもやっぱり相当いっちゃってるぜ。もしかしたら、ゾンビかい?
 アナログ二連メーターの中央に、でんと居座るデジタルの数字。あまり見る余裕は無いが、時折300超えは何度か確認できた。バリバリのノーマル車なのに、こんなの素人相手に売っていいのか。
 そんな余計なお世話を頭に浮かべた途端、目前に葛西ジャンクション。完全に速度ジャンキーになっていた。
 急ブレーキ、シフトダウン。めいっぱいのハングオン。路面を擦るステップから火花。『曲がれー』と叫び、側壁数センチまで膨らみなんとかクリア。
 直後に湾岸線へ突入。ミラーに視線。真後ろに毛沼隊長のVFR1200F。だめだ、振り切れない。族の頃から腕の成長しない俺。時計を見る。少し早いがやるしかない。

 ハンドル中央のアナログタコメーターの針が、レッドゾーンを行ったり来たり。そして左側のデジタルスピードメーターは300を少し越えた。
 慣らし終えて無いのにすまないと、ハンドルに力が入ってしまう。交わす車が無かったら、引き離されただろう。夜織とは距離があき、卑墨の仲間たちも抜き去っていた。きっとそいつらは、夜織が片づけてくれたに違いない。
 そんな超高速バトルの終演が、葛西ジャンクションの看板で見えてきた。ところが、卑墨のZX14Rが、スピードダウンしない。自殺行為。しかたがないと、余裕をもって速度を落とす。
 かなり前方で、タイヤからの白煙と悲鳴のようなブレーキ音。その中に一瞬消えた卑墨のバイク。しかし、衝突音は無い。間一髪のクリア。神がかり? いや、やつの場合は昔から悪魔ががりだ。
 その後、湾岸線をもたもたと走り続ける。ともかく後を追う。白バイのようにサイレンもマイクも無いので制止もできない。どうしたものかと思っていると、
「毛沼、聞こえるか? 」と、コムにようやく夜織の声。サイドミラーでも確認。自分も速度酔いで、夜織を忘れてた。
「残りのZX14Rは? 」と、一応聞く。
「走れないようにしてやった。殺しちゃいないぜ」聞かなければ良かったと思う。
 視界の端で卑墨のバイクがレインボーブリッジへの迂回路に。
「なんだ、急にもたついてんな」と、夜織。
「銃を持ってるから、迂闊に近づけない」
「二台で挟んで蹴り倒そう」と、夜織らしい強攻策。そんな会話をしているうちに、レインボーブリッジの上に。
 卑墨のバイクが急激にスピードダウン。近づけば銃口が向くと、慎重に距離をおく。止まる。ブリッジの真ん中。自分たちも止まる。
 バイクから降り、こちらを向いて右手を振った。左手に何か持っている。ロープ。その端をブリッジの欄干に掛け、自身はよじ登って飛び降りた。
 呆気にとられて欄干の下を見る。ブリッジの下をゆっくりとくぐり抜けようとしている客船。その上部デッキに、ロープを伝って起用に降りる卑墨。
 為す術を無くした自分たちの瞳に、去りゆく船尾の『おがさわら丸』という文字が空しく写った。

 二十、
 
 二見港へ向かう小笠原丸を、父島沖の西島の入り江に潜ませた小舟で待った。
 入港を目前に、左舷に連なって父島を眺める乗客や、港への横付け準備に集中する乗組員。季節柄、入港を歓迎するために集まる小舟も少ない。
 そんな空(す)きを見て、人目の無い右舷後方から静かに海へ飛び込む人影。このあたりの潮の流れは速い。早く引き上げないと流され溺れさせてしまう。

 世に言う不幸な家庭に生まれた訳では無い。学校での成績も、苦労せず良い方だった。友達も多く、教師にも愛された。両親だって、人並み以上に愛情を持って面倒をみてくれた。
 何不自由の無い生活。ただ、将来の夢だけは、なぜかいくら考えても描けなかった。
 中学の卒業を間近に控え、将来の夢と題する作文を書くよう強要される。学校では書けずに持ち帰り、一晩真面目に考え浮かばず、仕方なく父親の職業だった商社の営業と書いた。高校は、有名進学校へ入学。そこでの成績だって良かった。ところが、転機というものが訪れる。
 三年生の夏。進学塾で遅くなった帰り道のコンビニ前で、それに合う。仲間と共に取り囲まれ、金品の要求。世に言う『カツアゲ』だ。仕方なく、素直に財布を差し出す。要求を満たしたのだからと、すぐ立ち去ろうとした。
 途端に、足払いをされて路面に頭を強く打つ。記憶が飛ぶ。次に気づいた時は、財布を渡した四人が倒れ、苦しげなうなり声を上げていた。私は立っている。ただ、両手の拳に激痛。何があったか分からない。
 見守っていたらしいそれが来た。
「この場で死にたくなかったら、仲間になれ」と、唐突な言葉。ずしんと心に突き刺さる。そして、それの表情。知っていた。多分、本能という言葉でしか表現出来ない。何の躊躇いも無く、
「わかった」と答えていた。生まれてからずっと待っていた、運命の出会いと確信。
 その後は、それとともに悪の道をひた走る。暴走族『鵺(ぬえ)』の名は、それに頼まれ私が考えた。
 関東周辺で向かうところ敵なしの、凶悪な族に上り詰める。しかしそれが、ある白バイ隊員に補導されたのをきっかけにヘッドを止め、やくざの世界に。後釜にならざる終えず、しばらく鵺を率いる。
 けれど、突如『battling Falcon』のロゴを背負う七人組が現れ、それが抜けて弱体化していた『鵺』はあっけなく負けてほぼ壊滅。あの、鶴見つばさ橋での最終戦。悠々と立ち去る連中を見ていたら、異常な復讐心に火がついた。
 本物の武器を持たない限り、あんな連中に対抗できない。その場で決心し、すぐに自衛隊に入隊。日々の過酷でつまらない訓練も、時折操れる本物の火器で満足できた。
 間もなく、それから唐突に連絡が入る。『火炎放射器は無いか』と。目的は、サクヤとか言う女を殺すためと。
 一度は断る。その頃の生活に不満が無かった。ところが、その女には『battling Falcon』の連中が付いてると聞く。倉庫に眠っていたほとんど使って無い十挺を、あらっぽく横流しした。すぐにバレる。
 ひと昔前なら、軍法会議で銃殺刑だろうに、当然と思っていた懲戒免職も無く、海軍の小笠原基地へ転属という左遷。体(てい)のいい島流しに違いはない。どうも、この事態を隠したいよう。どんな使われたかをしたか、しばらくたってからそれに聞いた。しかし局地戦とも言える異常な事態も、なぜか世の中から巧妙に消されていた。
 そして、
「ご苦労だったな、傀儡(くぐつ)」と、波間から手を差し出すそれ。
「ヘッド、ご無沙汰です」

