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夢であいさつ!

私の名前は「洋夢」(ひろむ)と言います。

子どもの頃、
この名前が大嫌いでした。

「夢」という文字が入っていることが
恥ずかしくてたまらなかったから。

「いい名前だ」と褒められても、
その言葉を素直に受け入れられず、
「どうせ、誰にでもそう言っているんだろう」と
ひねくれモード全開で受け止めていました。
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でも、ある時、
ある違和感を感じました。

中学生になり、年が1つ2つしか変わらない同じ子どもに敬語を使わないといけないことにも慣れてきた5月の頃。

テスト返却の時に、イントネーションのおかしい社会の先生が、みんなのことを苗字で読んでテストを返すことにすごい違和感を覚えました。

私の生まれ育ったところは信号が2つしかない360度山に囲まれた田舎町。
みんなクラスに遠い親戚が2,3人いるような状態。
8割以上が保育園からずっと中学校卒業まで一緒の教室で育ってきました。

だから名前で呼び合うのが当然だった私達にとって、それはとても妙な感覚で、名前が嫌いだと思っていた私は、苗字で呼ばれることはもっと嫌なことだと知ったのです。

それから当時部活をサボってでもみていたアニメ、「鋼の錬金術師」
ヒーローが悪い敵を倒していく正統派の物語しか知らなかった自分にとって衝撃の作品でした。「善悪」「正義」「愛情」といった概念に対する考え方がことごとく覆される内容で、あっという間にストーリーの中に引き込まれていきました。

その作者である荒川弘さん。なんと弘とかいて「ひろむ」と呼びます。さいしょ「ひろし」だと思っていたので、それが自分と同じ呼び方の名前だと知ったときの徐々に込み上げてくるような喜びは今も続いているような感覚です。

逆に同じ名前の人が割といるんだということが分かってくると、特別感が薄れてがっかりしている自分もいました。

高校時代は自分のことをヒロと呼ばせて「おれから夢を取らないで」と言う恥ずかしい持ちネタもありました。

気づけばもう自分の名前が大好きになっていたんですね。

そして今、必然とでもいうべきなのでしょうか、人生で最も大事なことは「夢を持つことだ」という答えにたどり着いたのです。

夢は本当に素晴らしい!

私は、とにかくみんな夢を持ってほしいと思います。

なぜならば夢が人生をもっとも輝かせ、一番大きな幸せをもたらすものだと確信しているからです。

実際わたしが本当に叶えたい夢を見つけたとき、その夢が私の人生を大きく変えてくれました。

1.  毎朝5時には目が覚める
→夢を叶えるためにしたいことがあるから目覚ましなんてなくても勝手に目が覚めるのです。

2.   20㎏痩せた
→夢の叶えるために頑張っているとお腹が空いていることも忘れ、間食もしなくなります。

3.  嫌いだった納豆やオクラが好きになった
→夢を叶えるために、健康(食生活)は欠かせません。健康に良いものが美味しいと感じる味覚を手に入れました。里芋はやっぱり無理。あれは土だ。

4.   職場でトップになれた。
→夢を叶えるためには時間が必要です。必死になって仕事の無駄を省くようになりました。するといつの間にか20人の部下を持つ職場の責任者にもなっていました。

5.   他人にイライラしなくなった。
→夢を叶えるためには人の細かいことでいちいち悩んでいる暇はありません。悩みのほとんどは人間関係、悩みが一掃されました。

6.  趣味は貯金になった。
→夢を叶えるためにはやはり今はお金も必要です。増やすスキルも勉強中。がんばっていれば増えてくれると信じています。

7.  家族との時間をより多く作れるようになりました。
→夢を叶えるためのモチベーションは何より家族であり、支えてくれる妻への感謝をより形にできるようになりました。

