前世療法

公に語ろうかどうしようか、かなり迷ったけれども語ってしまおうっと。
私の初めてのヒプノセラピー体験について。大した話ではない(笑)
ヒプノセラピーとは、催眠によって自分の内面や意識と向き合い、今をより良くしようという、ある種の治療法(かな?)。
私が希望したのは、前世を観る事(思いは真剣、興味深々)
退行催眠を受けてみて、まず私が感じた事は、前世の有る無しに関わらず、「催眠術」に関しては起こりうるという事。

それを受ける以前、テレビでよく見かけた芸能人などの前世療法の様子に対し、私が常日頃抱いていた疑問は、もし前世が外国人であるならば、なぜその土地の言語ではなく日本語で話すなのだろうか?という単純なもの。
こんなの嘘に決まっているでしょうという、疑う気持ち100%でした。

数々の疑念は脇に置きつつ、セラピー当日を迎えた。
先生は女性で、先ずなによりお人柄が素晴らしい。
明るい、可愛い、気さくで話しやすい、他人に余計な緊張感を持たせないetc.
こういうお仕事に人柄は最も大事なのね、妙な構えが完全に取れるもの。なんて考えながらフランクなムードで横になる。

退行催眠の始まり始まり♪

先生が、「ゆ~っくり呼吸をしましょう~」と、開始した途端に、私の意識が「さ~、催眠に掛かるぞ~!」と意気込んだ為か、のっけから妄想が爆裂しだした。
まるで映画で見るように、完全な映像として具体化されてしまったのだ。
部屋が見える・・・
先生「何が見えますか~?」
私 「部屋。狭い和室、私は上を向いて、天井の古い電気の傘を眺めている」
(今のあなたの意識を残したままの催眠です。そう聞かされていたせいか、目を閉じたまま矛盾なく見えているものを解説する私。)

最初から最後までを要約すると、
「前世の私」は大学生、男、19歳。
大学に通っており札幌で下宿生活。
しかし農家をしていた父親が体を悪くした結果、農家を人手に渡した挙句に自死してしまい、母親のいなかった自分は実家に残された妹の為、大学を止めて戻らねばならない。
それが嫌だと嘆いている
しかし妹が可哀想。それが辛い(と言いながら、寝そべる私は涙する)


中年期、自分は車の整備をしている、(整備工ではない)
何かの配達に車を使うが、手入れは全て自分でしている。

老年期、小さな印刷場のような、新聞店のような自営業で生計を立て、死の間際には周りに集まる家族に感謝、礼を言って最期を迎える。

この度の前世療法で終始したのは、やたら妹を気の毒がっていた事。

それにしても、やけに「前世」」が鮮明だった。なぜか全員の顔もはっきりと分かる。
やばい、妄想狂も甚だしい。
しかし、妄想好きだからこそ小説を書きたくなるのだ。これで良いのだ。
と言うことで、このセラピーは終わった。

それから数日後、何かの切っ掛けで、あのセラピーについて、父に何気なく話した事が意外な展開を迎える事となった。
「催眠術で前世を見るのって、結局は妄想なんだわ。だって、自分の前世とやらが面白いくらいに鮮明なんだよ。大学に行っていたのに農業を営む親が死んで、妹が可哀想だから・・・云々」
と、そんなセラピーを受けた事に対し、とやかく言われたくないという思いから、冗談めかして話したところ、不意に父が言った。
「それ、アヤさんの弟の話か?」
なんだそれは??と、私の心が湧きたった。
それにそっくりな事が過去にあり、幼かった私は実際にその家族に会っていたというではないか。
ただし、実際に亡くなっているのは、私が前世の自分だと思い込んだ、19歳の男性の方。
正確には、彼は大学生ではなく親の農家を手伝っていたが、やがて謎の自死をされた。

その当時私は7歳位。
その方の葬儀になぜか私も連れられて行ったという事だった。(恐らく遠方だった為、幼い私を置いて行けなかったらしい)
アヤさんというのは、親戚の配偶者で現在70代の後半くらいか。
その家庭環境は非常に複雑で、アヤさんのお父様の後妻さんが連れて来られたのが、その男性と妹であったとの事。
だが後妻さんは直後に事故死され、父親にとって義理の子供となったその男性と妹は、母がおらぬ新居で全く血のつながらない父親と暮らし続け、男性は必然的に農家の後継ぎに。
それが嫌だったのだろうと、恐らく親戚が話していたのを、私はどこかで耳にしたのだろう。
ついでに言えば、これはあくまでも想像だが、誰かが「あの子は大学に行きたがっていた、頭の良い子だった、でも血のつながらない父親にそれを言い出せなかったのだろう」
などという、私に大学を連想させる会話もしていた筈だ。

そこで不意に思い出した、たった一日だけの遠い記憶・・・
困り果てた顔をした少女と私は向かい合わせに座り、物々しい気配に緊張していた。
そんな、既に記憶の片隅にもなかった思い出が突然ぽんと蘇った。
手持無沙汰で古い和室をぐるりと見渡し、顔を上げ天井までも見ていた事。
これが前世療法の時に最初に見た、あの、電気の傘のあった和室ではないかと思う。
多分子供心に、生まれて初めて遭遇した「可哀想」な状況だったのだろう。
後妻とか、自殺とか、血のつながらぬ家族と暮らすとか、子供心に胸に刺さった出来事ばかりがそこに広がっていたはず。
この人はこの先どうなるのかと、7歳の私が初めて自分に置き換えて考えたのが、その妹さんだったのでは?と自己分析。
セラピーにおいて、最後に家族に囲まれて死んだと、物語は完結されていたけれど、これも記憶には無いけれど、そのお父様の事だろうと思う。お父様の晩年について後にどこかで聞いたが記憶には残らぬまま、私の中では完結していたのだろう。

今や痴呆がかなり進んでいる私の父でさえ、今も尚鮮明に覚えている程に、それは印象深い出来事だったのだろう。

そして我ながら最も驚いたことは、最近書いた小説に、私はこのアヤさんをモデルとし、主人公を動かす核として登場させていた事だ。
私は近頃無意識ながらも常にアヤさんという遠い親戚を意識していたのだ。
結果、アヤさんにまつわる、幼き日の失われていた記憶が呼び起されたことは、単なる偶然ではなく、自分がそれに集中していた為に必然的に起きたのだろう。
アヤさんとは既に疎遠で、会う事もままならないけれど、どうか平穏に暮らしていますようにと、願ってやまない。

面白い事に、2回目に受けたセラピーでは、自分の意識が再びアヤさんへと向かわぬようにと、変に思いを込め過ぎたせいか、前世も来世も全く何も見えず、しどろもどろになってしまった。

結局のところ、前世療法は単に過去の記憶の引き寄せとなってしまったけれど、催眠によって起こされたことは確実だと思っている。

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