 二十一、

「やはり、姿を消したな」と、明。
入港した小笠原丸の来島者を確認し終え、乗組員にも状況を聞き終えての結論だった。
「島の近くで降りたのだろう。神武に、サザンクロスで曳航させれば良かったと」と、稲氷。
「サザンクロスの本来の任務は、小笠原丸が発つ時だけだ。先日、朔夜様をお迎えするために無理矢理入港の曳航をさせたばかりだった」と、明。
「すぐに手分けをして、港への小舟や漁船の入港チェックを」
「彦火もやれるか? 」
「朔夜様には真と珠がついています。あの二人で、防人一人分のくらいの働きが望めます」
 やはり人手がほしかった。夜織と毛沼がいないのは辛い。
 昨日、卑墨を補足しながら、目前で取り逃がしたと連絡が入った。すぐに戻りたいから、稲氷に飛行艇を出してほしいとの夜織の要望も。
 しかし、雲野殿の襲撃ではない。一度敵に組みしたとは言え、相手はただの人間だ。そこまでの緊急事態ではないと、明が要望を蹴った。毛沼はともかく、夜織には辛い数日というお灸が必要と。同感だった。朔夜様に事態を報告しても、眉ひとつ動かさなかった。

 朔夜様に血をいただいてから。自分の身体が変化し続けている。脊椎の神経が瞬時に修復し、足が動くようになったのも驚きだが、その後の各部の補強も普通では無い。
 朔夜様がランニングに誘ったのは、ご自身お確かめの目的だったよう。山間部は毛沼や稲氷にバイク先導をさせていたが、数日後から、出来るところまで来るようご指示を受けた。
 その通りに従う。徐々に離される距離が減る。二週間ほど続けると、驚くことに付いていけるようになってしまった。この身体は、走力だけをとれば、明や夜織を越えた。
 ただ、体重が増す。鍛えた足の筋肉密度が朔夜様に近づいたのか。いつの間にか二十キロも増えていた。筋肉の容積にほとんど変化が無い。それならばと、思ったある日に朔夜様に呼ばれた。
「足以外は鍛えてはならぬ」とのお言葉。
「わかりました」とお答えする。なぜ………? 朔夜様に質問などしてはならない。しかし、防人の能力が上がるならと、全身も鍛えたかった。
「………内蔵に負担がかかる」とお話いただき、目を逸らされた。初めてお見受けする固いご表情に、抑えているつもりが口を開いてしまった。
「………どのような結果に? 」
「寿命が縮んでしまう」薄らと抱いていた懸念を明らかにしていただけた。
「わかりました。朔夜様のご使命が叶うまで、死ぬわけにはいきませぬ」その後、朔夜様は一言も口にされなかったが、ひとときを共にしていただけた。広い一室に佇んでいただけなのに、胸一杯の幸福を味わえた。この御方を護りきるまでは………と、心に深く刻み込む。

