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人間の本質が自由であるのに、社会的束縛が起きてしまうのは何故か(Futurist note第5回)


イントロダクション

こんにちは、VARIETASのFuturistのRentaです! VARIETASは、構造的な問題によ って発生するひとりひとりを取り巻く摩擦(=フリクション)がゼロな社会(=Friction0)を実現することを目指すスタートアップ企業です。Futuristとは、目指すべき未来像を示す未来学者です。
初回のnoteで告知した通り、Futuristは「実現したい未来像」として「自由」を掲げています。そして、自由が実現される社会制度として「平等フィット」がどんなものなのか、このnoteで考察していきます。

ちなみに、平等フィットとは個性学の権威であるトッド・ローズ教授が提唱したものです。具体的には、

「平等なフィット」のもとでは、誰もがその個性に応じた最高の機会を受け取ることができる。(太字は原文ママ)1)

とされています。しかし、平等フィットは現代社会では実装されていません。そのためにFutrist noteで考察していきます。
具体的には以下のスケジュールで進めています。

  • 2023年10月 人間の本質は自然法則からの自由であり、それは社会の構成によって為される

  • 11月 自由な人間はどのように社会を構成するか

  • 12月人間の本質は自由であるにも関わらず、社会的抑圧が確認されている。それはどんなものか

  • 2024年1月 人間の本質は自由であるのに、社会的抑圧が起きてしまうのはなぜか

  • 2月 「何の平等」が平等フィットに大事なのか

  • 3月 就活への提言1(就活共通テストについて)

  • 4月 就活への提言2

  • 5月 Futuristの視点でダークホースを読み直す

Futuristとは何者なのか、どうしてこのようなスケジュールで連載するのかは、初回のnoteで詳しく書いておりますので、こちらもぜひお読みください!

上記のスケジュールの通り、今回は「人間の本質は自由であるのに、社会的束縛が起きてしまうのはなぜか」という問いに取り組みます。
前回のnoteにおいて明らかになった機会均等がもたらす社会的束縛は以下のようなものです。2)

  • 抑圧:個人の個性を表現したり活かしたりする場が用意されていないこと

    • 搾取:個々人の個性や能力が、本人の意志や好みと異なる場にあてがわれていること

    • 周辺化:個性を生かして活躍する場へのアクセスが制限されていること

    • 無力化:活躍の場を手に入れても個性の活かし方が分からなかったり裁量の問題で活かしきれないこと

    • 文化帝国主義:一様の能力や個性のみが評価され、それ以外は評価されなかったり受け入れてもらえないこと

    • 暴力:上記を通じて、個々人が個性を活かす気持ちを失うこと

  • 支配:抑圧がなくなるような場を作るための意思決定権が個々人に与えられていないこと

椅子取りゲームで例えると以下のようになります。

機会均等は椅子の数が限られており全員が座れるわけではない椅子取りゲームとなります。しかも、椅子を用意するのはプレーヤーではありません。ここで椅子に座れない人が出てきますし(周辺化)、座った椅子と自分の体格が違いすぎてかえって疲れる人も出てきます(搾取)。体格が合っていたとしても、自分の癖が出てしまって椅子では落ち着いてられない人もいるかもしれません(無力化)。そして、椅子に座れなかった人を馬鹿にする人もいればうまく座れない人を評価しない人もいるでしょう(文化帝国主義)。こんな雰囲気の悪い椅子取りゲームには参加したくなくなるかもしれません(暴力)。かといって、ゲームマスターにお願いしてルールや椅子のオーダーメイドをお願いすることもできません(支配)。3)

