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必殺「仕掛け」人

 葬儀屋は待つのが仕事ですが、商人は待つことは禁物です。仕掛けて、仕掛けて、仕掛けまくる。閉じこもって何もしないでじっとしていることは一番危険なのです。

 私の師匠・須田泰三先生は、売る品を変えろ!売り方を変えろ!売る場所を変えろ!変えろ!変えろ!変えろ!を連呼し続けました。
 
 引き売りの八百屋からスーパーに転向したお店は、御主人が店頭で朝は青果物を並べ、日中は問屋とグロサリーの商談し、夜は肉を切ります。奥さんが裏でよちよち歩きの赤ん坊を厚着させ、段ボールに入れたまま、魚を切りました。奥さんは、店を閉めたら帳簿をつけ、ご飯を食べる暇も寝る時間もありません。

 それでも、全国の商友が応援に駆けつけてくれ、「〇〇さん、こんな高い値段じゃ売れないよ。もっと安く売らなきゃ。安く売らないと借金は返せないよ」とか、「包丁をこう使うと刺身の角が立つでしょ。やってごらん」と教えてくれました。

 まぐろの大トロを「これ色が悪いから100g50円でいいや」と値段をつけたところ、「奥さん、これ大トロだよ。そんな値段で売っちゃだめだよ」とお客に教えてもらったお店もあります。

 そんなこんなで、八百屋からスーパーマーケットに転向する、商店街の中の50坪の店が手狭になって、郊外に駐車場付き150坪の店を建て移転する、さらに支店を出す・・・。休む暇なく変え続けたものです。

 「変える」とは自分自身に対する働きかけです。これに対して、「仕掛け」は、相手(お客)に対する働きかけです。「仕掛け」は相手の行動を変えます。行動が変われば心が変わる。「仕掛け」は「波動」です。相手の「心」をも変えるのです。それが「仕掛け」の凄さです。

 「仕掛け」とは、音、光、色彩、文字、高さ、フェイス、陳列量、通路の幅、レイアウトなど通常の店舗と変えることで、人に「認知的不協和」を抱かせ、行動を変えるます。

 「認知的不協和」とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語です。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱されました。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられています。

 例えば、あるところにあるものがない、ないところにあるものがあると人は「認知的不協和」を起こします。男性の小便器に的があれば男性は狙いたくなります。結果として、小便が便器の外に飛び散ることを防ぐわけです。ゴミ箱の上にバスケットのゴールネットがあれば、ゴミを拾って投げようとします。結果として、ゴミ箱の周りに飛び散ったゴミがゴミ箱の中に納まるわけです。

商いは行動心理学


 「仕掛け」によって、人は、気分が高揚したり、怒ったり、他人の行動に同調したり、魔法がかかったように今までと違う行動をとるのです。
作家の藤本義一先生によると、江戸時代、大阪の地では、「俄(にわか)屋」なる珍商売があったそうです。

 夕立が起こって稲妻がはしり、雷鳴が響いた後、雨が上がると同時に、男がボサボサ髪に角をつけて、虎の褌(ふんどし)を巻き、背に結びつけた小太鼓を叩きながら町内を歩き回るそうです。

 男は、「お騒がせしました!」とか「えらい迷惑をかけました!」と言って走り回るそうです。人々は「何が起きたか?」とキョトンとしています。
なぜ、これが商売になるかと言うと、背中や腹に町内の店の宣伝(店名など)を書いているからです。「おもろいやっちゃなぁ。雨も上がったことだし、ちょっと背中に書いてあった店覗いてみよか」となるのを狙ったのでしょう。

 藤本先生は、「夕立がいつやってくるのかわからないし、夕立がやってきても必ず雷が鳴るとも限らない。この男はふだん何をして喰っているんだろう」と首を傾げます。

 そういえば思い出しました。昔須田先生の門下生に鰻屋さんがいました。その方は中部地方の方なのですが、町で火事が起きると、火事で焼け出された家族と火事を見に来た野次馬にうな重を配るのです。「こんな時にこんな高価なものを!しかもタダや。あのオッサン何者かいな。名を名乗らんかったしな」と不思議がります。

 着の身着のまま火事で焼け出された人は、「ありがたい。ありがたい。なんて奇特な方だ」と言いながらうな重の蓋を開けると、蓋の裏に小さく店名と住所、電話番号が書いてあるのです。この話が噂となり、この鰻屋さんは連日大盛況だったと言います。

 商売をやっている方へ。待つのではなく「仕掛け」るのです。「仕掛け」は相手を変え、廻りまわって自分を変えるのです。

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