このように夢を持ったことですごく充実した日々になり、今も現在進行形で幸せが増す一方です。

そう、気づいてほしいんです。本来、夢とは現実とかけ離れたものなどではなく、人生で大切なことを全て兼ね備えた、現実に欠かせない存在だということに。

とはいえ、夢が叶わなかったとき、挫折したときのことを思うと怖い。どうせ自分なんかには叶えられないと思ってしまい、一歩が踏み出せないという人は多いはず。

でもわたしは思うんです。夢って結果叶わなくてもいいんですよ。

いや、それは逃げだ、夢の価値を下げる考え方だ思う人もいるかもしれません。

夢は叶えるためにある。

これは確かに間違いないんです。持てばそれでよしなんて夢は寝てからみろと私も言いたいです。叶えたいという想いこそ、夢の力であり、輝きです。

ただ、それが本当に叶えたい夢であるとき、もうそれがあるだけで人生の宝物になるんです。

夢を追いかける過程が人生の価値を大きく高めていきます。実際夢を叶えてしまうときは一瞬。その後は夢をまた失うことにもなります。

これだ!という夢をみつけられると、他の全てのことがどうでもよくなって、時間も忘れて、寝食すらまともにしないような、まさに夢中になれる。

そんな瞬間があるかないかで、人生は大きく変わっていきます。

ただ、この本当に叶えたい夢、これを見つけることが何より難しい。

何ごとも続かなくて困っている人は、やる気やノウハウうんぬんよりも、もしかしたらそれは本当にやりたいことではないのかもしれませんよ。

まずそれを見つけないことには今の状況を変えることは厳しいということです。

人はすぐ挫折するといいますが、私は勉強、ダイエット、悪い習慣をやめるなどを挫折してしまうのは、本当にやりたいことを見つけるというゴールを前に挫折をしていると考えます。

本当に叶えたい夢がみつかると、どんな苦痛も何てことない準備運動になります。

ですが、私だってようやく見つけられた“今”の夢です。人生32年かかりました。

最初の動機は5年ぐらい前の「彼女がほしい」「このままでは一生童貞だ」というところからでした。

そこから「行動」という人生で何より大事なスキルが育っていったと思います。

もしかしたらこれからも夢を追いかける中で、新たな答えに出会い、夢そのもの自体も形を変えていくかもしれません。

ただそのことに関してまったく躊躇はありません。より良い夢が見つかること、作り出すこともまた夢を追いかけることだからです。

だから最初はとにかく今もっともやりたいことは何か、これを思い浮かべてください。

あなたの夢が必ずあります。最初は欲望に忠実でもかまわないのです。

それを成し遂げるために、あるいはずっとやりたいことをするために必要なことを考えて、とにかく動いてみるのです。

いずれにせよ叶えたい夢があること、それだけは揺るぎなく人生を豊かにすると信じています。

それに必ずしも夢って自分で叶える必要あるのかなって。

また夢に対して妥協を促すような考え方を続けて申し訳ないのですが、ここでいう自分で叶えられなくてもいい夢というのは、自分で叶えられなくても受け継がれるタイプの夢もあるんだよということです。

