コロホニウム系オイルニス

コロホニウム系オイルニス(2015.4.12)
オイルニスとはテレピン油に溶ける非アルコール系の塗料です。
木質楽器塗料としての成立は乾性油オイル塗料→松脂系オイルニス→コーパル、琥珀系オイルニス→アルキッドまたは硝化綿塗料→ウレタン樹脂塗料と変化していったのですが、コーパル系のオイルニスは日本でも戦前まで使用していました。
ヴァイオリンではコーパル系オイルニスが現れた時期と同時にアルコールニスが普及して、一時オイルニスは途絶えていたようです。近年古い楽器の良さの見直しからオイルニスが復活してきました。ヴァイオリンのニスは元々松脂系オイルニスと考えた方が妥当です。

松脂と亜麻仁油という組み合わせはとてもシンプルで簡単に作れます。松脂の主成分はアビエチン酸(Abietic acid)で加熱すると亜麻仁油、テレピン油、エタノールに溶けます。
「簡単に作れる」というのは、実はこのことが一番の問題点となるわけです。
松脂と亜麻仁油を加熱すると、それだけで塗料にはなります。現代の中国ロジンと生松脂を200℃で30分も加熱するとオイルニスができます。
しかし、これは色が薄すぎることと、紫外線硬化でも酸化硬化も遅く、皮膜強度も弱いという全く役に立たない塗料となります。煮詰める時間を長くして反応時間を延ばしたものがスパーワニス(Spar Varnish)です。これは船の「帆」に塗装する塗料で、現代には需要は全くありません。

ヴァイオリンニスに使用できるコロホニウムオイルニスの作り方は
・松脂(WWグレード)を沸騰する温度300℃以上で100時間加熱する。重量は最初の40%以下になります。赤黒く柔らかいペースト状のランニング・コロホニウムができます。

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亜麻仁油とランニングした松脂を1:1を200℃で煮込むとオイルニスができます。
最初からマスティックを加えた処方がマルチアナヴァーニッシュです。
マスティックを入れなくてもこのニスは作ることができます。
長時間熱処理したので硬化は速くなります。
松脂は酸化すると赤くなるので、化学的に硝酸酸化した手法がGeorge Fryの硝酸コロホニウム法です。これは16-17世紀の技術には存在しません。硝酸が生産されたのはかなり後のことになります。(16世紀の段階で硝酸を作ることは可能でしたが、一般的に流通はしていませんでした。)
ここで問題となるのは、現代には生松脂は流通していません。
マルチアナ・マニュスクリプトの時代1500年代には生松脂を使用して、もっと簡単に赤いオイルニスが作れたのではという疑問です。
私は山梨県のある公園の松の木の根元に行って、生松脂を採取してオイルニスを作ってみました。

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ここで問題となるのは、現代には生松脂は流通していません。
マルチアナ・マニュスクリプトの時代1500年代には生松脂を使用して、もっと簡単に赤いオイルニスが作れたのではという疑問です。
ヴァイオリンニスとしてのコロホニウムオイルニスは色だけではなく蛍光と音質の長所があるはずです。これを次に解明していきたいと思いました。
これは赤く硬化も速く、仮定どおりの結果となりました。
ヴァイオリンニスとしてのコロホニウムオイルニスは色だけではなく蛍光と音質の長所があるはずです。これを次に解明していきたいと思いました。

コロホニウムオイルニス2(2013.9.21)
生松脂に近いロジンを入手しました。
Logepole Pine 合衆国北部からカナダの北方松。少し硬いが手で割れます。
Pinyon 「松」の意味ですが生松脂にとても近い乳白色の柔らかい松脂。
スラバヤ南洋松 インドネシアからジャワの松 ベージュ色で硬い。
インド松 黒っぽく柔らかい。石が混ざっている。

これらのオイルニスは確かに赤く、それほどランニングしなくても簡単に赤黒くなります。
温度は低く時間も短くします。
難しいのは「生松脂」が生である故、つまり100%樹脂分ではないのでそのままランニングすると砂、石、木の破片全て混入します。一次的にはレジン質を分離する必要があります。

