先生について、自分の気持ちの整理など

・この文章は亡くなったA先生のために書いているのではない。ただ、自分の中に記憶として確実に存在するA先生を、これからどうすればいいのか検討するために、つまりはこの混乱している自分を落ち着かせるために書いている。少々おかしなところもあるかも知れないが、とにかく今はしょうがないと思うことにする。

・これはネットに公開するが、それは現在(深夜)、居ても立っても居られないこの思いを吐露する相手もいない私はとにかくそうせざるを得ないからである。あと整理として文字に書き起こしたい。

・19時前、母親から一報を受けてから、現在午前3時。いま気持ちは、かなり苦い重さを引きずりながら、時折痛みを感じつつもいまだ気が張っている状態。これまでに私が考えたことをまとめようと思う。

・まず最初に私が思ったのは、「A先生は消えてしまったんだ」ということだ。あまり詳細はまだわからないが、葬儀などもう済んだとのことで、彼の肉体は、もうその見慣れた形状を保っていない。少なくとも彼の「意識」とは、もうどうやったって会えない。A先生にかんする事実を、もうこれ以上変えることはできない。

・A先生は、私が彼と3年も会わないあいだにいつの間にか消えてしまった。世界に溶けるようにいなくなってしまった。

・私は先生を眼前にしなくなってはや3年だが、その点では、明日からの私の日常生活に何か変化があるわけではない。3年間恣意的な記憶の中のみで存在していた人が、これから未来永劫ずっとその恣意的な(これから多少美化されるであろう)記憶の中だけの存在になりますよ、ということである。先生とかかわったのが同じく3年間だったことを思うと、無理のないある種の恒常性は保たれることになる。

・こうも3年間、記憶なかに閉じ込められた存在であり、かつ、「もう消えてしまった」という事実を突きつけられると、「A先生は本当に存在していたのだろうか、過去は本当に存在していたのだろうか」という気分になってくる。しかし、〔このわたし〕がいま存在しているのは、少なくとも、彼の存在が私の選択にありとあらゆる影響をもたらしてきた結果である。たくさんの思い出があるが、その1つ1つを思い出していると、なんだか彼の存在がますますのリアリティをもって私の目の前に現れてきてどうしようもなく絶望してしまったら大変なので、いったんは封印しておくことにする。

・「記憶」のなかのA先生、そして、その記憶と、ここでは十分な根拠をもってして接続している〔このわたし〕という存在。そしていまタイプを打っている〔このわたし〕という、実体、リアリティ(アーレント風)。

・こういうことを考えると、いま確実にあるのは(いま・ここ)のみであり、そこでは丸3年間ずっと、A先生はわたしの記憶の中のみの存在であった。つまり、ここ3年間、わたしにとって先生は、実体を持つ個人としてではなく、私と同化し、先生がおそらくわたしに現前していた時にとった行動の分岐や蓄積である〔このわたし〕とともに、やはり、私の中でその1部として確実にともに過ごしていた。このことが意味するのは、つまり先生がどこにいようが私とともにずっとあり続けていたこと。今までがそうだったのだから、きっとこれからもそうやって先生は存在していくんだろうということ。

・だから私はA先生が星になったとか、空から見守ってくれてるだとか、そんなある意味感傷的な気分は否定するわけではないが、いまは断固としてなりたくない。なぜならA先生は、すでに3年前から私とともに、ここにいたのだから、今後もそれが続くだけである。そう理解したいからである。

・その意味で、A先生はようやく、私の世界の中でほとんど揺らぎようのない存在となった。肉体とかいう不安定でセンシティブなものがなくなり、これから私の世界で、A先生が死ぬことはもう二度とない。

・若干持論を持ち込むと、肉体とかいうやつに意識・人格まで乗っ取られてしまうのは本当に不合理なことだと思う。それらは基本的に必要十分的に存在する。例外的に、脳死とか、意識はあるけど体は動かないとかもあるが、しかしその状態ではそれ自体で結局(いまの一般的な科学技術では)何もできないに近い。するとやはり我々は双方に依存し、うまいことバランスを保って存在しているんだ。意識それ自体単体で存在出来たらどんなによかっただろう。

・こういうようなことを自分に納得させながら、日吉からの電車に揺られていると、おかしなことに頭(意識)でわかっているつもりでも肉体は勝手にそれと別れていくんだな。身体が鉛みたいに重くなった。で、時々心臓は動悸するように痛む。夜は気が張って寝れない。

・部活仲間のライン
「当然のように20歳でみんなでお酒を飲むものだと思ってたから」(大体の旨)
ああそうだった。この意味で、私にはどうやってもまた先生を現前する未来が確約されていたのか。先生の、私に向ける声をまた感じられるはずだったのか。先生はやっぱりついこの間まで存在していたのか、会おうと思えば会える存在だっただろうか。

・先生と最期に話した3年前、まさかこれが最期なんて思いもしなかった。さすがにこんなに早く死ぬなんて思わない。

・まあつまりこんなくどい文章を書いて何が落ち着かないんだというと、たぶん私は先生が死んだことを信じられないんだ。信じることができないから、先生の存在まで疑ってしまうようなとんでもない気分になっているんだろうと思う。

・こういう哲学チック(?)な分析でいかにも冷静を装っているけど、私の場合ここからどうなるんだろう。一気に現実性を帯びてきたとき、おそらく私はこうしていられないんじゃないか。

・あとせめて最期に会いたかった。これからも3年前までの先生だけが、私のそれ自体と記憶とともにここにいるだろうから。

・とにかく、あと少しの期間、一人でいろんな思い出を想っていようかな。以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?