二十二、

「島の周りを回遊しているシャチが怪しい。海神殿の度重なる確認によれば、それに雲野が憑依していると断言しても良い状況だ。そして、高天原の監視が、海保の署長に入っている。これも間違いない。また、卑墨は誰かの手助けによりすでに上陸をしている。しかし、一緒に来ようとしていた仲間は、夜織と毛沼が阻止した。以上が、敵の状況だ」朔夜様を前に、戻った夜織と毛沼も加えた一同で、今後の対処を検討する場をもった。
「そいつらの統率は、まだとれていない気がする………」夜織が控えめに言う。
「確かに。雲野が憑依したと思われるシャチに操られている人の気配は無い」
「海保の署長の動きは? 」彦火が神武に聞く。
「ごく普通に勤務している。非番の日は、俺なりに悟られないよう一日付け回した」と、神武
「菊池代の尾行はムリだろう、こんな人気の無い島で」と、可笑しそうに五瀬。
「もう、その呼び名は使うな久蔵! おっと侍従殿だな」と、やりかえす神武。
「署長の動向は、海神氏にもお願いしている」
「はい明殿、ただ不振といえば、やはり海辺でカツオドリが寄り添う場面を見たこと。この島の者は、野鳥に餌付けなどしませぬ。しかし署長は、昨年赴任した本土の方なので………」と、海神殿。
「………その後、卑墨という男の潜伏先や手助けの動きは? 」
「昨日掴みました。父島基地勤務の隊員の履歴を一通り確認したところ、九月に陸自から左遷同然で来ている男が一人いました」と、稲氷。
「九月? 常立との初戦を終えた直後か」
「はい。履歴には勤務地の移動理由の記録は無く、他の隊員に聞き回ると、噂として武器の基地外への持ち出しをしたとか。仕方なく隊長を問いただすと、それが………」と、稲氷が口ごもる。
「あの火炎放射器か? 」
「そのようです。本来重罪で、自衛隊法で免職処分されているはず。しかし我々の戦闘は世の中から抹殺されていて、その者の行為も無記録には残せなかった………ただ、陸自には留め置けず、ここへ左遷」と、稲氷。
「我々が、ここへの移住を決める前だな。その男が、卑墨の上陸を助けた」
「間違いないでしょう。ただ、他の隊員に不審な動きはありません」と、稲氷。
「九月に赴任といえば、傀儡という名では」と、海神殿。
「その通りです。素性を詳しく聞き調べたら、一時、暴走族に所属していたようです」
「おい官兵衛! まさか『鵺』じゃあるまいな! 」と、叫ぶ神武。
「その通りだ菊池代。あの、つばさ橋の最終戦で、卑墨のかわりにヘッドをしていた」「わかった。現状をまとめる。海保の署長は、直接の攻撃手にならないと仮定。当面の敵はシャチに入った雲野。それに、朔夜様に敵意を持つ卑墨と、それを援助する傀儡。今回は、迎え撃つのでは無く、この敵たちが統率されて勢力を拡大する間を与えずに、先制して撃退する」
「明殿。首尾は終えています。海神一族は、鯨獲(くじらと)りの末裔。その技とともに、すでに使われていないキャッチャーボートも入手しました」と海神殿。
「よし。では、雲野の憑依したシャチ退治は自分と夜織、海神殿。稲氷、毛沼、神武が卑墨と傀儡を捕縛! 」
「承知」と、夜織。
「わかりました」と、稲氷、毛沼、神武。
「私たちは? 」と、少し顔を紅潮させた真と珠が同時に。
「朔夜様と館に。五瀬、彦火と共に御護の役目を」
「はい」と、二人声をそろえる。朔夜様の背後に控えた五瀬も頷く。
「海保の署長は? 」と、彦火。
「その、カツオドリとともに放っておけ。ただし、我々の戦いを妨害したり、敵に味方をしたときは容赦するな! 」と、思わず檄を飛ばしてしまった。直後に、
「殺してはいけない。操られているだけなのだ。先の戦の我が鏃(やじり)は、肩への一矢で十分だった。迂闊にも逸らしてしまった………」と、ずっと口を挟まずに聞かれていた朔夜様。そのお声を合図のように、全員朔夜様に向き直りひれ伏した。

 二十三、

 双子と言っても性格は違った。妹は大らか。私は心配性。彦火殿が付いているとは言っても、明殿が不在なのは初めてだった。侍従の五瀬殿も、本来は戦闘員だったと聞いていても………。
 雲野という名の敵はシャチに憑依している。ならば、陸にある館を襲うことは不可能。そう自分に言い聞かせると、少し落ち着ける。
 物心ついたとき、私たちには両親がいなかった。遠いところで働いていると、祖父が言っていた。ただ、海神家には漁を共にする若者が大勢出入りしていたので、寂しいということは無かった。
 妹と共に父島高校を卒業してから、島のダイビングセンターで働いた。観光のダイバーのガイドや世話をしながらスキルを上げ、程なくインストラクターになった。
 そして表向きの生活とは違う、もう一つの日課も持っていた。毎日夕食後の数時間、三日月山の館の手入れと、武術の鍛錬。小さい頃は理由も分から無い日課だったが、十五歳の誕生日に、館の意味と鍛錬の理由を祖父から聞かされる。
 けれど、朔夜様が訪れたり直接御護りする可能性は、限りなく少ないと祖父。でも、なぜか二人とも今日のあることを同時に予感していた。
 陸自の基地に赴任した稲氷殿に、自衛隊の標準装備となる小銃と防弾チョッキ、それに拳銃も渡された。小銃や拳銃は、その扱いも基地に行って訓練した。数ヶ月前の戦いでは、こういう火器で武装した集団と、弓や刀で戦ったそうだ。結果、味方側に多数の死者が出たという。五瀬殿の父上も、その戦闘でお亡くなりになった。
 その教訓から、敵の襲来を迎え撃つ武器のレベルを上げられた。
「姉さん、このベスト、私にはムリだわ」と。珠が声をかけてきた。最新式で重量も全身に分散するよう設計されたというけれど、実際に装着すると十一キロは重かった。
「珠、脱いではだめだ」と、朔夜様のお部屋から出てきた五瀬殿。
「動きに不利と脱ぎ捨てた毛沼と神武は、撃たれて一度死んだ」そう言いながら、私と珠の背後に腰を降ろす五瀬殿。
「あの、毛沼さんも神武さんも幽霊なんですの? 」と、笑いをこらえて珠が聞く。
「甦生することができた。兎に角一度、あいつらの死体を見た。詳しいことは自分にも良くわからない」と、真面目に答える五瀬殿。
「………朔夜様はお部屋で何をされてるのでしょう? 」
「ネットである方を捜している」
「朔夜様はITも操れるのですか? 」意外に思い聞いてみた。
「防人で自在に操るのは彦火殿なのだが、朔夜様は同等か上回る力量をお持ちだ」
「差し出がましいようですが、『ある方』とは? 」
「………朔夜様の姉君で、イワナという名だそうだ」
「ご兄弟がいらっしゃったのですか! 」と、珠。
「双子の姉君らしい」
「まぁ、私たちみたいですね。なんだか嬉しいわ」と、無邪気な珠。
「でも、捜されているということは、行方を知らずにおられたのですよね」と、そんな事情に思いを馳せた。けして幸せなことでは無い。
「………朔夜様の記憶では幼い頃に別れ、その後千年前に一度目にされただけと言われた」と、五瀬殿。その事態の異様さに、しばらく言葉が出なかった。