今回はこれらの社会的束縛の原因を探るために、以下の2つの視点を採用します。

  • 生物的な側面と社会的な側面

  • ミクロな(個人の内面に留まる)側面とマクロな(個人の内面を超える)側面

これらの視点を用いると、以下のような4つの象限が形成されます。

  • 生物的でミクロ的な側面:感情や脳の構造についての考察

  • 生物的でマクロ的な側面:コミュニケーションについての考察

  • 社会的でミクロ的な側面:思想や規範についての考察

  • 社会的でマクロ的な側面:資本主義や機会均等などの社会制度についての考察



マクロな構造を考察する理由は、空想的な革命論や単純な善悪論に陥ることを避けるためです。そのためには、マクロな構造や歴史的な変遷を理解し、それらが人間の行動によって生じていることを認識する必要があります。

一方、ミクロな側面を考察する理由は、具体的な実践を考えるためです。
生物的な側面と社会的な側面の違いは、「可変性」と「不変性」です。人間社会はある程度可変的です。その一方で、人間には本能レベルで規定されている要素も存在します。

生物的な側面は進化やバイオテクノロジーによって変化する可能性がありますが、確率論や倫理的な問題から考えると、社会的な側面よりもはるかに変化しづらいです。したがって、一旦は定数として考えることができます。

感情や脳の構造

まずはミクロで生物的な側面を見ていきます。

模倣の罠について

トッド・ローズ教授は、「模倣の罠」という概念を提唱し、人間が他者の行動を模倣する傾向について説明しています。
トッド・ローズ教授によると、模倣は以下の2つの理由から生じます。4)

  1. 世界を正しく捉えたいという欲求

  2. 社会的な恥に対する恐怖心

世界を正しく捉えたいという欲求が模倣に繋がる理由は、人間にとって世界はあまりにも複雑なため専門家や多数派の意見に従う傾向があるからです。
これ自体は正しいことも多いですし、多数派や専門家の意見が誤っていることが分かったらその都度修正していけば事足ります。

一方で、社会的な恥とは「王様は裸と主張したとして、本当は間違っていたらどうしよう…」という、周囲の目があるところで誤った判断をしてしまうことに対する不安のことを指しています。真理を知りたいという欲求と恥をかくことへの不安が合わさった場合、間違った判断をして恥をかくことを避けるために、ただ周りの判断や行動を模倣するという結果になります。

模倣の社会的束縛に繋がる側面が「罠」となります。個々人の個性や能力が本人の意志や好みと異なる場所に配置される搾取、または活躍の場を手に入れても個性の活かし方が分からない無力化につながります。というのも、椅子取りゲームの比喩で言えば、周りの人と同じ椅子に座ったとしてもその椅子が自分の体格や姿勢にフィットしているとは限らないからです。

集団への所属について

前節では「模倣の罠」の原因を世界を正しく捉えたい、集団の中で恥をかきたくないという個人的な心理に求めました。次に集団への所属と言う観点から模倣について見てみましょう。

そもそも人間には集団に所属していたいという欲求があります。そして集団に所属するために集団の規範や行動の模倣を行います。

近しいコミュニティとの結びつきを強める行動を、誰もが常にしている。服装の選択から人前での行動まで、あらゆることが特定の集団への所属証明になる。疎外感を味わいたくないから、そして外見や行動を社会的環境に合わせる重要性を理解しているから、人間は本能的に集団の規範に従う。5)

もちろん、所属したいグループに所属すること自体は良いことです。しかし、そのグループの規範と自分のアイデンティティがフィットしていない場合は、集団の規範に個人が無理やり合わせることによって神経が磨り減る可能性があります。6)

社会的束縛で言えば、集団への所属の欲求を満たすために模倣によって個性を活かす機会や気力を失う可能性があります。これは個々人が個性を活かす気持ちを失うことという意味での暴力に繋がります。

ではなぜ集団の規範に従ってしまうのでしょうか?
まず認知上の問題で、個人のアイデンティティと集団のアイデンティティの区別が困難であることが挙げられます。

実際のところ、個人的アイデンティティは社会的アイデンティティと密接に絡み合っており、脳はそれらを区別できない。実験では、被験者が自分について話すときと、最も親近感がある集団について話すときでは、脳内の同じ神経回路が活性化することがわかっている。所属したい欲求が誰にでもある理由はこれで部分的に説明できる7)

