くらり

どこにでもいる大学生。

くらり

どこにでもいる大学生。

最近の記事

みして示して

 「貸して」くれたら、それでいい。くれなくていい、貸してほしい。私のものになれとは言わないから、私にそれを見せて。君が持っているものを、私にも、見せて。  どっちが正しいかわからないことを、この昔よりは科学的に進歩している世界なら、示しているじゃない、いつもは。だって生きていられないのは、ひどく苦しいでしょう。

    • 手の届きようもないほど遠くに

       こんな陳腐な書き出しで始めてしまっていいのかわからないけれど、私が好きだった君は、もうここにはいない。あの幸せな日々を、二度と私は味わうことはできない。君は変わらないままなのに、変わってしまった私はもうありのままの君を愛せない。あんなに素敵な人だったのに。あんなに私を支えてくれたのに。  私を支えてくれたのに、それで私の性格が変わってしまって自分が愛されなくなっても、それでも君はいいの?あんなに好きだった君のことが好きじゃなくなるなんて、そんなことがあってもいいの?この世

      • ないものねだり

         形あるものを、追ってはいるけれど。際限の「ない」行為なのだろう、何かを欲することというのは。それさえ手に入れば他はなんだっていい、どうなっても構わない、そう思っていたものを一度手にすると、今度はあのとき些細に思えたものが途端に目に付くようになるのだ。あのときはそんなに欲しくなかったものが、今はとてつもなく欲しい物になっている。けどそれは、本当に私が欲している物なのだろうか?─他に欲するものもないから、物欲を満たすためだけに私の欲しいものリストに踊り出ているだけのものなのでは

        • 心に咲く花

           去年あの人とは、どこに行ったんだっけ。どこに行ってから、カフェに寄ったんだろう。思い出せない。見ればわかるかもしれないけど、もう見たくもない。本当は消すべきなんだ。最初はどうしたら関係を始まらせられるかだったのに、今はどうしたら維持できるかだ。関心の対象が移り変わって、ついには意識が0になってしまって、この感情はもう誰のものか持ち主がわからない。  この世界を漂っている曖昧模糊としたものなのではなくて、本当に私とあなたとの間でのことなのであろうか、この会話は。こんな幸せが、

        みして示して

          機械的記録

           日々の楽しかったこと、そういうものって、全てを書き起こすには人生は足りないはずで。だから1番楽しかったこと、あの時より嬉しかったこと、と優先順位をつけて記憶していくのだろうけれど、もう子どもじゃないので無邪気に楽しむことはできない。年々楽しみの限界値が下がっていくのだとしても、覚えておきたいことってたくさんある。だから何でもかんでも記録につけておくのって、割と有効な手段だと思うのだ。1番大切な思い出は、自分の心の中に取っておきたいけれども。

          機械的記録

          ほらまた勘違い 情を愛と勘違い

          ほらまた勘違い 情を愛と勘違い

          こころ休まること

           久しぶりに暖かな話題を。私は春が好きだ。出会いと別れの季節と言われ、いくらかの人々からは嫌われているであろうこの季節が。ふと春の景色が見たくなり、思い立って出かけたら見事に桜が咲いていた。桜の匂いがした。最近は桜と名のついた食品で出会ってばかりだった桜の匂いがした。春には藤井風の「きらり」を聞くのが定番である。あれは春に聞く時が一番胸が高鳴るので、春にしか聴けない。今年はどんな歌と、どんな本と、どんな人と、どんな気持ちと、出会えるだろうか。

          こころ休まること

          誰かの告白

           「誰が自分を好きとか、自分は誰が好きとか、もう分かりません。誰かを好きになったら苦しいから、もう誰のことも好きでいたくないです。自分を好きな人だけ、好きになるような体質だったらいいのになあと思います。そんなわがまま、許されますか。こんな自分でも、誰かに好きになってもらえますか。」ああ、愛しの人よ、どうか君が花を咲かせられる平和な世界が続いてほしいと願うのです。

          誰かの告白

          地に足のついた夢でなくとも

           毎日を楽しく生きるために、夢を持っておくというのは、いいことだと思う。私にとって少なからず現実は辛いものなので、直視していたら息が詰まる思いをすることになるが、かといって全部見ないふりをするわけにもいかない。そういうときに、夢をみるということは、この世界を生きていく上での一つのやりようではあると思う。  あと、誰かと約束をするのもいいかもしれない。消えたくなったら、どうするのかを、事前に決めてしまうのだ。そうすると、相手に伝えなければいけなくなった段階で、自分がどれだけ些