もちろん自分で叶えないと意味がない夢もたくさんありますし、自己完結の夢を否定するつもりはありません。先ほども述べた通り、誰もが最初のスタートはそこです。

・好きなものを毎日のようにいっぱい食べたい
・タワマンに住みたい
・100歳まで生きたい。

そんな願いや夢だって持たないよりはずっとましで、人生の大きな活力となります。

ただ、何とか自分で叶えられそうな夢よりも、一見無謀とも思えるような夢を持つことを私は推奨します。

それは叶えることが非常に困難で、壮大な夢。
例えば先ほどの自己完結の夢も

・誰一人飲食に困らない世界を作る
・火星に永住する
・不老不死の薬を作る

といった具合に極端に大それた夢にしてみるとどうでしょうか。

どれも簡単な夢ではありませんが、これらの夢には共通することがあります。

それはもう誰かがそれを目指して取り組み始めているということ。

そして、誰かを助けたい、役に立ちたいという想いがあるいということです。

なんで自分のことで精一杯なのにわざわざ他人のための夢を持たないといけないのか。

それは人のための夢を持つことで、自分の夢もより近づくからです。

「情けは人の為ならず」改め「夢は人の為ならず」なのです。

人は一人では生きられないように、一人で夢を叶えることはできません。

誰かの協力や助けがあるからこそ、夢を追いかけることができるし、叶えることができるのです。

にもかかわらず、この世界には夢とは到底呼べないあまりにも身勝手で、人が損してでも自分さえよければいいという欲望で溢れ返っています。

もちろん誰の役にも立とうとせずに叶う夢や願いなどありません。自分さえよければという想いがあるところに夢が叶うための要素は一切集まらないのです。

人は誰かに支えられ生きているように、夢もまた助け合いなのです。

誰かを助けたいという想いが自分の夢を育てるのです。

ゆえにこういった誰かのためにという想いを添えた夢を持つこと、見つけることがより人生を素晴らしいものにしてくれると信じています。

誰かのためになる夢を持つということは、誰かと共に叶えていく、実現するまで受け継がれていく夢です。

またそういう夢は今日もまたどこかで生まれ育ち広がっていく夢なのです。

わたしにはこれまで夢半ばで散っていった人たちの無数の声がはっきり聞こえます。

「夢を追いかけられて幸せな人生だった。あとは託したぞ」と。

何度も言いますが、最初から綺麗な夢など持てません。でも少しでも現状を変えたいと思っているのであれば、想いを力にとにかく行動してみましょう。

叶えるだけが夢じゃない。

夢を追いかけることの楽しさ、誰かのためになることの喜び。
とにかく私はそれを体感してほしいのです。

なのにどうして夢を持つこと自体恥ずかしい、夢について考えてすらいない人だらけの世界になってしまったんでしょう。

・毎日がつまらない
・何も続かない
・他人のことばかり気にしてしまう。

これらも含め、あらゆる不幸や悩みを全て解決してれるのが夢なのに。

私はそんな世界を変えていきたいのです。もうお分かりでしょうか、私の夢。

それは「誰もが自信を持って夢を語れる世界を作り出すこと」です。

まるでそれがあいさつかのように、どこに行っても夢についての話が聞こえるような世界。互いの夢を叶えるために知恵を出し合って、高め合いながらみんなで夢を叶えていく。

そんな世界になれば、人はあらゆる夢をどんどん実現していくでしょう。

きっと100年先だったはずの未来が明日来るような、決してみることのできなかったはずの世界が、次々にあなたの目の前に現れるのです。

そう、夢がどこにでも当たり前にある世界では、今は難しいと言われる夢も簡単に叶ってしまうような世界なのです。

自分の夢が次々に叶ってすぐ次の夢を思い浮かべていくような世界。
ワクワクしませんか?

これがわたしの描く夢の形。

あきれた夢、あるいは現実と矛盾した不可能な夢、そういう意見もあったらぜひ聞かせてほしいです。

事実、夢を持つ環境すらない人が現状では溢れているということ。まず、その土台を作らないといけません。

SDGsなどはその1つと言えるのはないでしょうか。

実際のところ、現状でいうとこの夢が叶う可能性は皆無だと思っています。

だって人はあまりにも不幸を作りすぎている。不幸が更なる不幸を呼び、絶望に包まれて夢など持つどころか見ようがない。そんな世界が今も広がっていっている。

「食料問題」「資源枯渇問題」「貧富の格差」「終わらない戦争」

「人類はもう詰んでいるのかもしれない」

そんな悲観的な考えも実は持っています。はずれてくれと願いながら。

ただ、いやだからこそ、私はこの夢を叶えたい。どんな不可能も必ず乗り越えていきたい。

例えば1ヶ月後に人類が滅亡するような大きさの隕石が落ちてくるとして、私たちは何ができるでしょうか?

きっと今の人類ではアルマゲドンのようにはいかないでしょう。

だからゆっくりしている場合でもないのです。

私は自分のできることとして、ツイッターやここnoteで発信を始め、夢をもっていない人達がどうすれば夢をもてるようになるか、夢を追いかけている人がどうすればいつまでも夢を追いかけることができるかを考えながら言葉を紡いでいます。
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夢がない人も、
夢を追いかけている人も、
ぜひ私と同じ夢を持ってみませんか?
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誰でも持てる夢です。

そのために何かを始めなくてもいい。
最初は誰にも言わなくていい。

「誰もが夢を語れる世界が実現しますように」
そう願ってくれるだけでも構いません。

そして実現した世界を想像してみてください。

私の大好きな言葉に、「人が想像できることは、人が必ず実現できる」という、フランスの小説家、ジュール・ヴェルヌの言葉があります。あなたの想いが実現を後押ししてくれます。

この「誰もが夢を語れる世界を作る」という夢を持つことの最大の利点は、それ自体がこの夢を叶えるために確かに世界が1歩前進したということです。

さらにはもうこの夢を持っている人がたくさんいるとも言えます。

人の夢を応援したいという想いがあれば、全てのこの夢の協力者です。

むしろまだまだ私よりこの夢に対して強い想いがある人だらけです。

何とも頼もしくて、嬉しいことで、少し悔しい。

私はこの夢の実現にどれだけ貢献できるでしょうか。

言うは易く行うは難し。

口だけだとは思われないように努力あるのみです。

さて、夢を持つことの人生における、いや、人類における重要性が分かってもらえたでしょうか?

そして今一度言わせてください。

どんな夢も一人では叶えることはできません。

夢を共有し、互いの夢のために生きていく。

みんなの夢をみんなで叶えたい。

あなたと私の一歩で共に人類の未来を作っていきましょう。

これが私の夢。これが私の始めのあいさつです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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