そこで、ボナーニやティングリイの図にある装置を思い出しました。これらの図の意味は漠然と理解していましたが、必要性がようやく分かりました。メッシュを入れないと先ず松脂(グリークピッチ)が採れないのです。
わざわざグリークピッチと松脂(Rosin)と表現を分けたのも理解できます。
生松脂をグリークピッチに加工しないと次の行程に行けないということでした。
図はボナーニの松脂の採取。

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George Fryの硝酸コロホニウム法(2013.10.5)
私はジョージ・フライの硝酸法は合成的で古典的な伝統の方法に逆らうものとしてあまり深く読みませんでした。彼は16-17世紀にあるはずのないテレピン硝酸着色で赤いニスを作りました。しかし、読んでみないと価値は分かりません。
フライの本"The Varnish of The Italian Violin Maker"の一説です。

彼はテルペン製品の二色性の観察で最も早くあります。そして、私の注意を受けましたMベルトロー(1853年の)です。彼がそれに注意を払わなかったことが残念に思われます;とにかく、彼は、伝達の色が黄色であるのに対して、屈折のそれが赤いことを現象(それはこの限定された感覚で理解されることになりました)のいかなる説明にも残念なことに何も言及しませんでした。
ほとんどの色が紫の間、一旦この一般的な規則からの逸脱が観察されるならばだけ、piceaの皮からのテルペン誘導体のアルコール溶液は薄膜で黄色であるのを見られました。私が知る限り、それが有機物質の特定の種類に特有のようで、どちらも見つかるどこか他の所(それはより驚異的なものです)であるいかなる説明でもありません。そしてその正確な意味が重要でないことはありません。
その出来事の著しい例は、以下の実験で見ることができました。
良く精製した無色のテレピン油(d-pinene)(比重0.869)と水アルコールを混ぜ合わせられます(比重0.830)、5部のアルコールと1部のピネン(体積)を溶解してください。
このアルコール溶液に硝酸(比重1.420)5%を1日ごとに加えます。硝酸の添加で多くの油が分離します。分離された油は(当初の溶液全体の4分の1への体積)表面まで上がります。油沈殿物の大きな滴ができます。
次に間をおいて振り混ぜると、4日で油が完全に再溶解し、溶液は再び完全にすべての汚濁は消えます。5日目に更なる5パーセントの硝酸を加えます。アルコール-ピネン溶液は現在20パーセントの量の硝酸を含みます。どんな変化または濁りもなく、同じことを6日目も行います。溶液は薄い茶色にゆっくり近づきます。 硝酸の最初の追加から10日目に、色は二色性はなく明確に黄茶色になります。
1ヵ月立っていた後に、16度くらいの角度の日光において、溶液は強く二色性になりました。そして、濃い赤い色が大量に現れました。それは、そばに置かれている酸化コロホニーの溶液に似ています。硝酸エーテルのかなりの量が形成されて、黄褐色の色は明らかでピネンで純然たる酸化を表します。二色の私の解釈は、酸化の増加によりピネンは二つに分かれ、溶液は今は違う光学特性有する二つのテルペン類が含まれ、赤い色は干渉によるというものです。
キャピラリーガラス管を付けた天然ゴム・コルクによって、この溶液が入っているフラスコに栓をします。奇妙なことに、徐々に私の予想とはフラスコの内容物は非常に反対で わずかにですが、しかしかなりの 重さの増大がありました。数ヶ月間立った後でも、強い拡散日光においても色は不変でした。

註)この方法でのニスは「亀甲ひび」が入りやすい。また蛍光が暗くなり古典製法のヴァイオリンニスとは全く違うものと考えます。

難しいことを書きましたが、George Fryの硝酸コロホニウムの二色性は、要するに見た目の問題です。
現象としては、「二色性」にはいくつかのパターンがあります。
1.右旋性と左旋性混合物でそれぞれの屈折率が違う場合。これはFryのこの話です。赤は光の干渉から作られているとしてますが。私は疑問です。
2.透過光と反射光で色が変わる場合。入浴剤バスクリンは粉がオレンジ色で、お湯(水)に入れると黄緑になります。硝子コップにとって上から下から眺めると、やはり黄緑とオレンジ色が見えます。
これがヴァイオリンニスとどう関係があるのかというと、実際は関係があります。
硝酸コロホニウムまたは硝酸テレピンを作って、蛍光灯に透かして見ると、緑の要素があります。
しかしLEDでは赤いままです。蛍光灯の下でのヴァイオリンの色は普通に考えると、デフォルトです。
しかし本来は日光で良く見えることが正しいのではという話です。




