奥穂高岳に登頂しようとしたけど、ずぶ濡れになって途中下山してきたのでポストモーテムを書く
こんにちは、note株式会社でSREをやっているvaru3と申します。
概要は表題の通りです。システム運用では障害が起きてしまった際には、障害時の知見をため再発防止のためにポストモーテム(*)、いわゆる障害報告書を書く習慣があります。
今回は私の趣味である登山にて、いままでになく命の危険を感じる事態が発生してしまったので、ポストモーテムを書くことにしました。
自分自身の手で振り返ることで同じ轍は踏まないと肝に銘じることと、私以外にも趣味で登山やキャンプやアウトドアなどを楽しんでいる方に、この記事が何かしらの形で生かしていただければと思います。
* SREにおけるシステム用語。本来の意味の「検死」という意味ではないです。
私の登山歴
簡単に私の登山経験を紹介します
2018年から登山を始めて、関東近辺の山を中心に、日帰りから山小屋泊、テント泊登山を楽しんでいます
登山は雪道ではない一般道を通るようにしていて、バリエーションルートや積雪期の登山は経験がありません
夏期の北アルプスは2020年に燕岳で山小屋泊、2021年に白馬岳でテント泊で今回の奥穂高で三座目になる予定でした
宿泊を伴うソロ登山は稀で、ほとんどがグループ登山、または今回の同行者(以降K氏)とのペア登山でした
今年からトレイルランも初めたので、軽登山やハイキング程度のものも含めると月に1,2回は山に登ってます
今回同行したK氏も私と同じ時期に登山をはじめて、だいたい同じ程度の登山経験を持っていました(K氏はガチトレイルランナーなので体力は圧倒的には私より上です)
予定では
8/19(金) 深夜に新宿から夜行バスに乗って上高地バスターミナルに向かう
8/20(土) 早朝に上高地バスターミナルに到着 06:00に涸沢ヒュッテ(のテント場)に向けて出発
8/20(土) 涸沢ヒュッテのテント場で宿泊
8/21(日) ザイテングラートを抜けて奥穂高へ
8/21(日) 涸沢ヒュッテのテント場で宿泊
8/22(月) 下山
という、奥穂高を目指すにはおおよそ一般的な行程を予定していました。
何が起こったのか
時系列順に書いていきます。
8/20(土) 早朝
前日(8/19)の天気予報では、8/20午前は天気が曇りで、午後には崩れて少し雨が降る予報でした。
予定降水量が3,4mm程度となっており、降っても小雨程度だろうという見通しをたて、レインウェアの下を置いていくという判断をしました(*1)。
当日(8/20)の出発前の天気予報でも午後から崩れるのは変わらずでしたが、予定通り午前のうちに涸沢ヒュッテまで登り切ってしまえば雨に降られる心配はないだろう(*2)とそのまま予定を変えずに出発しました。
予定通りの時刻に明神、徳沢園に到着し、一時休憩しました。徳沢園ではアイスを食べたりしつつ天気予報を眺めて、涸沢ヒュッテへは雨が降る前に到着するだろうという見通しを立てていました。
横尾を抜けると一気に登山道らしくなります。いままでは比較的平坦なハイキングコースだったのですが、岩道や狭い道が多くなり登りにも時間がかかるようになってきました。
それでも、コースタイムよりもやや巻きくらいのペースで登りつづけていきました。
8/20 午前: 想定外の突然の雨
しかし、ここで予想外の出来事が起こります。予報では午後からといっていた雨が降りはじめました。我々はここでなぜか、すぐ止むだろう、降っても本降りにはならないだろうという判断(*3) して、立ち止まってペースを落とすのもなぁと、そのまま登りつづけてしまいました。
雨足も強くなってきてこりゃ本降りだなと思ったときにようやくザックカバーを取り付け、レインウェアを着ました。その時にはすでに全身とザックがずぶ濡れ。さらには下半身のレインウェアがない状態でした(*4)
予定通り11時すぎに涸沢ヒュッテに到着したものの、依然雨足が強く雨も止みそうにない状態でした。
8/20 お昼頃: 安全確保