つまり、自分が所属している集団にとって良いことは自分にとっても良いことだと思い込んでしまうことを指しています。
次に心理的なインセンティブとして、排除への恐怖が挙げられます。

社会的孤立には生物としての恐怖がともなう。孤立は排斥されるよりも見えにくいところで緩慢に進行し、精神も肉体も強く蝕む。8)

逆に言うと、個々人は集団に所属出来ていると心理的には充実します。
個人が集団への所属感を強めることは集団そのものにもメリットがあります。というのも、個人が集団への所属にとって自己肯定感を高めることによって集団の影響力が高まっていくからです。9)

最後に生物学的な制約として脳のキャパシティがあります。人間は非常に発達した脳を持っていますが、脳が物理的なものである限り処理能力に限界があります。
処理能力に限界があるので、すべての判断を同じ集中力で行うことは出来ません。脳の処理能力の限界が社会的に定まった規範やルールへ従うことを要請します。というのも、規範やルールは最初から定まっているもので、他人も従っているので模倣しやすい性質を持っているからです。10)

例えば、ビジネスの場ではスーツを着用することが一般的な規範となっています。これは、プロフェッショナルな印象を与え、相手に敬意を示すための社会的なルールです。この規範は最初から存在し、多くの人々がそれに従っています。したがって、新入社員などは、自分がどのように服装をすれば良いかを迷うことなく、周囲の人々がスーツを着ているのを見て、自分もスーツを着ることを選びます。これは、規範やルールが模倣しやすい性質を持っているからです。

しかし、この規範が全ての人にとって最適な選択であるとは限りません。例えば、一部の人々はフォーマルな服装が苦手で、自分の個性を表現するためにカジュアルな服装を好むかもしれません。このような場合、社会的な規範に従うことで、個々の個性や好みが抑圧される可能性があります。

コミュニケーション

ここまでは、感情や脳の構造の考察を通して社会的束縛が生まれる理由を考察してきました。
この節では、人間のコミュニケーションがもたらす心理的効果と社会的束縛の繋がりについて考察します。
心理学的側面から説明されるものとしては、「自己不一致」という概念をトッド・ローズ教授は挙げています。「自己不一致」とは、本当の自分自身を偽りなく表現することが出来ていない状態を指します。

その典型としては、SNSにおける発信が挙げられます。
以下の引用はトッド・ローズ教授がアメリカ社会を観察したものですが、私たちにも当てはまると思います。

現代アメリカでは、自己不一致が奨励されている。不誠実と冷笑が基本的態度であり、見知らぬ人にもリーダーにも本当のことは期待しない。正直者はバカとか世間知らずと見られるので、より誠実に接したいと思っても、批判を受ける怖さが先に立つ。そして、本音をはっきり言わずに、他者にどう見られるかを気にする。「印象操作」は、ソーシャルメディアからの特別な贈り物だ。インスタグラムのユーザーが、現実の生活ではないと自覚しつつ、そう装っているのを考えればわかるだろう。認めたくない人もいるかもしれないが、今の私たちの人生は小さな嘘と偽善、見せかけがちりばめられているのだ。11)

つまり、SNSに向けて表現している内容は承認や所属の欲求を満たすものになっていて、個人に特有の欲求とは一致していないことがあるということです。

言い換えれば、自分の信念(個人に特有の欲求)と実際の行動(SNSにおける発信)が一致してないことを、自己不一致と言います。
自己不一致においては思考と行動が一致していない状態です。このような状態はストレスなので、個人は何とか自己不一致を解消しようとします。
そのためには信念か行動のどちらかを変えることになります。SNSの例で言うと、もう発信をしてしまっているので、自分の信念(アイデンティティや欲求)への認識を変更することになります。12)
そして信念と異なる行動が再生産されることによって自己不一致がループするのです。