 二十四、

 海神老人の操るキャッチャーボートで、島を周遊しているシャチを捜していた。
 船首に備えた銛の発射台に俺を立たせ、双眼鏡で辺りを哨戒する明。あえて俺を自身の懐に入れる肝の据わりよう。やはり、兄だ。
 首都高の第二環状線で、卑墨のZX14Rに置いていかれた。仕方なく、ビビってアクセルを開け続けられない、奴の仲間の三台を蹴り倒した。百キロを超える高速走行中。死んだかもしれない。どうせロクデナシども、気にしないと決めた。
 レインボーブリッジで、ようやく目前にした卑墨。ところが、計算済みの回避と逃亡。無様に取り残された俺たち。すぐに毛沼から稲氷に、自衛隊機での緊急空輸を願ってもらったが、こちらに緊急性が無いと断られた。
 悔しさに眠れない日々を過ごし、ようやく小笠原丸の定期便で戻る。お陰さまは、毛沼と良く飲み話したこと。
 毛沼がロードレーサーだったこと。挫折。暴走族を狩りまくった特別部隊「黒豹隊」の隊長時代。そして、鵺のヘッドだった卑墨の逮捕歴。話題に事欠かなかった。
 俺も、無敵のドラッグレーサーだった頃の話と、白バイ隊員だった神武とのバトル。続けていれば逮捕歴がついたろうに、偶然出くわした車に道を護り、自爆した俺を見逃してくてた………。
 毛沼との日々を回想していると、
「左舷前方にシャチ! 二匹」と明の指示。静かに流していた船が、エンジンの雄叫びをあげてその向きに突進する。海神老人の教えを忠実に思い出し、銛を発射する銃の引き金に指を。
 近づく。射程距離。目前を悠々と泳ぐふたつの巨体。どうも、俺たちが操っている船の正体に気づいて無いよう。二匹。どちらか? 
「夜織、撃て」と、明。一度に撃てる銛は一本。
「海神! どっちかわからないか? 」と、聞く。
「………二匹の位置が交互に入れ替わるのでわかりませぬ! 」と叫ぶ。
「夜織が決めろ! 」と明。ならばと、大きい方に標準。撃つ。思った以上の爆音と銛に繋がれたロープの風切り音。一瞬鼓膜が押されて音が消える。ゆっくりと銛が飛び、標準した一頭に命中。大きな銛はその背に深々と突き立つ。
 次の瞬間、緩んでいた銛のロープがピンと張る。危うくはね飛ばされそうに。船がグッと引かれ、大きく傾く。俺や明が不用意に甲板に置いたものが波間に飛ぶ。
「振り落とされぬように! 」海神老人の冷静な指示。膝を付き、銛の発射台にしがみつく。明に視線を送ると、船首左舷の手すりに捕まり、ロープの刺さったシャチを見守る。もう一匹は、逃げていく。
「明殿、高天原の気が、消えていきます」と、海神殿。
「殺ったのか? 」と、叫ぶ。しばらく答えが無い。明もじっと海面を伺う。
「遠ざかる気は 逃げるもう一匹の方向」と、海神老人の悲痛な叫び。
 その言葉を、聞き取ったと同時だった。『ドン』という予期しない大きな振動とともに、船が水面から浮き上がった。三人とも、振り落とされぬよう耐えるので精一杯。
 そして、船底からバリバリという破壊音。船首と船尾が水面に付き、船がゆっくりと二つに折れた。船首側に俺と明。離れ行く船尾との間に、黒く丸い巨大なものが突き上がる。それの切れめにとがった歯が規則正しく並び、その上に小さな目が不気味な光を放っていた。
 そして、半開きの口元は、海神殿を咥(くわ)えていた。愕然とするが、為す術が無い。
「夜織、無事か? マッコウ鯨だ! 」すでに海面に浮く明が見えた。無事のよう。俺も沈む船首から離れて立ち泳ぎ。鯨は、海神殿を咥えたまま目前で悠々と沈み行く。胸ポケットに入れていたスマホで、急ぎ救援を呼ぼうとした。
 しかし明の背後には、こちらをめがけて突進するシャチの影。凄まじい敵意に肌が総毛立つ。二人とも、絶体絶命。

