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Dラボで重度な精神疾患で入院した自分が人生変わった話

突然だが私は、精神疾患を抱えていた。

その病名は、双極性障害だった。昔から感情のアップダウンが激しくて、自分でも嫌になっていた。
自分が弱いってことは、中学生の頃から気がついていた。だから自己啓発本とか読んで俺は特別な人間なんだと勝手に勘違いをしていた。
当然こんな思考なんで、周りから孤立をしていた。中学の時に職場体験クビになる程だった。
自己啓発とか読んでいると特別な人間にならないと価値がないと勘違いしていて、高校は、地元は東京で、四国の方に行った。四国の野球の強豪校で上下関係も暴力もあるほど厳しい環境だった。
行った動機は2つ。1特別である証明周りと違うことに誇りを思っていた。2ダメな自分を変えたい。だった。結果私は、高校に行くが、いじめられ、監督やコーチからまで理不尽な罰ばっかりだった。
それで、やめようとしたが親が辞めさせてくれなくて、そのまま選手として練習する喜びもないからマネージャーサイドに行った。
私の高校では、後輩が首吊り自殺を選ぶほど酷い環境でした。
高校のダメなやつレッテルが貼られた自分は、自衛隊に行って見返してやると思い自衛隊に入った。
だが、ここでも上官に厳しくいじめられる日々で何度止めようか迷った。訓練中なくものなどいないのに私だけ泣いていて、男として情けないとか罵倒されていた。悔しいし見返したい。私の想いは、いつも、自分を変えたいだったのにこんな自分がなぜ?変えることができないの?宿命論なの?それとも親ガチャで決まるの?本気で親を恨んだし、私には能力がないと悟った。
憧れていたホリエモンとか青汁王子になれないとわかった。そこから死んだ方がマシなんだなって思いながら毎日酒を飲んでは、寝る日々。
親がちゃ失敗だ。東大生の子供のところに産まれてればなーって本気で思っていた。ついに酒を飲んでいた衝動で首を括り実行した。
だが4回やってまだこの世に未練があると思い、首吊りをやめた。
まだ死ねなかった。
その後自分で病院に行き、入院をした。
今振り返ると無駄な努力や、根性論で行動に移せない、不安が強い人だったんだよなって思う。Dラボに入ってから瞑想やセルフコンパッションを始めて自分に対して批判しないってことをやったらメンタル状態は良くなっていったし、BIG5テストの誠実生も過去と現在では圧倒的に変わった。
これからは、Dラボで人生変えてくれた師匠に将来成功した自分が泣きながらありがとうって言いたい。
あなたがいなければ私は、この世にいなかったかもしれない。し、ラボに入ってから人生が良くなる一方で、生活が楽しくなっていてもっと早く知りたかったなという後悔がありますね

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