第261回、生物がなぜ眠るのかを考えてみた
みかん「ど~も、みかんです。今回は、人間を含む生物が、なぜ眠るのか?睡眠を必要とするのかについて考えてみました。ゆっくりしていってね。
‥‥‥
みかん「アイーーーっ!!」
アイのいない寂しさに、まだ気持ちが慣れない、みかんなのであった。
このテーマはぶっちゃけ、チコちゃんに叱られるで扱っていたので、答えを知っているのですが、生物はなぜ眠るのかではなく、なぜ起きている必要があるのか?という事になるそうです。
つまり起きて食事をとらないと、生物は死んでしまう為、起きる必要があるのであって、眠っている時の方が生物の本来の状態であるという解釈です。
成程、目からうろこの発想。正にコロンブスの卵、逆転の発想ですな。
って、そんな事になる訳があるかーーっ!!
一休さんかっ? 一休さんのトンチかっ!?
可能な限り寝ていられる事が生物としての最強の証ならば、コアラが最強の生物になるわっ!だがあいつらは、二時間しか起きないでも生きていられるからそうしているのではなくて、二十二時間寝ていないと、食べ物を消化できないから寝ているに過ぎないんだ。
早く食べ物を消化できるなら、もっと普通に起きているわっ!!
逆に人間が、2時間で生きるのに必要な、全生命活動を行えるようになったとしても、それで人間が22時間寝るようになる事もない。
(22時間、だらだらした生活をする可能性はあるが)
逆転の発想自体は、決して悪い事ではないが、それで事の本質を見失っては本末転倒である。
実質人間は、生きるのに必要な活動時間が何時間であろうと、一日約8時間の睡眠を必要とする事に変わりはない。
基本人間が一日に8時間の労働をするのも、それが生きる上で最低限必要な生命活動時間だからではなく、脳の活動限界時間から逆算した、脳や身体への負荷が少なく、最大限に働ける時間の最適解だからに過ぎない。
※電気のない時代に、太陽のある内に出来る最大限の活動をしていた結果、脳を含む身体がそれに合わせた構造になった説が最有力かもしれませんが。
そしてその最適解を最低必要労働時間にする為に、人間を社畜にする事しか考えていない経営者が、逆算して今の時給に設定しているのだ。
※これは本当です。
稀に一日2~3時間の睡眠で問題ないという人がいるが、その人達は、一日に2~3時間の睡眠しかとれない程、働かないと生きて行けないからではなく、本当に2~3時間の睡眠だけで、身体の機能に支障がないからそうしているに過ぎない。
では人間はなぜ、基本8時間の睡眠を必要とするのか?
現状ではやはり、脳の構造上の問題なのだと思われる。
それだけ睡眠をとらないと、脳が正常に機能しないからなのである。
それではなぜ脳は、それだけの睡眠を必要とするのか?
話はそれるが、自分は今パソコンで、画像や動画を頻繁に扱っているのだが値段をケチって必要最低限のスペックで構成した為、メモリー容量が少なくメモリーが限界になると、すぐに機能不全に陥るのだ。
そんな時は、一度電源を落として、パソコンを再起動するしかない。
そうする事で、パソコンの一次キャッシュメモリーが初期化され、又普通に使えるようになるのだ。
人間の脳も結局、そういう事ではないのだろうか?
一度電源を落として、リセットをしないと、脳の一次キャッシュメモリーが限界を迎えて正常に機能しなくなるから、リセットする為に睡眠をとるのだ
だがパソコンは電源を落とすだけで一瞬でリセットをできるが、人間の脳はそういう訳にはいかない。一次キャッシュメモリーの記憶を、別の記憶領域に移し替えなければいけないからだ。そうしなければ、人間は睡眠をとってリセットする度に、昨日の記憶を全て忘れてしまう事になる。
パソコンも電源を落とす度に、一次キャッシュメモリーの情報を全て失っているのだが、その前に必要な情報を他の領域に移し替えているから、情報を失わないで済んでいる。
その移行活動を自動で行っている物もあれば、画像や動画のファイル移動のように、人間が意図的に行う必要のある物もある。
パソコンはこれらの活動を、主に電源の起動中に行っているのだが、人間は起きている間は、絶えず入って来る情報の処理に追われて、情報の移行処理が出来ないのではないかと思われる。
そこで一定時間、外界の情報の遮断をして、一次キャッシュメモリーの情報移行や整理を行う為に、睡眠が必要なのではないだろうか?
この情報の移行やファイリングの際に、記憶のタグつけ処理が行われる為に関連する記憶が混在する、不思議な夢を見るのではないかと思うのだ。
脳の情報の移行処理に必要とされる時間には、恐らく個人差がある。
ハードスペック的に必要な時間もあるだろうし、もしかしたらソフト的に、効率よく処理をできる人と、そうでない人がいるのかもしれない。
つまりそれが、必要とされる睡眠時間の個人差になって来るのだろう。
メモリー容量によって、起きている間に行える情報処理の量に差が生じるのは当然だし、CPUがシングルコアかマルチコアかによっても情報の処理方法が異なるので、マルチタスクが得意な人と苦手な人がいるのも当然なのだ。
CPUには、一時的に本来の処理能力以上の力に引き上げる為の裏技として、オーバークロックやブーストアップという物がある。
これを人間の身体能力に置き換えれば、火事場の馬鹿力がそれにあたるし、脳の状態でいえば、一時的なハイ状態やスポーツ選手がよく言うゾーンの
状態等がこれにあたるのかも知れない。
だがもちろんこれには、副作用がある。本来の処理能力以上の事を、無理に行っているので、脳への負荷が大きく、後遺症が生じる可能性があるのだ。
生物はなぜ眠るのかという主題から、話が段々それているようにみえるが、むしろこちらが本当にいいたかった事でもある。
生物の脳とパソコンの構造は、とても似通った構造をしている。
それはパソコンが脳の構造を似せて作ったからなのか、作ってみたら偶然、脳の構造に似ていたのかまでは知らないが、脳の機能をパソコンの構造に
置き換えて考える事で、人間を理解しやすくできるのではないだろうか?
ただここで声を大にして言いたいのは、結局人間もパソコン同様に、マシンスペック、パソコンの性能次第って事かよ。という事への反論である。
もちろんパソコンのマシンスペック、処理能力の差による性能差がある様に人間にも脳の性能による能力差、個体差があるのが事実なのだと思う。
だがそのパソコンを使い何をするのかは、結局それを使う人間次第なのだ。
性能の低い昔のパソコンでも、それを使い様々な創作活動を行ってきた人が大勢いるのだし、当時に比べて遥に高性能なパソコンを皆が持っていても、誰もが当時のクリエイター以上の物を創作できる訳ではない。
昔のパソコンに現在のゴリゴリな3DCG処理を行えないように、パソコンの性能はできる事を見極める上で、無視できない必要な要素なのだとは思う。
だがそれだけが、パソコンの価値を決める訳ではないのも事実なのだ。
インストールするソフトの性能、それらを上手に使いこなす人間のセンス、時にはソフトその物を自分で作ってしまう創作力等が、パソコンの価値を、マシンスペック以上の物にしていくのだ。
それを人間に置き換えた場合、どういう事が言えるのか?
人間を機械に置き換えて考える事は、必ずしも非人道的な事ばかりではないのかもしれないという事を、今回自分は思ったのである。
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