自己不一致を促進する要因として他者との信頼の欠如が挙げられます。
ここで大事なのは、他者への信頼の欠如は自分への信頼の欠如から生じていることです。
というのも、何らかの理由で「自分は信頼に値しない」と考えていると、そんな自分に関わる人間は自分を騙したり利用したりすることを狙っているに違いないと考えてしまうのです。13)

極論すれば、現代社会は相互不信の状態にあると言えます(もちろん相手や状況によります)。
相互不信の状態にあると、自分の判断や行動を信頼してくれる人がいないと思い込んでしまいます。これは個性を活かす機会を得られないという意味での周辺化に陥っていると言えます。

個人レベルでは、不信バイアスは自己の分裂を加速させもする。他者への不信により、模倣、所属、沈黙という罠に陥りやすくなるからだ。仲間内のプレッシャーと陰謀論に影響されやすくなり、自己一致はきわめて困難になる。不信は人間関係を傷つけ、不安とストレスを悪化させる。また、警戒心と怒りを煽り、柔軟性を失わせることで、明晰な思考を妨げる。このような状態の人々が社会にあふれたときのダメージは測り知れない。14)

ここまで心理学的な側面からの説明を行ってきたのでまとめてみます。
トッド・ローズ教授の「模倣の罠」は、他者の行動を模倣することによる弊害を指した概念です。模倣の動機は、世界を正しく理解したいという欲求と、社会的な恥を避けたいという恐怖から生じます。しかし、この模倣は個々の個性や能力が本人の意志や好みと異なる場所に配置される搾取や、個性の活かし方が分からない無力化につながる可能性があります。

また、人間には集団に所属したいという欲求があり、そのために集団の規範や行動の模倣を行います。しかし、その規範が自分のアイデンティティと合わない場合、心理的に消耗してしまいます。集団の模倣は、個人の規範の集団の規範の区別が困難であること、排除への恐怖、脳の処理能力の限界による規範への依存が挙げられます。

最後に、現代社会は相互不信の状態にあり、自分の判断や行動を信頼してくれる人がいないと思い込むことがあります。これは個性を活かす機会を得られないという意味での周辺化やその気力を失うという意味での暴力に繋がっていると言えます。

ここまでは、心理学の知見を活かして社会的束縛の原因を見てきました。
しかしこれだけではある意味でいつの時代でも言えることです。
平等フィットが機会均等に代わる社会制度であることを考えると、現代社会の文脈に沿った考察が書かせません。そこで、ここからはどんな規範が現代社会では支配的なのか、そのような規範を生んだ環境はどんなものか、ということを考察します。
そして、まとめのパートでは4象限を接続した説明を試みます。

規範

規範は実質上の選択肢を限定することによって、脳の処理にかかる負荷を減少させるという役割があります。
それでは、規範によって社会を構成する際の罠はどんなものでしょうか?

規範による社会構成とその批判

規範の罠をアイリス・ヤングの議論から紹介します。アイリス・ヤングは、近代ヨーロッパから始まった理性的な主体が社会を担うべきだという議論を批判します。なぜならその議論は人間の多様な側面を無視して、理性だけを打ち出して理想化し、。そして、理性に対しての感情や欲望を劣位に置き、理性的ではない人達を無意識に見下す文化的帝国主義に陥っているのではないかと考えているからです。15)

また、アイリス・ヤングは、理性の提唱者たちのように社会構想を行う際に普遍的な人間像を想定すると必ずあぶれてしまう人が生まれると指摘します。

人間の普遍的な基準を構想することによって、多様な人々を統合しようとする営みをアイリス・ヤングはアイデンティティの論理と呼んでいます。16)
しかし、アイデンティティの論理はしばしば失敗してしまいます。なぜならば、いくら普遍的だと思われる基準を持ち出しても、人間の多様性を抹消することはできないからです。

普遍的な人間像を想定することはまず難しいのにそのような想定をしてしまうと、その「普遍的な人間」に合う者と合わない者に二分されてしまいます。しかし、そもそも普遍的な人間像はバラバラなものを統合するために編み出されたものです。17)