売店の隅で雨宿りをしつつ、体を冷やさないようにと慌ててお湯を沸かして白湯を作って飲み、そのまま昼食にしました。
ここでK氏とここからどうするか、という話になりました。とりあえず安全の確保のためそれぞれ持ってきたテントの一人分を立て、そこで雨宿りかつ休息にしようということになり、雨の弱まったタイミングを見計らってテントを立てました。
テント場は吹きさらしのため風が強く、また雨足も強くなったり弱くなったりで、いつもは10分弱で組めるのに、一苦労してようやく雨風を凌げる場所を確保しました。しかしテントも中まで水が浸水している状態でした(*5)
なんとかマットを引いて水を防いで、一旦立てたテント内で体力を養い体を温めた上でもう1組のテントを立てようということになりました。雨風のタイミングを見計らって吹きすさぶ中もう一つのテントを立てて、ようやく二人が横になれる場所を確保しました。
8/20 夕方: 水濡れの恐さ
ここで一息をつき、夕方まで一旦寝ることにしました。気温はそこまで低くないものの(10℃前後)、風が強かったです。テントの中も水濡れで全身、ザック、寝袋も濡れてしまっていました。雨風を凌げるものの、水濡れの冷たさでどんどん体温が失われていくのがわかります。あわてて濡れた服を着替えたり、テントの前室で湯を沸かして飲んだり、固形燃料の火を焚いてなんとか体を冷やさないように努めました。
天気はどんどん悪くなり風も強まり、ちゃんと固定したはずのテントも強い風が吹くたびに傾きはじめたのですが、せっかく着替えた服がまた濡れるのと、体力を消耗するのが怖くて吹き飛ばされないことを祈りながらじっと横になってました。途中でテントの中で温かいものを食べたり、行動食のあまりをつまみながら寒さを凌いでいました。
8/20 夜: これからどうするか
夜20時くらいにようやく雨風が落ち着いてきて、外に出られるようになってきました。場所を夜の売店にうつして、K氏と明日以降どうするかを考えることにしました。
結論から言いますと、明日は奥穂高登頂を断念し下山した方がいいということになりました。
明日も今日と同様、午前は天気が持つが午後は次第に雨風に加えて雷が伴う天気になりそうなこと
すでに雨風と濡れた寒さでだいぶ衰弱しており、明日登頂できたとしても、同じようにここで一夜を過ごすのは無理そうなこと
ザイテングラートが濡れており、疲労困憊のなか濡れた路面を歩くのは滑落の危険が高そうなこと
わざわざ安全のために一泊するようにしたのに、さらに危険を冒すのでは元も子もないので、明日の午前は何とか天気は持つという予報を下山するチャンスだと捉えて撤退する(*5)ことにしました。
8/20 深夜: 寒さで眠れない
撤退を決意し、翌朝まではなんとかテントで過ごそうということになりました。テントの中で横になって寝るのですが、寒さの震えで何度も起きてしまいます。お湯を飲んだり、手持ちの晩酌用のウイスキーで体をあたためたりして何度も寝るチャレンジをしていました。
ウトウトして寝るも30分に一回くらい寒さによる体の震えで目を覚ましては体の向きを整えると震えが収まるのでまた寝る…というのを繰り返してようやく朝を迎えました。
ほとんどまともな睡眠をとれてなかったですが、朝を迎えられた時は心底ホッとしました。
8/21 早朝: 後ろ髪を引かれる思いで撤退
翌朝、朝焼けが綺麗に上がってきたのがとても綺麗でした。お湯を沸かして、体を震わせながら食べた朝ごはんがとても体に染みて決死の思いで夜を超えられたことが心底嬉しかった。
その後、どんどん天気が良くなっていき、周りの登山客は次々にザイテングラートに向かっていきます。
もしかしたら何となしに奥穂高まで登れるかもしれない、天気予報も外れて雨なんて降らないかもしれない、他の登山者も多いし危険なんてないかもしれない、この程度で下山するなんてわざわざ休みまで取ってきているのにもったい無い、という甘い誘惑が何度も何度も頭の中で反芻されてきました。