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Piceaはスプルースの樹液-樹脂です。Abiesとほとんど変わりませんが少し硬い樹脂です。
コロホニウム、松脂は硝酸と反応させるともはやテレピン油には溶けません。
松脂と亜麻仁油のオイルニスを作り、これを硝酸と100℃で反応させて赤くします。
PiceaとAbiesのバルサム状のものは硝酸と反応してもテレピン油への溶解は可能です。
テレピン油に含まれるβ-ピネンと硝酸を反応させた赤い樹脂をテレピン・レーズンと呼ぶらしいです。
これは私としてはほとんどお勧めできません。硝化物は爆発性があり危険を伴います。

イタリアのリュートのニス(2013.10.15)
ピーター・フォレスター
イタリアのリュートのニスについて。
初期の楽器ニスの性質についての研究を何十年間か続けてきました。
比較的最近になりますが、ウィリアム・フルトンは、16-17世紀に製作者が使用した可能性が大きい方法を公表しました。
基本的に、普通はニスにそれらを加えないし、通常より高い温度で樹脂を加熱することをしないで彼は普通のオイルニスで得ることのできない暗い色を作りました。
今年の初め、Eph Segermanは彼とフルトンの両方の方法を説明をしJ.R.I.によって作られたニスのサンプルを紹介してくれました。
方法についての説得力のあるものは、それが容易であるということですので、誰もがそれを行うことができます。 マイナーバリエーションがよく良くも悪くもニスまたは違う色合いを作れます。ヒルズはストラディバリの本の中で、1626年の文を引用しました。
有名リュート製作者ディジスモンドマラーは彼が使用したニスの処方を来週の月曜日が書面で私を与えることを約束しただけでなく、このマスターは、さらに彼が2種類のニスを持っており、それが彼自身ではなく助手であると私に伝えました。 第二に、それが容易で、他の色のワニスより私が望んでいることに 簡単に適用できる。 第三に、それは太陽や乾燥させる紫外線を使用することにより、現代的な記述に合うものので、簡単かつ迅速に乾くということでした。
おそらく詳細にそれを修正する間、私が最近に出くわしたいろいろな処方はフルトンの一般的な方法を確かめるようです。
馬鹿げていますが、それらは1847と1849年以降に現代の翻訳で印刷されていました。十分に途方もなく、彼らは1847と1849年以降現代の翻訳で印刷されていました。芸術家の方法および材料についての本にそれらが生じるという事実が、ヘロン-アレンに含まれていた他のレシピとの類似点にもかかわらず気づかなかったことと結びつきました。
画家ジェンティレスキ(この人は1525年「リュート・プレーヤー」の著者として知られているリッヘンスタインコレクションで作品を描き、この人は有能な音楽家(後にイングランドに住んでいる)として知られている。彼の時代では、イタリアの業者がリュートのニス塗りに使用される琥珀色のニスを売ったとしてイーストレイクは書いています。
しかしながら、単語の琥珀は、ニスが作られた資料にではなく色をさしているようにも見えます。
イーストレイクの本は、ほとんど油絵の技術開発に関係していて、ヴァン・ダイクで伝統的に開始した乾燥を促進するためにニスのに油を混合しました。
明らかに画家は薄いニスを生産していました。我々が注意しなければならないのは一般のニス処方にとって好ましくなく、画家は注意が必要な製作の一要素であります。
たところでは、サンダラックはcheaser赤いニス-vernishum rabeum -に使用された樹脂でした。13-14世紀の間にウエストミンスターで発表されました。
イタリアでは、それはgrassa(琥珀はglassaまたはcarabeでした)と時々呼ばれました、しかしヴェルニクスあるいはジュニパーとして最も普通に呼ばれます。
それはジュニパーかサンダラックによって作れる考えられました、明らかに北アフリカでいうAlerce(Callitris quadrivalvis )であると知られています。(サンダラック)
暗いニスはorittle resin(ヴァンダイクの本に出て来る樹脂)の樹脂です。
ウエストミンスターの記事にある高価な白い樹脂は、多分、16世紀初めのイタリアの処方にあるPistachia Lentiscus(地中海接しているすべての国で育つ木)すなわちマスティックであったと思います。脆く低温で柔らかくなり、チューインガムとして使われます。それは、サンダラック(vernice chiara)より薄い色のニスを与えます。
第3の樹脂(おそらくウエストミンスターで使われるより安い白い樹脂)はテレビン樹脂です。そして、暖房オリバナム(いろいろな松の粘着性の滲出物)によって生み出されます。
現在、それはテレビン油とロジンを作るために使用されます。
製造された時、それはギリシャのピッチと呼ばれました-pece greca -、pegolaあるいはglorie。
次のレシピは11世紀にディオニュシオスによって書かれて、16世紀までアトス山で作られました。
フランス語への初期の(1845)翻訳はイーストレイクによって引用されています。
必要なモミの樹脂を銅の器(内容が半量になるぐらいの)の中に入れ火の上に置いてください。
あふれないように注意してください。樹脂が上がってきたら火から降ろして、葦を上に置くか、冷水がはってある器に置くと膨張はすぐおさまります。また火に置いてください。樹脂がふくらむのをやめるまで、数回これを繰り返してください。 このように、pegolaができます。火からそれを降ろして水をはった銅の器へ注いでください。その後、pegolaを集めます。
まだ不純物を含みますが、この生成物はロジンです。現代の見解は、ニスにおいてその有用性上で相当に異なります。
ロジンを含むペイントとニスは、耐久性がなくて弱く、いつも色が暗くなって、ひびが入ります。
また非常に一般に目下の者である、ロジンはより安い生産物に多量に使用されますが、ある産業塗料中の混ぜ物であると思われます。
私はそれはむしろ硬いもろくて光る被膜を残します、しかし、多少の油または柔らかい樹脂で加減して、それは耐久ニスを製造します。
イタリアでのその最も初期の使用は、それが溶けるのを助けたサンダラックの混合物の中にあったようです。後で、それが一般のニス(vernice comune)の樹脂要素として、単独で使われました。それは、光沢とより淡い色を与えました。
これらの3つの樹脂、サンダラック、マスティックとロジン、 亜麻仁油またはクルミ油と共に、最も一般的にはイーストレークとメリフィールド夫人によって集めらた処方に頼る人々が多いと思います。およそ40または50の処方から、私は、最も関連すると思ったものを選びました。

