家族の風景

そう言えば、今日は母の誕生日だ。だけど、何歳になったのか、
それすら忘れそうになっている。なぜなら、絶縁宣言をしたからだ。
もうどれくらい経ったのかも、それが短いのか長い期間なのかさえ
思い出せない。もしかすると、向こうは絶縁したなんて全く感じて
さえいないかも知れない。

今の私にとって「家族」は、娘だけだ。

わたしにとって、周りの人達が「普通」に持っているものが、1番遠
いもので、なんなら家族なんかより、「他人」と呼ばれる人達の方が
よっぽど優しかったからだ。

うちの家族は所謂「機能不全家族」と呼ばれるもので、父は仕事が続
かず、賭け事ばかりに明け暮れる人で、引っ越し先も近くに競馬場が
ある場所にしたりしていた。母は、私が物心つくよりも前から働いて
いて、殆ど構ってはくれない。歳の離れた兄がいたが、最終的には、
もう30年くらい会っていない。

小さい頃は、「父はろくでもない悪い人」で、母は、「父の代わりに
仕事を沢山がんばっている偉い女性」だと思っていたので、母のこと
を尊敬していたし、作文にまでそれを書いていた。
けれど、いつからか段々なんとも言えない違和感が増してきたのだ。

大人になってからその違和感は確信に変わってしまった。

確かに父は、母に向かって物を投げたりしていたし、行動だけを見れ
ば、DVだと言われるものだ。でも、以前から釈然としなかった。
父は、物を投げるけれど、直接殴ったり、私と兄には一切暴力を振る
った事が無かったからだ。何処かに遊びに連れて行ってくれたのも、
父の記憶の方が多いし、こっぴどく叱られた時の私の逃げ場は父だった。

ギャンブルで勝った時も、何かを買い漁るのではなく、ほぼ近所の人に
ご馳走して、大判振る舞いをしていたという。勿論家にはお金を入れな
い訳だから、最低なのかもしれないが、

ひょっとしたら寂しかったのかも知れない、と今なら思う。

それから、兄の名前と、私の名前を付けてくれたのは父だと母から聞いた
のだが、その時に母が、

「あんたの名前は、その辺に書いてある名前を見て適当に付けられた

名前で、なんの意味もないわよ。」

と口走ったのだ。その時は素直に受け止めてしまっていたが、子供にこう
言う発言をする人なんだ、と思っていたし、今でも信じられない。
私に、自分のことは自分でやれ、それが当たり前だと教えていた張本人が、
本当は世間体しか気にしていなくて、子供のことよりも自分のことしか考え
られない人、思い通りに動かないと機嫌が悪くなる人。結局状況や人のせい
にして、自分の手を汚さないように行動する人。

だから、もう会わないと決めたのだ。もちろん兄にも。

けれど、産まれてすぐに病気になった私を育てたのは母で、文句を言いながら
も高校までは行かせてくれたのは感謝している。一旦は、子供が産まれた時、
きちんと修復出来ると思っていた。でも、無理だった。

ちゃんと卒業しよう。お母さん、お誕生日おめでとう。


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