自分達はもう下山すると決めてしまったし、そういう甘い見通しや楽観的な判断でこんなことになってしまったのだ、と思い直し、後ろ髪引かれると思いでテントを片付けて下山することにしました。
8/21 お昼頃: 無事に下山
下山は前日の影響で多少、体力の消費がありしんどかったのですが、天気が崩れる前に特に大きな危険もなく上高地まで帰ってくることができました。
午後は予報通り多少雨が降ったりした様子でしたし、松本市ではにわか雨がだいぶ強く降っていたようでした。
こうして、無事に帰ってくることができて心底ホッとしました。
原因分析
登山やアウトドアに慣れてる人ならここまで読んで、初歩的なミスの連発であったことがすぐにわかったかと思います。自分もその時には冷静な判断ができていたと思っていましたが、今になって振り返るととてもではないですが、判断が適切であったと到底は思えません。
一つずつ見ていきましょう。
原因1: 見通しの甘さと準備不足
山では天候がとても変わりやすく、天気予報も確実ではありません。天気予報は参考情報としておくべきで、過信はよくないと痛感しました。山でその都度の判断が大切で、降っても小雨だろうとか、登山中は大丈夫だろうというような楽観的な推測が危険な状況に追い込んだなと振り返ってみて思います。
また、登山事故の大半が準備で防げるといわれる通り、雨が降るということがわかっているにもかかわらず、レインウェアの下を持ってこなかったというのは初歩的なミスどころか、慣れからの気の緩みだったと深く反省しました。いつもは持っていっているはずなのに、何度も山を登るうちに結局使わなかったとそのまま片付けることが増え、今回も必要ないだろうと持ってくることすらやめてしまいました。「非常用の装備は使わなかったことに意味がある」ということに身をもってようやく気づくことができました。
原因2: リスクの過小評価
雨が振り始めてもさらに楽観的な判断がつづき、全身が濡れたところでも大した問題ではないとリスクを過小評価していました。いままで登山中に多少の濡れたことはありましたが、大事にはなっていませんでした。それは強風でなかったからです。今回は濡れにさらに強風にさらされるというコンボが発生し、気温がそこまで低くないのにも関わらず寒さに震えることになりました。「濡れた状態で風に吹かれると体の体温が一気に下がる」という話自体は知ってはいました。が、それに自分が直面するまでそのリスクを本当の意味ではわかっていなかったのです。
ザックが濡れると当然ですが中の荷物も全て濡れます。テントや寝袋が濡れるとその後の体力の回復手段に大きく影響がありました。睡眠時にも、濡れた寝袋にくるまるのは本当につらく、そこから体力が失われていく感覚がありました。今回はかろうじて地図やスマートフォンは水没はしませんでしたが、それらにも影響があった場合には下山する手段すら失われかねません。総じて、濡れることのリスクも過小評価していました。
また、登山道をぐんぐん歩いていると、今ここで歩みを止めてはいけないという謎の焦燥感にかられていました。残り数キロなのに、ここで雨を防ぐよりもすぐに山小屋に行ったほうがいいという焦りで誤った判断をしてしまっていました。
原因3: テント泊を強行したこと
今振り返ると、この時点でテント泊をとりやめ素泊まりでもいいので山小屋に避難すべきだったと思います。テント泊の受付の際に他の登山客のやりとりを聞いて、多少割高ですが当日宿泊の受付も行ってはいたようでした。なので、テントで宿泊することに固執しすぎず、身の危険を考慮して多少お金がかかってでも山小屋に入るということも視野に入れるべきでした。なぜか自分たちでできること以外の別の発想を自動的に排除してしまっていたように思います。
どうすればよかったか
以上、3つの観点から(極力)客観的に自分たちの行動を振り返ってみて原因を分析してみました。では、どうのようにすればよかったのでしょうか。
1. レインウェアを上下揃えてもっていくべきだった