人間としての統合を保つために、普遍的な基準にそぐわない者は、その集団から不可視化されたり見下されたりします。アイデンティティの罠が規範による社会構成の罠です。
平等フィットと相いれない規範としては能力主義を挙げることが出来ます。

能力主義

この規範はジョン・ロックという啓蒙時代の哲学者による所有論に遡ることが出来るでしょう。
ジョン・ロックは自分の身体は自分が所有しているという前提から始めます。そして労働を価値の創造と考えました。

ここから、誰のものでもない土地に対して労働という形で働きかけた結果、その土地は所有が可能です。なぜなら、そもそも自分が所有している身体が労働を通して誰の物でもない土地に「混ざっている」からです。18)

この「労働=価値創造→所有の発生」という図式のロジックを推し進めると、あらゆる資源は、競争を通してより大きな価値を創出できるであろう者に所有されるべき、という結果になります。

ジョン・ロックは、一応はブルジョア階級の所有権を国家に対して擁護したとされています。
しかし、その立論は労働者でも身体を所有しているので適用が可能であるはずです。なぜなら資本主義では他人の身体の所有=奴隷制は許されていないからです。現代では労働時間は8時間にまで制限されており、24時間365日丸ごと雇用者に売り渡すわけではありません。

ジョン・ロックの立論を現代に適用すると能力主義という形で現れます。
以下の引用は、現代正義論の大家であるマイケル・サンデル教授は能力主義について以下のように述べています。

競争の激しいグローバリゼーションの時代で、トップに立った人たちは、自分の成功は自分自身の手柄であり、であるがゆえに、自分は市場からもたらされる利益を受けるに値する存在だと感じるようになりました。そして、勝者はこのように考えるようになります。取り残された人々、苦労している人々も同様に、そうなるべくしてなったのだと。これが能力主義の非常に冷酷な側面だといえます。そもそも論でいえば、能力主義は原理的には崇高な理想と言えます。チャンスが平等であるならば、勝者は勝ちに値するのだというのですから。19)

ジョン・ロック的に言うと、現代の私たちは同じ身体を所有しているので機会は平等です。よって、競争によって社会の資源に働きかけて得た果実は勝者が所有することが正当化される、ということです。

世の中には様々な人間がいますが、能力主義という規範に基づいた競争を行うことで、何とか選ぶ側の選択肢を減らそうとしているという状態です。
もちろん、競争自体は社会全体の生産性や創造性に繋がりますが、上に引用したマイケル・サンデル教授の批判のように、能力主義は文化的帝国主義を生み出します。ここでも、アイデンティティの論理(普遍的な基準がこぼれ落ちた人達の阻害)が発生しているのです。
では、このような規範に合致した社会構造はどのようなものなのでしょうか。
そこで、資本主義論や機会均等論を参照します。

社会構造

資本主義論はたくさんありますが、特にマクロな社会構造に着目したものとして世界システム論が挙げられます。
世界システム論者の1人であるジェイソン・ムーアによると、資本主義は以下のような特徴をもつとされています。

文明としての資本主義においてもまた人間は、(人間を含む)さまざまなモノの束ね合わせを自身のためにはたらかせ、エネルギーを掬い取って生存をはかる。資本主義に顕著な特徴であるのは、その際に掬い取ったさまざまなモノのはたらき/エネルギーに対して、できるだけ対価を支払わないようにすることを体系的に追求する点にある20)

環境破壊が非常にわかりやすい例です。資本主義は自然から資源や食糧を調達しないと持続できません。しかし、環境破壊は近年になるまで本格的に論じられてきませんでした。

なぜこのような行為が可能になったというと、近代において「人間=主体」「自然=客体」という図式が成立したからです。
ジョン・ロックの所有権論もその流れにあると考えられます。土地(自然)はあくまでも人間(主体)に働きかけられる客体です。
何が人間で何が自然なのかという線引きははその時々によって移り変わってきました。
その自然には労働力としての人間も含まれています。

