春愁、そして素晴らしい世界

春風と共に花粉が多数飛んでいるらしい。(まだスギだろうからこれからヒノキも)身も心も花粉に浸食されているようで憂鬱な毎日だ。

もっとも、自分が花粉症を発症したのは20代の前半だったので、それまでは春は楽しい季節だったのだと思う。少なくともサクラを愛でる心は残っていたはずだ。

でも、花粉症ではなくても、幼い頃から春はなんとなく心がざわつく季節だった。入学、新学期、卒業、入社。日本において4月がスタートとなることが多いので、3月はどうしても別れの季節でもある。
それは親しい友人だったり、同期だったり、お世話になった先輩だったり、上司だったり、時には家族だったり。。
50代前半までは年賀状でつながっていた仲間や先輩、親戚も、コロナの前に年賀状を送らなくなってしまったので、もうしばらく連絡をとっていない。時に寂しく思うが、これも人生においてのご縁だと思い、日々過ごしている。

日常生活において、自分が年ばかり重ねてあまり進歩していないように感じられることがある。

昨日昔から好きだったアーティストのライブに行った。本人はもとより、サポートするメンバーも、観客も、そこにいる全ての人がとても心地よい空間を作り出していて、自分もその空間に身を置くことが出来て幸せだった。
自分を卑下していたモヤモヤが浄化されたような気がする。

自分が今生きている世界には目に見えない螺旋があって、時に家族や友人や趣味を同じくする仲間と幸福な時間を共有しているのだと思う。すべては重なり合うことはなくても、一瞬でも重なり、共鳴することが出来ればそれは素晴らしい世界なのだと思う。

その一瞬を求めて、私は今日も1日を過ごす。春愁を一瞬でも忘れられるように。

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