見出し画像

第32回、自分はどう生きるかについて、考えてみた

初日に敬愛する宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を見てきて、
しっかりと今までのお礼と、別れの挨拶をしてきた自分ですが、あれだけのお年を召していながら、なお自分のイマジネーションを表現する事に、忖度なく挑戦している事に、感服しました。

それに対して、自分は一体どうなんだろうか?
果たして自分は、己のイマジネーションを、限界まで絞り出しているのか?
自分のイマジネーションの貧弱さを、AIの生成能力のせいにして、逃げてはいないだろうか?

自分には自身の絵で、頭の中にある魅力的な子供達の姿を表現させる事は、残念ながらできないです。
しかしAI画像生成を使えば、それを表現できる可能性があるのです。

自分の妄想イマジネーションは、こんな程度ではないはずです。
頭の中には、もっと魅力的に活動をしている、子供達の姿があるのです。

それが表現できなければ、自分はただの危ない人で終わってしまいます。
(いや表現できた所で、危ない人には違いないですが)

むしろ表現しないでくれと思う人達の方が多いかもしれませんが、それでも自分は、自身の妄想イマジネーションを表現する事を諦められないです。
何故ならこの魅力は、いつか他の人にも伝わるのだと、信じているから。

秋元康だって、年端のいかない少女達を集めて、アイドルグループを作り、
最初は白い眼で見られながらも、社会的に受け入れられたではないですか。

そうです、自分が好きなのは、子供ではなくて少女です。
でも少女に魅力を感じて、何が悪いのでしょうか?
16歳のアイドルに熱を上げるのはセーフで、10歳以下の少女を可愛いと思うのはアウトでしょうか?
どちらも実際に関わろうとする時点で、アウトなのは一緒です。
ならば、実際には関わらず、アウトにならない範囲で、その魅力を最大限に表現したいのです。

それができれば、自分は他には何もいらないです。家族も妻も娘も。
(もとより、自分に娘は、絶対にダメな組み合わせです)

ああ神様、創作の神様。どうか自分に、魅力的な少女を生成する力を授けてください。
(監督の魂のメッセージも受け取らずに、妙な決意をしている自分なのです)

ヘッドホンをしている兎耳の少女

この記事が参加している募集

#AIとやってみた

27,805件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?