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帰る家 いちばんすきな花

帰る家がテーマだった、ドラマいちばんすきな花。

所々自分に思い当たる所があって自然に涙が出ていた。

私は中学のころ親の転職があり、お金がなくなり家を売ることになり中古物件を購入後わずか4年で家を売り払うことになった。


さぞかしお母さんは悲しかっただろう。
そして私たち兄妹もとても悲しかった。

兄にそんな時慰められたことを覚えている。
もっと辛い事がある家があるよ。と。。(家庭があるのいみ)
そうだよね、、と少し救われた。


その後も転職を繰り返していた父は厚木に引っ越し、その後は静岡へ。
母を連れ回して、"変化"が苦手だった母はそれからどんどん体調を崩していった。

それでも母は私に『ここがミニ子の実家だよ。』と言って、最後に落ちついた静岡のアパートの事を言った。

私は何とも実家 という言葉がどうもしっくりこなかったけれど、母なりの愛情をその言葉でとても感じた。


帰る家があること。
それは当たり前のことではない。
中2で母は家を出て行き、祖母の家で暮らすようになった。それから私は寂しくて毎日泣いていた。父と兄で暮らしていたが20歳になり、家を出たくて仕方がなかった私は一人暮らしをする事になった。

早く家を出たくて仕方がなかった。


それから母は祖父母の介護を経て、お金のこともあり仕方なく父と住むことになったが
家を転々として…

やっぱりどうも父のことが何処かで許せていないんだろう。

自分の好きな事をして、母をついて来させた。

話は逸れたけれど、


帰る家があるってとてもありがたい事。


今はとてもありがたいことに、夫に新築の一軒家を建ててもらい、住んで3年が経つ。

はたから見たら立派な家に住んで幸せそうだなと。苦労知らずだと思われてるかもしれないけれど、私はとても幸せを噛み締めている。

死に際に夫に言いたい。
家を建ててくれてありがとう。と、、。


#いちばんすきな花 は全てが頷ける内容ではないけれど、所々あてはまる箇所があって
中々こういうの表現してくれるドラマって他になかったな。と、脚本家の方、周りのスタッフがこれを世に出してくれてありがとう。と思えます。

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