          地に足のついた夢でなくとも

          「あの夏、二人のルカ」を読んで

           以下、「あの夏、二人のルカ」(著者:誉田哲也)のネタバレを含みます。  ネタバレ避けのクッションとして書くのだけれど、この本を手に取った理由をなんとなく考えてみる。まず青春のお話っぽかったとこかな。わりと前まで高校生だったから、なんだか懐かしくて、ちょっとでもあの時の気持ちをもう一回味わえたらいいなって、思った。あと、「二人のルカ」の部分かな。もとは他人同士だった二人が偶然縁を持つようになって、それで二人の名前が偶然同じ、みたいな。そういう展開、ワクワクしちゃうよね。あと

          「あの夏、二人のルカ」を読んで

          新しい場所に行くときの勇気

           どのような場所、どのような人の集まりにおいても、暗黙の了解、見えないルール、みたいなものはあるわけで。ちょっと前なら情報も少なかったし、幼かったからなんにも気にせず新しい場所に飛び込んでたと思う。中学校に入学して迎える初日とか、習い事に初めて行く日とか、特に気にすることなんてなかったし。でも、そういうルールみたいなものを気にすることで息がしやすくなることを知ると、新しい場所に行く前には身構えるようになる。しかも今はすぐ情報が手に入るから、行く前にだいぶいろんなルールを知れて

          新しい場所に行くときの勇気

          願いを、かなえていてほしい

           私もそう願われていたいと思うけれど、残念なことに願ってくれる人に心当たりはないし、少なくとも私はそういうところにいない。その人にとっての楽園にいてほしいという願いは結構な愛だとも思うけれども、私は楽園にはいないので誰かが願ってくれたとてそれは無意味なことで、そもそも願ってくれる人がいるかと問われると全く思い当たらないということだけがかえってはっきりしてくるぐらいだ。  自分がそんな場所にいるというのに、そんなことは気にも留めずあなたにそうあってほしいと願っているのはきっと人

          願いを、かなえていてほしい

          死なないために生きる

           ちょっとだけ生きるのつらいなって思ってるのに、急に内臓が痛くなったり頭痛がしたときにまだ死にたくない!って怖くなるのはなんでなんだろう。結局生きるのが嫌なだけで、死にたいわけじゃないから、死にたくなったときは推しの励まされる歌とか聞いちゃうんだと思う。  わりと明日が来るの嫌だなとか思いがちだけど、いいことが続いてる日には、過去の自分に向かって「生きてるといいことあるよ、そんなに悲観しないでいいよ」って言葉をかけてあげたくなるから、死にたい日には未来の自分がそう言ってるとこ

          死なないために生きる

          恋とはかぎらない

           一番よくわかっているはずの自分ですらわからないから仕方ないのだけれど、友情か愛情か、それが何なのか誰か教えてくれる人がいても良いと思うのだ。それが何かわからないうちは、大切にすることも切って捨てることもできない。このまま自分のしたいように突っ走っていいのだろうか。もし間違いだったことに気付いたとき、自分が責任を取れるとは限らない。

          恋とはかぎらない

          君に贈る嘘

           最近どうしようもなく夜は寝れなくて、やめた方がいいとわかっていることがやめられなくて、どこにも流れ着くことができないまま漂っている。もう少ししたら時間になって、離れ離れにならなきゃいけなくて、いつもその時間はひどくつらい。あと少し、ほんの少しだけでいいから、側に居させてほしい。大事な人を失うのって、きっととっても怖いことだ。けどこのままの関係を繋ぎ止めてるだけじゃ、私も彼も幸せになれない。だからといって嘘をつくことが許されないのもわかっているけれど、最後に一つだけわがままを

          君に贈る嘘

          迫る恐怖

           思い返すだけで吐き気がする。そんなの思い出さなければいいじゃないか、と人は言うけれど、思い出さないでいられたら苦労はしない。自分自身、そんなことは思い出したくもないのだ。でもふとした時に自分の癖に気づいてその原因のトラウマを思い出したりすると、他人に自分の人生をめちゃくちゃにされた悔しさと、他人が自分の中に入り込んでいるような気持ち悪さが組み合わさって、どうにも手がつけられなくなる。自分でも目も当てられないような悲惨さだなと思うから、それが自分の身に起こったとは信じたくなく