受験を終えて

僕の浪人生活を象徴するものは、倫政を選択したことで得た哲学だ。

哲学史は、ソクラテス以前と以後で分けられるといっても過言ではない。
賢明で弁の立つソフィストたちは、相対主義を唱えた。証拠はさしてないが、絶対の真理はないと言い切った。しかしソクラテスは一人立ち上がり、たった一つの真理を求めようと、情熱を持って語った。プラトンをはじめとした様々な天才たちがそれに続いた。
そしてそれから二千年以上経った現在、哲学者たちが辿り着いたのは、皮肉なことにも文化相対主義であった。

自分の稚拙なメモより引用

「受験あるいは人生って哲学史なんかなあ」と浅はかにも僕は思う。
一年死ぬ気で頑張ったのに、不合格という不本意な結果は変わらなかった。正直、受験科目への解像度は、一年前と比べて何十倍も高い。
しかし京大不合格の烙印は変わらない。何も知らない世間からすると同じ価値。ほんと、受験って哲学史。

浪人中の僕はソクラテスだった。
今じゃカギカッコ付きのユダヤ人かな?奴隷道徳が心地よく、ニーチェの格好の餌食。

落ちてから言うと完全に奴隷道徳に思われるかもしれないが、本当に京都というものに興味を失ってしまったように感じる。
京都大学は魅力的だよ。雰囲気も好きだし。そこに通えることはとても素敵だし、もう一度そこを目指そうと立ち上がるのも素晴らしい。
けれど、僕が人生でやりたいことと照らし合わせたとき、もう一度、あの苦しい思いをしてまで京都大学に行きたいかというと、微妙と言わざるを得ない。

後期試験が終わって、今までやってきた参考書をざっと見てみた。俺、これまで何やってたんだろうって、本当に思った。別に自分のバカを嘆いてるんじゃない。実際、書いてあることは全部分かるんだよ。でも、こんな自分の興味のないことを、一日12時間程度詰め込んで、それをずっと頑張ってきて、結果京都にフラれる。はあ、そうですか。

もう参考書は投げ出したい。早くギターを手に取りたい。今のところ、そう思う。

追記

後期で北海道大学様に拾ってもらった。ありがたい。

受験そのものは懲り懲りだが、受験勉強は好きなので、家庭教師でもしながら細々と続けていこうと思う。
新しくなった共通テストが煩わしいので実際に京大に出願するかはわからないが、模試とかは力試しに受けるつもりだ。

北海道大学、二度しか行ったことがないのだが、落ち着いた雰囲気はとても京大に似ているし、クソ寒い所以外は好きだ。これからは少しずつ押して力づくで京都に近づけていこうと思う。

とりあえずみんな、お疲れ様。

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