レインウェアを持っていくという登山の基本中の基本ができていませんでした。当たり前ですがどんな天気予報だとしても持っていく必要があります。山の天気は変わりやすいですし、ましてや2泊3日の山行となれば常に晴れていることのほうが稀でしょう。レインウェアを持っていくいかないですべてが変わります。必ずレインウェアは上下揃えてもっていきましょう。
2. 見通しの甘さ、楽観的思考に陥っていることに気づくべきだった
天気予報で雨が降るといっているのに、前述のようにレインウェアを持っていかないことや、午前中は雨が降らないから大丈夫だろうという見通しの甘さ、多少水濡れしたくらいすぐなんとかなるでしょという楽観的な考え方がありました。
正常性バイアスというものがあります。wikipediaでの記述によるとまさにそれに陥っていました。
3年前に富士山での滑落事故が起きた際にはこんなツイートがバスっていました。
この心理に自分は似ていて、アクシデントが起きた際に、それを自覚できていない状態だったのだと思います。
上記の心理バイアスやツイートの話は私は知ってはいました。知っていたとしてもこのような自体に直面したときに、バイアスにあがらうことができませんでした。頭で知識として知っているだけでは、その心理バイアスを回避する手段にはなりえないのだということを感じました。
関連する出来事として、体温を緊急時に保持するためのエマージェンシーシートを持っていってはいました。とはいえ、まだ自分は遭難してはいない、そこまで危険な状態ではないという、楽観的な思考がありました。これを使うときは最後の時だという出し惜しみしてしまった点もあります。
FFでいう最後までラストエリクサーを使えないラストエリクサー症候群やシューティングゲームでいうボムを持ったままの状態でミスする抱え落ちになっていました。
3. 「水濡れ」という状態異常について理解するべきだった
そうじて今回の山行は「濡れ」を過小評価していたと言わざるを得ません。「水濡れ」の影響としては
風が吹くと体温が下がる
荷物が水を吸って重くなる
寝袋を濡らすと快適な睡眠がとれなくなる
電子機器を水没させる
などという、ゲームなら余裕でナーフされるくらいのチート級のデバフ効果があります。特に体温の低下は生死に直結し、致命傷になりかねない効果があります。また当たり前の話ですが、ザックが濡れるとテントや寝袋や替えの衣類や食料の全てが濡れます。レインウェアがなければ体が濡れます。
これらをしっかり理解していれば、レインウェアを持っていかないという判断や、濡れ続けて山行をつづけたこと、ザックカバーを付けるのを即座に行わなかったというその後の身の危険につながることを防げていました。
レインウェアはちゃんと持っていき、ザックカバーは雨が降り始める前につけておきましょう。衣類や電子機器はジップロックに入れ、最悪濡れても大丈夫な状態にしておきましょう。
どれも当たり前の話ですが、この登山の基本が疎かになっていたことは深く反省してるところです。
4. 視野が狭い状態に陥っていることに気づくべきだった
「2. 見通しの甘さがあったこと、楽観的思考をつづけていたこと」にも通じます。
「テント泊ではなく山小屋に避難する」という手段もありました。しかしながら、その手段をあえて選ばずテント泊に固執してしまったことは、アクシデントに伴って視野が狭まっていたと言わざるを得ません。
冷静になれずに、多少のお金を支払うことと自分の身の危険を天秤にかけた時に、なぜか危険のほうが勝ってしまうという判断のミスがあったように思います。
お金を払って身の危険を回避できるのであれば存分に金を払いましょう。金より命のほうが大事です。ここで出し惜しむ必要はありません。山では現金で身の安全が買えるので多めにもっていくのが絶対良いです。
よかったこと
こんな危険な状態の登山ではありましたがいくつかよかった点もありました。
上半身の寒さを感じなかったこと
これはいわゆる「ミレーのアミアミ」のおかげです。
