「真面目な人がバカを見る」はここから来たのか?

「投資家の思考法」という本を読んだんですが、、、、ある考え方が非常に納得すると同時にインパクトが大きかったです。

曰く、真面目に働くだけなのは投機的である。と。
投機的、悪くいってしまえば、ギャンブルであるということです。

なぜこういう結論になるかを考えると、ここで示されている真面目とは、現状が変わることがないと妄信したうえで、ルールを順守し、ただ機械的に行動していることを示しているためだと感じます。

確かにサラリーマンとしては月給というものは決まっており、およそ努力が反映される範囲は限定的です。少なくとも給与というわかりやすい指標の上では、変化を感じることは難しいでしょう。変わらない現状があるとするならば、楽をしたいと思うのが人間でしょうし、仕事を通して見えるのは、やりがいではなく、現実です。やりたいと思っていたことは外から見ていると、あたかも輝いて見えたものです。しかし、外から見ていた3人称と実際にやる1人称では、見えているものがそもそも違ってしまうのです。

こういう時、「真面目に」という言葉は便利です。これはやることがあらかじめわかっていて、それをこなすという思考する余地のないものです。考えるという労力がかからない分、時間を要する作業であり、万人の指標となる時間はことさらに尊ばれています。それは人に頑張ったという満足感を与えます。だからこそ、危険であると言えるのでしょう。満足感を得ているということは済んだこととして注意を向けられることがないため、正否すら考えられない状態なのです。

当たり前と思っていることは会社の倒産、病気やケガというリスクをはらみながらも認識できていない。注意力の欠如はまさしくギャンブル的思考といえるのでしょう。


良ければサポートをお願いします。どうか、卑屈で臆病な私に前を向く力を、明日に夢見る力をお与えください。自信がない、背中を押してほしいそんな時にあなたの助けは確実に力になります。私のことを馬鹿にしても憐れんでもかまいません。 形はどうであってもきっかけは貴重な財産です。