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46億回目の夏までに、私達が見てきた事

もうすぐはじまる。
夏の本公演。

前回の本公演から3年も経過していた。3年だ。活動休止といっても良い期間だ。昨年の #オジキタザワ を撮るまでは本当に止まっていた、私達の時間。
今考えると壮絶な体験もたくさんあった、前半は悲しいことのほうが多かった気がする。無くしたものの方が多いかもしれない。

でもなんやかんやありながらこうして2ヶ月後にシアター711で本公演を控えているのだ。夏は繰り返す。

ということでこのnoteでは、一言では語りきれない【あの頃】を振り返っていこうと思う。
たぶんかなり長くなるけどだらだらと書くつもりだ。だらだらとなんとなく読んで貰えたら嬉しい。


【そもそもの話】

まずはここから話さなければならないとおもう。20代後半。おそらく俳優業を1番盛んにしていた頃。
私は心を病んでいた。
原因は、今でこそ声をあげられるようになった〝楽屋内パワハラ〟だ。

心も身体もやられたオフの日の昼間、やることもなく街をブラブラしていて、ふと目に入ったカフェのランチタイムの看板を見て、ぽろぽろ泣いていたのを覚えている。
〝わたしはそんな場合じゃない〟って思ってた気がする。
楽屋で胸ぐら掴まれながら罵られても、周りは見て見ぬフリをしていた。自分がターゲットにされるとめんどくさいからだ。〝やられる方にも原因がある〟その範囲を明らかに超えている扱いだった。今でもその人だけは、人生の中で唯一、許せるところのない人だ。

芝居にも嫌気がさしてきて、楽屋と舞台の境目がわからなくなったりもした。なんとなく、なんとなく、やりすごす日々。

そんな日々の中で出逢ったのが
後に、エリィジャパンを一緒に立ち上げる小林光だった。

本多劇場の真ん中で彼は異彩を放っていた。彼が動くたび劇場が笑いで溢れて揺れた。劇場の光が全部集まってるみたいな人だった。私はたぶん2年ぶりくらいに心から笑って、まだ面識も無いこの人と、一生演劇をやっていくとおもった。
演劇と出逢った時と同じように、生きる意味をまたみつけた。

下北沢の王将でビールを飲みながら、私はなぜかまたちょっと泣いた。


【エリィジャパンができた】

私はレギュラーの仕事を辞め、小さなイベントのプロデュースをはじめた。下北沢ろくでもない夜(旧下北沢屋根裏)で出逢った原口さんがキッカケ。この話は色んな媒体で話しているので今回は省略しよう。

色々話してるインタビュー記事はこちらから読めますよん

「劇団名何がいいかな?」
当時働いていた下北沢のBARで常連のおじさんたちと話し合った結果、決まったのがエリィジャパン。(ワガママエリィと最後まで迷った)
この下北沢で、私の演劇日本代表を作ろう!
そう思った。いい夜だった。
この夜は後に、オジキタザワを作る時のヒントになる。


【スタメン達との馴れ初め】
とりあえず勢いではじめた劇団だったが、何回か公演を重ねていく中で、〝劇団員〟のような立ち位置の人らができた。正確には〝劇団員〟ではないのだが。
売れてないのに劇団員と称してこき使い、大役は集客できる客演に任せ、囲って離さない〝劇団員制度〟にずっと疑問を持っていたからだ。

良い呼び方ないかなあ〜と考えついたのが〝スタメン〟
エリィジャパンのスタメンとは、私が恋し、信頼して、一緒に演劇して欲しいと思っている大好きな人達の総称だ。またの名を友達。

ルフィに仲間が増えた時みたいにドラマチックではないけど、ひとりひとり想い入れがあるし、今回 #パラサマ にでてくれるスタメン達の紹介も兼ねて、馴れ初めを話していこうとおもう。
(稽古中に客演の皆様の第一印象も書いていく)

【岩間由明】
通称岩ちゃん。
最近1番よく遊んでるスタメン。

俺たちの串カツ田中

岩ちゃんとはブロードウェイミュージカルで出逢った。踊れて歌える謎のおじさん。ミュージカルの現場でめっちゃ気に入られた岩ちゃんはアンサンブルだったのだが役を振られた。
〝痩せた男〟という役名だった。
「なんでやねん」と心の中でつっこんだ私は無性に彼が気になりはじめ、岩ちゃんを3回戦のオーディションに誘った。今では私になくてはならない存在。3回戦ではおバカな高校生、4回戦では闇相撲界の神、そして今回の5回戦では宇宙人を演じます。おたのしみに。