 二十五、

「少しの間住むには困らないでしょう」と、傀儡(くぐつ)。
 奴の小舟で上陸したのは、父島ではなく兄島だった。今は無人島。案内されたのは、旧日本軍の塹壕後だった。食料や寝具、発電機に燃料まで運び込んであった。
「なにしろ狭い島で人も少ないから、よそ者はすぐにバレます。当分は、ここに潜んでいてください」と、傀儡。事情通が言うならしょうが無い。
 特にやることも無く、時々傀儡とスマホで情報交換していた。
 俺が殺した虫に入り、頭(かしら)を操っていた何かの仲間が、今度はシャチに入ってあの小娘を殺す機会を伺ってるらしい。まぁ、俺がここに来た目的と合うならと思っていた数日後、大きな双眼鏡を持って傀儡が現れた。
「仲間を集ったんですがね、結果、ムリでした。いくら金を積んでも、人殺しは出来ないと。まぁ、俺みたいな武器マニアや、本土で何かやっかいなことをやらかしての島流しはいるんで、目星を付けて当たってみたんすが………」
「人殺しが出来ない自衛隊員か、それも笑えるな。で、お前に近づいてきた海保の署長って、どういう奴なんだ? 」
「それが、どうも変な男で、突然俺を名指しで呼び出して『卑墨の仲間だな』と言うんです。そうだとしか言いようが無くてね、なにしろM2改の横流しを知ってましたから」
「それって、死んだ頭(かしら)と高(たか)頭(とう)さんしか知らないはずだが………」
「そのへんの経緯は知りませんが、ともかく『私も、朔夜を標的とする仲間だ』と言うんです」
「………そいつは人間だろうな」
「はい、ここへ赴任して何年か働いているようで………」どうも、頭や高頭さんとの接点が浮かばない。
「でね、そいつが今日、これから兄島瀬戸という辺りで、面白い見せものがあるから見てこいと………」
 傀儡に誘われるまま、その海域が見渡せる高台まで行く。
 俺のような極道でも、ここの海の美しさには見とれる。眼下に、その中でも有名な海中公園が広がっていた。
 そこへ、大きな白黒模様の巨体が二匹、色の濃い深場を泳ぐ。突然、父島の右手から速度の速い船が一艘。船首に男が立ち何かを構えている。
「きたきた、シャチとキャッチャーボートの対決だ! 」そう、嬉々として双眼鏡を除く傀儡。胸騒ぎ。双眼鏡をひったくる。動きが速くてなかなか視野に入らない。
 しかし一瞬見えた船首の男は、正(まさ)しくハイランドで俺を斬り殺しかけたやつ。突如、殺意が燃え上がり頬の傷が疼く。視界が逸れるので、双眼鏡を返して見る。
 そいつが大砲のような銛を、一(いつ)頭(とう)のシャチに打ち込んだ。もう一頭は逃げる。なんだい、遣られちまったじゃないかと一瞬落胆。
 けれど、突然、船が岩のような黒いもので押し上げられて真っ二つ。鯨! さらに操舵手の男も咥(くわ)えて海へ潜ってしまった。その一部始終を双眼鏡で食い入るように見ている傀儡から、もう一度引ったくる。波間に浮かぶ二人。やはり間違いなくハイランドの奴ら。
 そこへ、逃げたと思ったもう一頭のシャチが猛突進。突然興味が無くなり、双眼鏡を傀儡へ返す。
「卑墨さん、第二ラウンドですよ! おっと、鮫もきやがった! 」と叫ぶ傀儡。
 ふん、あの二人がどうなろうと知ったことか。そこに小娘がいないじゃ無いか。俺の標的は朔夜という小娘のみ。

 二十六、

「神武か? 鯨に襲われ船が沈んで、海神殿は喰われた。明とシャチに襲われている! 」と、初めて聞く悲痛な夜織の声が俺のスマホに。
「どの辺だ? 」
「兄島瀬戸沖だ、救援に来れるか? 」
「すぐに着く! 」確かに近くを、サザンクロスで哨戒していた。操舵手に、兄島瀬戸沖で救難の連絡を受けたからすぐに向かってくれと、要請。
「どのくらいかかる? 」
「数分だ」
「海中で、シャチに襲われてる! 」
「何だって! この船で対応できるか? 火器の装備は無いぞ」
「海面に顔を出せば、この小銃で撃てるか? 」と、赴任と共に署には秘して持ち込み、サザンクロスに隠しておいた海上保安庁の銃を出して準備した。一瞬そんな俺に視線が釘付けとなった操縦手は、
「………多分。だがあの大きさの海獣、分厚い皮下脂肪で致命傷までは難しいかも」