訳註)この長ったらしくとりとめがなく論点の分からない文に、オイルニスの重要な製法があると言うので訳してみました。サンダラックとジュニパーは17世紀当時別の樹脂でした。諸説ありますが、当時のジュニパーが今のサンダラックで当時のサンダラックはもう存在しない。或いは逆であるとします。これは困った事です。
結論はまだありません。
vernice comuneは後で述べるVernice Liquidaのオイルニスのことです。

Vernice Liquidaタイプオイルニス(2013.11.3)
今までヴァイオリン用オイルニスの決定版が作れなかったので、ヴェルニーチェ・リキッダという無溶剤の液状タイプを開発していました。開発とは言っても昔の処方の再現です。
前の「リュートのニス」で内容は大体紹介してありますが、このニスは絵画技法で生まれたということです。
13-14世紀にコロホニウム、サンダラック、アンバーなどをランニングして亜麻仁油または胡桃油で液状化させたヴェルニーチェ・リキッダは絵画のメディウムとして作られましたが、黄変する欠点がありました。
その後、黄変を利用して銀箔に塗布して金の色が出ることから、装飾に使用されましたが、ヴァイオリンニスとして作り直されたという経緯があります。
写真はサンダラックベースの「グランド(下地)」とアンバーのヴェルニーチェ・リキッダです。
これは作る手間が多く難易度が高いので価格も高くなりますが下地の明るさにおいては抜群の効果があります。