【平川はる香】
はるちゃん。
皆様おなじみ、オジキタザワのヒロインはるちゃん。

この写真めっちゃ好きなんだよね

はるちゃんとはある朗読劇で出会った。カフェのついてる劇場で、はるちゃんは本番前にいつもなんかガッツリ定食を食べていた。「なに食べてるんですかー?」たぶんこれが最初の会話。そしたら少し話すようになって、なぜか突然3回戦のオーディションを受けにきてくれることに。貪欲にチャレンジする姿勢に私はメロメロになった。オジキタザワも、もちろんオーディションで勝ち抜いたのだ。彼女に頼んで良かったと、おそらく座組全員が思っている。
オジキタザワがクランクアップした日の深夜に「はるちゃん...スタメンになってくれませんか?」と告白した。ぶっちゃけ旦那に告白した時よりどきどきした。

【原口紘一】
声がでかい寂しがり屋おじさん。
こうちゃん。

この宣材太ってるから変えたいと500億回言われたのであえて載せる。

こうちゃんとは新国立劇場のミュージカルで出会った。声でかいし、背がでかいし、声でかいし、なんか喋り方昭和の俳優みたいで緊張するし、声でかいので、若手はなかなか近づきずらいタイプ。しかしわたしは今よりもガバガバ飲む人だったので、あまり気にせずガバガバ飲むこうちゃんと仲良くなった。仲良くなると寂しがり屋のうさぎみたいなおじさんだということがわかった。
そして4回戦のオーディションを受けにきたこうちゃん。ぴったりの役があったのでお願いした。公演後、彼はまだ決まってない次回公演の事をしきりに聞いてくるようになった。メンヘラ彼女かと思うレベルだった。そして彼は、仲間になりたいといった。

【奨陛】
しょーへー。
彼には苗字があったのだが、私の独断で改名した。かっこいいでしょ?奨陛

ボツになったシーンの撮影で多摩川に下半身をつけさせられている奨陛(冬)

彼とは山口ちはるプロデュースに、私がプロデューサーとして入ってるときのオーディションで出会った。当時の彼は全身黒ずぐめのマッシュヘアでモード系だった。ぱっと見、米津玄師かと思った。演劇はじめて間もなかった彼は一度だけ舞台に立った事があるというのでどんな役をやったのか聞いたら「性欲役です」と彼は言った。初舞台概念男。
2回戦の出演を頼んだ。
そして自然とスタメンになっていた。ナチュラルスタメン入り。
友達が少ない彼は平均集客5人くらいなので夏までに友達30人作ってといったら「なにしょっぱいこといってんすか。100いきますよ。」って酔っ払って言ってたから安心している。


【空白のはじまり】
4回戦まで、私達はわりとうまくやっていたと思う。勢いがあったし、チケットは発売日に即完。初日を前倒し。立ち見席も完売した日もあった。
なんだかこのままうまくいきそう。私達の面白いと思ったもので、ほんとに行くとこまで行けちゃうかも。
そんな時にアレがやってきたのだ。

「コロナってやつがくるらしいよ」
「へぇ、でも今はインフルエンザのほうがやばいっしょ」

小屋入りでそんな会話をしたのを覚えてる。
本番期間逃げ切った私達の後から、どんどん中止にする劇団が増え始めた。恐ろしさを感じたけど、なんかまだ〝ピンチはチャンス〟みたいな気持ちもあったし、うちらは大丈夫という根拠のない自信があった。

最初の半月はリモート飲み会をしまくっていた。過去出演者も含めてこんなに深く仲の良い劇団もなかなかない。週5くらい朝まで飲んでた。ときにはパン一で。それはそれで楽しかった。

そんなこんなで一年経った。どんどん時が過ぎていく。雲行きが怪しくなる。夏公演を打とうとしたけど出演者の感染が日に日に増えていく。断腸の思いで中止した。先が見えなくなってきた。

叶わなかった舞台
すごく好きなビジュアル

この辺からだ。
私と光さんはすれ違うようになった。出逢ってから数年。ずっと一緒にやってきたけど、もともと正反対の性格なのでお互いにぶつかることも多かった。ここに書けないくらいの激しい衝突もたくさんした。でも息が合った瞬間に私達が作り出すものはやっぱりちょっと〝面白い〟を軽く超えるくらいのパワーがあったし、どんなに苦しくてもベストタッグだと思った。だってそれで仲間も、お客様もついてきてくれた事実がある。
その思い込みが、後にどんどんわたしを苦しめていく。