 稲氷の指揮で、毛沼と共に非番だった傀儡の寝泊まりする自衛隊宿舎の部屋を急襲した。だが、もぬけの殻。卑墨が潜んでいた痕跡すら無い。先制といっても、もう少し相手の所在を確認すべきだったと、稲氷がぼやく。
 確かに、自衛隊の火器を持って、雲野の憑依したシャチと合体されてはたまらない。その恐れが裏目に出た。
 ふっと、いやな予感。明たちの後方支援に行くと、二人と別れ、急遽サザンクロスを出航させていた。案の上の救難連絡。想像を超える非常事態。俺の感は鈍ってない。
 兄島瀬戸。浅瀬の海洋公園。二人はなんとか足が立つ海面の浅い箇所まで逃れたようで、背を合わせダイビングナイフを手に威嚇。その周囲の深みを、時折潮をあげて呼吸しながら優雅に泳ぐシャチと、取り巻くようにサメの一団も。まさに、小動物を弄(もてあそ)ぶ肉食獣たち。不意の一撃を食らえばひとたまりも無い。だだ、良く観ると形の違う背びれで泳ぐスピードがまったく違う数匹が二人を護るようもっとも近い周回をしていた。こいつらはイルカ。
 サザンクロスのサイレンを浴びせ、同時に八十六式小銃でシャチとサメに連射を浴びせる。即座に潜るシャチ。浅く泳いでいた数匹のサメにはヒット。でも浅瀬。透明度も手伝い見える範囲にいる。狙い澄まして連射し続けるが、一度水中に入った小銃弾では傷さえ与えられない。
 ただ、シャチとサメの威嚇から解放された二人は、イルカに曳航されるようにさらに浅瀬へ避難。その様子を見届けて、不利を悟ったシャチ。これ見よがしに一度大きくジャンプし、我々を威嚇してからサメを伴い沖へ消えた。
「神武、速かったな。お陰で命拾いした」と、船に引き上げた直後に夜織。
「すまない。自分の想定が甘かった。海神殿とキャッチャーボートを失ってしまった」と、力なく明。
「傀儡の宿舎襲撃も空振りだ。卑墨のいた痕跡も無い」
「そうか。まぁ、そっちは想定内だ」と、明。顔に血の気が無い。気づくと夜織も。二人は、共に足から出血していた。シャチかサメの仕業と思われる噛み後。
「これか………本気を出せば、容易く食いちぎることも出来たろう」
「俺たちの血の臭いで、鮫がうようよ来てな、あいつは、鮫に食われる俺たちを高見の見物としゃれ込んだようだ」と、悔しそうに夜織。
「そこに、あのイルカたちが来てくれたんだ。集まった鮫たちに体当たりして、浅瀬まで逃げる時間を稼いでくれた。しかし………」と、明。そのまま気絶。
「一頭、シャチにやられた。鮫はその傷ついたイルカを食い荒らし………」と、言い残して夜織も気絶。おそらく失血が原因。
 二見港に、自衛隊の救急班を待機させて急ぐ。陽が傾きかけていた。ふと船尾を見ると、イルカの群れが追っていた。思わず大きく手を振り、感謝を告げた。

 二十七、
 
 並べられた真新しいベッドに横たわり、傷の縫合と輸血を受ける明と夜織。医師の話では、二人とも全身の血液の半分以上を失っていた。男の体では致死量。なぜ生き延びることができたのか、不思議な症例と首を傾げていた。防人だからとは言えない。
 神武のいる海保や、私が海自での武力支援をしていれば、海神殿を死なせ、防人二人が動けないような事態はきっと防げた。慚愧で怒りが込み上げる。
「回復には、最低でも一週間はかかるとの診断でした」朔夜様も交え、館で待っていた皆に報告した。
「海神殿は亡くなられたのか」と、朔夜様。
「二人の話によると、鯨に襲われたらしく………」
「………やはり、私も戦う」と、朔夜様。
「このような事態を招き申し訳ありません。幸い雲野は海中です。明たちが復帰するまで、陸の館で護りをかためていればと」あわてて彦火が進言する。
「指揮は誰が? 」と、朔夜様。
「………私が適任かと」朔夜様の視線が自分に。言葉は無いが、小さく頷かれた。
「承知いたしました」と、お答えする。
 翌日、前之浜に海神殿を咥えたまま息絶えた、マッコウ鯨の亡骸が打ち上げられた。鯨の頭には船の竜骨が深く突き刺さっていた。なぜこんな悲劇が起こったのか、我々以外には分からない。島民はこぞって、不吉な兆候と恐れおののいた。
 さらに翌日、宮之浜に海神氏のキャッチャーボートの銛が刺さった、シャチの亡骸も打ち上がった。島民たちは、天罰と噂し合い、非難の的は最近の移住者の我々に向けられた。
 海神氏の自宅には、いつのまにか『島を出て行け』という立て看板が立てられた。幸い三日月山の館は結界で、普通の島民は近づけない。けれど、敵意の矛先は警官の毛沼や海保の神武、自衛官の私にも向いた。島民のほとんどが、なぜか我々の繋がりを知っていた。
 そして、『朔夜を追い出せ! 』という文字が、館の入り口付近の路面にスプレー塗料で書かれた。事態はすぐに朔夜様の耳に。明たちは、まだ退院できない。高天原のものが入った海保の署長と、何処かに潜伏している卑墨や傀儡たちが組んで行ったこととしか思えない。朔夜様に全員が呼ばれる。
「稲氷、事態が悪化した」と、開口一番。
「すみません、館の守備に気をとられ、後手に………」と、お答えするしか無い。
「島民感情を使うとは、誰も想定しませんでした」と、彦火が言ってくれる。
「雲野殿たちは、私をここから出す手順を踏んでいる」ご指摘された通りの事態。先制は完全な失敗で、かえって敵に朔夜様を館からおびき出す口実まで与える結果に。沈黙が続く。
「毛沼、最近は? 」と、朔夜様。
「巡視をしていると、石を投げられる始末です」と、毛沼。
「神武は? 」
「保安士たちは誰も口をきかなくなりました。それから、署長は不在がちで、やはり、あの者が島民の敵対感情を煽(あお)る策の中心かと………」と、神武。
「実は、私も内地の陸自への帰還命令を、基地の隊長が進言しています」と、秘そうと思っていたことを正直にお伝えした。一時(ひととき)の沈黙後
「富士に戻ろう」と、朔夜様。
「しかし、ここを出て海を渡らねばなりません」と、苦しそうに彦火。
「策はあります。海自のヘリか飛行艇を使いましょう」と、私の手の打てる手段を進言した。
「わかった」そうお答えした朔夜様は、皆が伏している間に消えていた。