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サンダラックとウォルナットのオイルニスをグランドとして下地に使用します。
常套的な方法として膠水目止めの上に、このグランドを3回ぐらい塗布して下地とします。
ヴァイオリンの下地塗装の段階での金色の下地処理としては、二つの方法があります。
一つはこのオイルニスが自然に、金色に焼けて下地になり、上に色つきのニスを重ねる場合。
もう一つはグランド処理、要するにステインによる木材染めです。天然無機物、有機物で下地を着色して、その上に染料なしの(薄く染料や顔料を使用する場合もあります。)ニスを塗装していく場合です。
Vernice Liquidaタイプオイルニスの役割は最初の方法となります。これらに関連して、ギルディングやゴールドサイズの文献にあるImprimitura(Imprimatura)イタリア語の「下地」プライマーの意味です。
Dorata,Doraturaは金色の意味です。
木材を染める方法は現代化学的で、亜硝酸や金属化合物やブチルセロソルブのような合成溶剤を使用している場合があります。それがいけないという意味ではありません。
ヴァイオリンの誕生期の16-17世紀に亜硝酸があったのかは分かりません。あれば爆発性のある物質ですので火薬として使用できたとは思いますが、硝酸は肉などのタンパク質を腐らせて分解する方法と、尿の中の尿素を酸化させても作れるので可能性はあります。これ以上のことは書きません。危険物に関することになります。
オイルニスの下地ができたら、マダーレーキやコチニールレーキを混ぜた色付きのオイルニスを作って着色していきます。この方法が一番明るい色合いを作ることができます。

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天然樹脂と蛍光(2013.11.16)
UVブラックライトにあてたとき、オイルニスは蛍光を発します。
蛍光の強さはオイルにあるのではなく、樹脂の方にありますが、蛍光の強さとUV硬化性とは直接の関係はありません。
亜麻仁油は黄緑から黄色の弱い蛍光を示します。生亜麻仁油と二重結合の位置が変わるボイル油やリノキシンは蛍光も変わります。
現在の紙や白い繊維はほとんど蛍光漂白されていて、ブラックライトで強い蛍光を発します。ここが不思議なのですが、太陽光や蛍光灯の下ではブラックライトでの蛍光の差ほどには識別できません。しかし、感覚として明るく感じるので、蛍光塗料や蛍光漂白剤が使用されているのです。絵画と工芸では蛍光性の違いはそれほど重要ではなかったのでしょうか。ヴァイオリンの塗装では、おそらく重要でした。
日本の伝統工芸では漆が使用され"Japanning"の名前まで与えられました。漆は蛍光性としては完全に「不活性」でUVライトでは全く光りません。顔料の側にも蛍光性はあります。丹朱は蛍光性でベンガラは不活性です。漆に混ぜたときは共に不活性となります。
漆以外の方法としてのバインダーは「密陀油・みつだゆ」亜麻仁油や荏油などの乾性油に密陀僧(一酸化鉛)を加えて乾燥促進させたオイルなのですが、これは当然黄色の蛍光を発します。 (註)「古文化財の科学」山崎一雄著からの引用です。
鉛酸化物は古くから乾燥促進剤として使用されました。密陀僧、金密陀、光明丹、リサージなどいろいろな呼び名があります。「密陀僧」はペルシャ語のMurdasungの音だけをあてた漢字で密陀絵、密陀油の言葉は江戸時代につくられた語という論です。
私の考えは漆工芸は蛍光を好まない色彩感覚があったからではということです。
ヴァイオリンは逆です。蛍光が強いニスはコロホニウムまたは琥珀のオイルニスとなります。これにマダーレーキ顔料というのは、とても明るい蛍光を発します。
多少理屈の話ですが、これは昔蛍光灯も白熱灯もない時代の職人が色の微妙な違いに気がついていたということです。蒔絵に蛍光塗料を少しでも使えば明らかに変です。これは誰でも理解できます。16-18世紀にヴァイオリン制作家が色の微妙な違いに、いろいろな試行をしていたと思います。マダーレーキとコロホニウムオイルニスという定番は、一見魅力がありません。手間が多く、乾燥は遅く、色も地味で透明というほど透明感もありません。しかし蛍光観察からは重大なメリットがあります。

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