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夥しい孤独 6

3月10日 未明


ここ2、3日。
何も感じない時間が増えてきた。

意外と平気に、仕事をして、お客さんと話もできる。
粘着質なお客さんの相手は確かに疲れるけれど。

淡々と、
粛々と、

「日常」をこなしている。

時々、明け方とか、夜中ふと目が覚めたときなんかに、悲しみが押し寄せてきたりはするけれど。

なんだ。
意外と、私、平気なのかな。

あの人がいなくても。

あの人と出会う前の、ひとりでなんでもできた、孤独なんか恐れていなかった、自分に戻るだけなのかな。

そんな錯覚さえ起こしそうなほど。

もう、よくわからない。

自分の感情も、
本当の自分の気持ちが、どこにあるのかも。

何が何でも、やり直したい?

だけど頭の片隅で、どうせまた同じことを繰り返すよ、と、もうひとりの私が呆れている。
もう疲れたよって。
何度もダメになって、またやり直してを繰り返して。
また今度はいつ捨てられるんだろう。
怯えながら、「今この瞬間」幸せなら、それでいいじゃないって、考えないようにするって。

来年どころか、数カ月先、下手したら「明日」さえ、どうなるかわからない。
何も保証されてない。

そんな関係って。

それって、お互いにとって、最善、なのかな。
最善、だったんだろうか。

「一度壊れた 愛は戻らないと
綻びのないルールがある」

って、ポルノも歌ってる。

やっぱり、そうなのかな?
初めて聞いたとき、胸が痛くて。
耳が痛くて。
そのとおりだと思ったから、怖かった。

でも私たちみたいな形もあるよねって。
必死に言い聞かせてた。
変だけど歪だけど。

これもひとつの愛の在り方だよねって。
こうでしか保てない関係なんだから仕方ないよねって。

それで、本当に良かったのかな。

冷めていく、気持ち。
それでもまだまだ、時々、疼く気持ち。

この10年の、意味について。
重さについて。

私が手放したもの。
あるいは私が、手放させたもの。

諦めたもの。
諦めさせたもの。

蓋をしてきたものたち。

言いたくても言えない言葉も、聞けない言葉も、たくさんあった。
核心をついたら、すぐ壊れてしまうから。
見ないようにして、自分を宥めて。
そのうえでやり過ごしてきた、10年という時間の、重みについて。

ぼんやり考える。

涙は出ない。


ただ空虚な、くらい井戸を覗き込むような、からっぽの気持ちで


考えている。


ずっと。

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