 二十八、

『お前の言うとおり、初戦は襲ってきおったな』と、海をのぞき込む男に思念を送る。
『常立殿の戦いでは、守戦の形で戦端を開き、被害を拡大したと思っています。しかし、あのような船を持っていることは知りませんでした』と、白い制服姿の男から思念。朕はシャチの姿なのだから、異様な光景だろう。真夜中の二見港岸壁。人気が少ないことが幸い。
『お陰で此(こ)奴(やつ)は伴侶を失った』
『しかし、もう少しで防人を二人討ちとるところだったと、監視から聞きました』ということは、彼奴(あやつ)は上空から見ていたかと思う。
『ふん、あまりに安易に策にはまるので、弄(もてあそ)びすぎた。どうも、此(こ)度(たび)防人を討たなかったことは、後々まで禍根を残しそうだ』
『それにしても、鯨も参戦されたとか』
『あぁ、朕が操(あやつ)った。けれど、船をへし折ったのは、此奴の力よ』
『シャチの能力なのでしょうか? 』
『思念が力も持つのだ。物を動かすことができる』
『人の言う、念力というものでしょう』
『とどく範囲は限られるがな………それに、使うと相当疲労する』
『鮫たちも? 』
『あれらは、勝手に来た。そう、ここの中にも、防人の勤めを持つものがいたぞ』
『イルカたちでしょうか』
『そうだ、あいつらは、うまく操れなかった。船を折るのに力を使いすぎたのと、此奴と同じくらいの脳を持つようだ』
『次なる戦いには、対策をしましょう』
『いつになる? 』
『………防人二人が深手を負った敵は、陸の館に籠もりました。ここへおびき出す策を弄(ろう)しております』
『常立殿の言っていた、悪党はどうしておる? 』
『すでに、隣の兄島へ来ております』
『役に立ちそうか? 』
『その者も、朔夜を抹殺するためにここへ来たので』
『まぁ良い。朕は此奴が気に入った。気ままに待っておる』そう言い残して、沖へ去ろうとした。
『お待ちください。来ました、悪党どもが』と、白い制服の思念。去ろうとした沖に目を向ける。希薄ながらも邪悪な気か二つ。小舟に乗って、時折明滅する明かりを振り近づく。 はて、どうやら人のくせに、妙な気をもつものたち。地の上にも我の知らぬものがいるらしい。慣れない手つきで岸壁に横付け。
「遅かったな、傀儡(くぐつ)。そして卑墨」と、制服が話しかける。
「沖からエンジンを切って来る指示を、まもりましたから」と、オールを持った男。
「その声は………高頭さん? 」と、小舟のもう一人が言う。強い邪気はそやつの方。
「そうだ、前の者の声(こわ)色(いろ)を使ってみた」と、制服。話しかけた男は、なぜか合点がいったよう。朕を、朕の憑依したシャチを指さし、
「こいつが次の頭ですかい? 」と、聞く。制服が、黙って頷いてみせた。

 二十九、

「やはり、ついてきたか」と、朔夜様。御簾の向こうに置かれたご自分の寝台に座られた。
「失礼をお許しください」と、御簾の前にひれ伏す。隣の姉も共に。
 皆が軍議という場での発言を、姉さんに堅く止められていた。守ったけれど、朔夜様と話したい一心は、朔夜様の退出で終えたあとを追う行動となってしまった。姉さんも、そんな私に黙って付いてきてくれた。そっと付き従う五瀬殿。私たちの背後で、朔夜様の寝室の扉を閉めていただけた。ご自身は、扉の外に。
「海神殿を亡くした二人に声を掛けられなかった、すまない」と、朔夜様。
「そのようなご心労、申し訳ありません」と、返答。
「残念なことで、私も悲しい」と、朔夜様。
「………お悔やみの言葉、ありがとうございます」やっとお答えすると、姉さんも言葉をそろえてくれた。涙が止まらない。ひれ伏した手の甲に滴り落ちる。
「失礼かと思いますが、一言お許しください」と、意を決し、顔も上げた。朔夜様も私を直視されている。薄暗い部屋なのに、金色の瞳孔が赤い光彩で縁取られて眩しいほど輝く。
「イルカたちの話では………」と、きりだす。話題のあまりの唐突さを、補うすべがない。
「声で話すのでは無く、意志を感じるのです、私も」と、遠慮がちに説明する姉さん。
「………つづきを」と、朔夜様。表情を一切お変えにならない。
「あのものの諸行をゆるしておけぬと。あの亡くなられた鯨は、この一帯の主でした。夏の間の。冬には北の海へ一休みにでかける習わしを、朔夜様のお出ましで取りやめ、イルカたちとともに海も中で御護りしていたのです」
「ではなぜ、海神殿を? 」と、朔夜様。
「操(あやつ)られたと。絶命する間際にイルカに伝えたそうです」
「雲野殿が憑依したシャチに………」
「ご明察と思われます。それに、鯨の体当たりくらいでは船はあのうように大破しません」
「船を壊したのも………」
「シャチに相違ないと………あのシャチは、人も凌駕する力を得ています」と、今度は言葉を選ぶ姉さん。
「………わかった。私がここに来なければ、このような異変も事態も起こらずに、海神殿も生きておられた」と、僅かに視線を下げて朔夜様。思いが口から出てしまう。
「もし、朔夜様がここから離れられると、雲野………もシャチから抜けるのでしょうか? 」
「いや、一度降臨された神は、憑依した生き物が死なない限り居座る」とても重い言葉だった。すでに朔夜様たちは島を離れる手筈を進めている。でも、
「珠、真。安心せよ。雲野殿には早々に帰っていただくことにする」と、さらりと言われる朔夜様。
「と、言われると? 」次のお言葉を待つ。
「憑依されたシャチは退治する」と、決然と。
「明と夜織にも手伝わせる。五瀬! 彦火を呼べ! 」と、声を。扉の向こうで、
「承知! 」と五瀬殿の返事。
「私自ら討って出る。海神殿と鯨の仇を討とう! 」と、言葉。私も姉さんも、咄嗟に御簾を払いのけて、朔夜様を抱き留めていた。その、あまりに華奢なお体が、炎のように熱くなられていた。心地よい熱が伝わり、全身の不安が消えて安堵に浸る。