【分裂、そして再始動】
実際、2人が別れる、となったときにみんなはどうするだろう、と思った。
なんだか離婚した両親のどっちについていく?みたいな気持ちになっていたんだと思う。
私はものすごく怖かった。
〝エリィジャパン〟と冠をつけたものの、エリィジャパンを面白い劇団にしたのは紛れもなく作演出をしていた小林光だからだ。

テーマパークを辞めて、光さんと出逢って、いままで積み上げてきたキラキラした本当に本当に幸せだった数年間が音も立てずに崩れ去って行くのを想像した。それは私にとって、なによりも怖い事だったから。エリィジャパンが全てになっていたから。
本当に怖かった。

でもそんな私のそんな不安なんてなんでもないかのように、みんなはいてくれた。いや、きっとあったと思うし、今も不安だと思うけどまた一緒にやってくれると言った。

「前に進む人に、みんなついていくんですよ。」って言われた。
やる気に火がついた。

このままじゃいかん。
行動しないと何も始まらない。
わたしはわたしのやりたいことを、素晴らしい役者達と、みんなで、みんなでもっと先の誰も見たことない景色を見にいきたいんじゃなかったんか。
なに不貞腐れてるのだ。こんなことで止まってたまるか。ふざけんな。

そしてTwitterで呟いた。
「ミュージカル映画作りたい!」
その呟きをBISの丸山プロデューサーが拾った。

そう、オジキタザワのはじまりだ。
再始動の火が灯った。


【オジキタザワ】
「あなたの夢はなんですか?」
夢もクソもない先の見えない世の中で演劇が少しでも希望になるように願いを込めて、オーディションの応募欄にそんな枠を作った。
定年したお父さんの夢を叶えたいという娘さんからの応募や、若い頃からの夢に挑戦してみたい!などたくさんの夢が届いた。3桁を軽く超える応募者数のなかから、プロアマ問わず、輝く素敵な役者さんたちをキャスティングしてオジキタザワは動き出した。

オジキタザワ

シモキタザワエキマエシネマK2での初上映は大好評で、動員目標も達成した。下北沢映画祭に招致していただき、トリウッドでも流してもらい、下北沢シアター制覇を果たす。ここから一気にグッドニュースが続く。
初回上映で気に入ってくださった京王電鉄さんの新しくできた商業施設ミカン下北とのコラボが決定した。終電後のホームで撮影したものを駅前サイネージで流してもらったり、TSUTAYAさんにオジキタザワプロデューサーとして選書を出したり、ユニクロ下北沢店で演劇祭を主宰させていただいたり、サントリー謹製ビアボールとコラボした企画が東京新聞さんに取り上げられたり...ほんとに、ほんとに、あのくすぶっていた空白の時間から考えられないくらい、たくさんの経験をさせてもらった。オジキタザワが私にくれたものは計り知れない。


【46億回目のパラレルパラレルサマータイム】
オジキタザワの時、演技指導に入ってもらっていた小林涼太(通称ジャバさん)はピストンズに私が客演したときからの仲である。
今までの人生の中で1番信頼できる作演といえばこの人だった。再始動するなら、信頼できるジャバさんの力を借りたいと思った。

お祭りたのしいおじさんおばさん

同じ小林と言えど、作品性も人間性も光さんとは180度違う人。でも、どうせ新体制にするならいままでの作品を擦ってもしょうがない。この人と作品作りを本気でしてみたい。そう思い、番外公演「夜踊るピアノ」を作った。天っっ才的な脚本だった。大丈夫だ。この人に、本公演をお任せしよう。

そして立ち上がったのがこれ!!!

46億回目のパラレルパラレルサマータイム

「私の好きな役者を輝かせるためには」をずっと考えて動いてきた私は、実はエリィジャパン公演にまともに出た事がない。それどこじゃないと言い訳をしてきた。
でも、新体制で少し光がみえてきた今だからこそ、勝負するならこの下北沢で、原点に立ち返って、大好きな小劇場で、私は何にも隠れず、逃げずに芝居をしたいと思った。

素晴らしい出演者達

オーディションで選出させていただいた、私が共演したいと思った20名の役者達。

どんな物語がはじまるんだろう。
不安だけど、わくわくする。

そう、本当の意味の
〝エリィジャパン〟は
きっと、ここからはじまるのだ。

7月1日発売開始。
新しい私達を、目撃しにきてほしい。

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