下半身はスポーツタイツ+短パンという服装でしたが、これが雨に濡れると水がずっと下半身に残ってしまうため、そこからスルスルと体温が抜けていく感覚がありました。
一方、上半身に関しては幸いなことに寒さを感じることがなかったのです。このミレーのアミアミのおかげで汗冷えや水濡れの冷えを一切感じることがありませんでした。素晴らしい製品でした。
体を温める手段があったこと
寒いときに一瞬でお湯をわかしてくれる「ジェットボイル」のおかげでなんとか朝まで体温を保つことができました。これがなければ命の危険があったといっても過言ではないです。
2, 3分でお湯が湧きます。さっとお湯をわかして白湯を飲んで体温を温める…ということのお陰で命が救われたと思っています。本当に感謝しかないです。ありがとうございました。
食料が潤沢にあったこと
人間は寒いときに体温を維持するだけでもエネルギーを消費します。今回、食料に関しては多少多めに持っていったおかげで、必要なカロリーは蓄えることができました。寒い寒いと震えながらスープを飲んだり、エネルギー補給にミックスナッツをポリポリと貪ったりしながらなんとか夜をこすことができました。
K氏が一切、弱音を吐かずにいてくれたこと
冷夜は同じく寒い思いをしていたK氏ですが、一切弱音や文句を吐かないでいてくれたことをとても感謝しています。
行き当たりばったりの判断でしたが、特に言い争いや意見の対立…というようなことは起こりませんでした。
メンタル的な部分では安定して、都度都度必要なタイミングでこの後どうするべきか?という話しをすることができたのはとても良かったと思います。こんな状況で一人だったとしたら、間違いなく心が折れて泣き崩れていたところでした…
奥穂高岳にいかずに下山するという判断ができたこと
今回一番良かったのは下山する、という判断ができたことです。今まで全て悪い方へのルートばかり引いていましたが、唯一適切な判断ができたのではないかと思います。
前日の段階でこの判断を下せたのがとても大きかったです。当日の朝に判断する、としたら天気が良いから行っちゃおうかという判断になっていてもおかしくなかったと思います。
とはいえ、下山するときの天気で晴れ間を憎らしく思ってしまったことも嘘ではありません。こんなに天気がいいのに、なぜ下山しなくてはいけないのか?!というようなことや、結局頂上までなんとなしに行けたのではないか?というようなことを考えてチラチラと下山中も山の頂上の方を見てしまっていました。
登山はスリーアウト制だというのが持論としてありました。3つのアクシデントが重なったらいわゆる「遭難」となってしまうという考え方です。
今回のケースで当てはめてみると1つ目は、レインウェアの下を持ってこなかったこと、2つ目は突然の雨に降られて体が疲弊してしまったこと、これにさらになにか一つでもアクシデントが重なったら遭難へのリスクが一気に高まるのではないかと思います。ここより更に危険な、ザイテングラートに登るのにアクシデントのリスクがあまりにも高いという判断でこの結論に至りました。
これは自分の中でも納得していて、もしもこれから10回同じ状況になったとしても10回同じ判断を下せると思っています。このような一貫性も登山での判断では重要だと思います。
最後に
客観的に自身の山行を分析してみましたが、改めて思うのは「基本をおろそかにするな」ということでした。レインウェアを持ってこないというのは登山者としてはあるまじきことで、それさえあれば寒さで震えることは防げていたのかもしれません。
登山者としては、やはり奥穂高に憧れがあってようやく辿り着けた場所であっただけに非常に残念ではありますが、山は逃げないのでまたいつか再挑戦しようと思います。基本に立ち返って、準備を怠らないことを忘れず趣味としてこれからも登山を楽しんでいこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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