 三十、

 朔夜様のご指示で、彦火の血を少し輸血してもらった。
 突然の覚醒。失血による体力回復のため、睡眠持続剤を大量に点滴していたにもかかわらず。身体が疼き、伏していることが出来ない。数本の点滴針を抜き払い、周囲の制止を無視して立ちあがる。黙ってもいられずに雄叫びも………。
 記憶が蘇る。予期せぬ鯨の体当たりで、キャッチャーボートが大破。夜織とともに投げ出された海で、シャチに足を噛かまれる。止血しようもなく、水中へ流れ出る血。その臭いで、無数の鮫が近づく。だが、自分たちに向かってきた鮫を、何処からともなく現れ突き飛ばし続けるイルカたち。
 その騒ぎのなか、夢中で浅瀬をめざす。あと少しのところで、追ってきたシャチに阻まれる。夜織と背を付け、ダイビングナイフを持って対峙。シャチは自分たちの周りをゆっくりと周回。その目は確かに嘲笑って、失血で気絶するのを待っていた。その後の記憶はない。
 覚醒と共に、身体が記憶の続きを演じていた。夜織も、隣のベッドでほぼ同じことを。『夜織! 自分たちは助かった! 』と、一括。夜織の光彩がグッと縮み、瞳がぐるりと一周した。
 巡視艇で駆けつけた神武に助け上げてもらったあと、少し会話できたという。海神殿が鯨に襲われた場面の記憶はあった。夜織は、それすら覚えていなかった。告げられた稲氷に、
「自衛隊の火器を貸せ! あのシャチをぶっ殺す! 」と凄み、病室から飛び出ようとするところを彦火に止められた。
 その場にいた毛沼や神武はあっけなく突き倒されたが、彦火にはねじ伏せられてしまった。阻止された悔しさより、彦火の怪力に夜織の顔色が変わった。
「………彦火、その力は」と、夜織。
「これも、朔夜様にいただいた。二人の回復もだ! 」と、彦火。夜織の全身から、緊張が解けていった。三人とも、朔夜様の血を分けていただいたことになった。
「指揮権は明に戻すが、少し策を考えてみた。朔夜様も、敵を殲滅してからでなければ、島を出ないと言われている」と、稲氷。その言葉の前に、自分たちが寝ている間に朔夜様が島を去る手筈が話し合われていたと聞く。続けて、
「姿を消した傀儡(くぐつ)の動きを知っている隊員がいた。金で雇われ掛けたらしいが、目的が殺人と聞いて断ったという」
「やはり、卑墨は朔夜様を亡き者とする目的で来たのか………」と、毛沼。
「その隊員によると、兄島に仲間が潜んでいるらしい。姿を消したままの卑墨だろう」
「兄島は無人島のはず」と、神武。
「だから隠れるには都合がいい」と、稲氷。
「その隊員の身柄は? 」と、稲氷に聞く。
「口外したら、生かしておかないと傀儡に脅されている。しかたが無いので、ことが済むまで、館に匿(かくま)っている」
「………護衛は付いているか? 」と、夜織。
「五瀬に、十分に注意するよう念を押してある。この狭い島では、他に隠しようが無かった。この情報を警察署の毛沼から海保の神武へ。そして、海保と警察の合同チームで卑墨と傀儡を捕縛する」と、稲氷。
「罪名は? 」と、毛沼。
「………国立公園内の不法占拠でいいいだろう」と、彦火。
「シャチは? 」と、聞く。
「そっちは、朔夜様の囮(おとり)を真か珠に演じてもらい誘き出し、緊急医療搬送用として置かれている硫黄島基地のヘリにブローニングM2を装備してきて射殺する」と、稲氷。
「12.7mm重機関銃か、硫黄島基地のヘリの型は? 」と、神武。
「UH-60Jつまり、ブラックホークだ。シャチはほ乳類だから、どうしても水面呼吸が必要だ。ヘリをホバリングさせ、上がってきたところを狙い撃つ。襲われる心配は皆無だ」
「わかった。まずは? 」
「卑墨と傀儡を狩ろう! 準備は今夜中。決行は明日未明」

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