「安価な自然」は、収奪可能なものを「自然」と名指しつつ創り出すことにほかならない。このとき「自然」とは、主体としての人間と存在論的に対置された客体としての「自然」であり、その収奪は、まさに人間によって「自然」と名指されることではじめて正当化される。(中略)歴史に根差して考えるならば、特定のカテゴリーの(生物学的な意味での)人間を「自然」の側に置くことで収奪可能なモノ、すなわち「安価な自然」のひとつとしての「安価な労働力」としてきたことを無視することはできない21)

さらに、収奪対象だった有色人種や女性が労働市場に導入されることによって、元々自然側だった者たちが人間側に入るようになってきたのがここ数百年の流れだということができます。22)

どういうことかというと、成人男性のみが対象だった人権の対象がどんどん広がったということです。また、就業の機会も開かれていきます。そもそも競争に参加する権利が平等に与えられること自体は歓迎すべき流れだと言えます。
しかし、資本主義によって人間の”量的拡大”が促された側面から、元々の人間側だった「理性的な主体」こそが普遍的な人間像だと想定されてしまったのではないでしょうか。

アイリス・ヤングが述べたように、人間は実際のところは多様であるため普遍的な人間像を想定するアイデンティティの論理は基本的に失敗します。
資本主義形態の変遷を通してこの側面を見ていきましょう。現代の資本主義の形態はポストフォーディズムだと考えられています。ということは、そもそもフォーディズムが存在したということです。
フォーディズムとはT型フォードの生産工場で採用された方法が大元になっています。

自動車で有名なフォード社は、フレデリック・テイラーが提唱した労働者の科学的管理と分業体制の徹底によって生産を効率化しました。生産性の向上に伴って賃金も上昇させるのがフォーディズムの特徴です。賃金が上昇すると消費市場は拡大するので、フォード車の売り上げも伸びます。この好循環を狙ったものがフォーディズムです。23)

フォーディズムを可能にするためには均一的な人間が必要です。生産過程がすべて管理されているので、個性などというものが発揮されては困るからです。

フォーディズムがある程度の経済的安定をもたらしたとはいえ、より創造的な労働を行いたいという労働者側の要請と、より柔軟な雇用を要求する資本側の要請によって、ポストフォーディズムに移行します。ポストフォーディズムの特徴は、フレキシブルな多品種少量生産体制、ホワイトカラー職の増大、女性の労働市場進出などがあります。24)

現代はポストフォーディズムだと言えますが、FuturistのRentaからするとポストフォーディズムの徹底化が足りないと言えます。
その理由として

  • 教育制度がフォーディズム時代に構築したものを採用している(機会均等)

  • 普遍的な人間像(機会均等の競争に勝てる人材)を想定しているので、結局は多様な人間のポイテンシャルを見逃してしまう

足りないのは人間の”量的拡大”ではなく、”質的多元化”だと言うことです。
この文脈で機会均等を批判したのが以下の引用です。Schaarはアメリカの政治学者を指しています。

Schaarは機会均等原則を、より高い評価を求めることを唯一の動機とみる動機づけの狭隘な理論と、人間を能力の束ないし機能をはたす道具とみる人間および社会についての貧しい概念に拠るものと批判したのであった。Schaarによれば、機会均等原則は競争社会の産物であり、自由競争という市場原理の意識を全社会領域へと拡張するものであり、不平等になる権利と機械の平等であり、上昇志向をかきたてることで社会の基本小僧から派生する不平等に対する連帯した抵抗を解体させ、エリート主義・官僚主義的少数支配の体制を正当化するものであった。25)

言い換えれば、人間を能力の束として見ている時点で多様な側面を無視してしまっているし、アイデンティティの論理に嵌ってしまっています。現代の教育制度は一般的に、一定の知識やスキルを身につけ、一定の試験に合格することを求めます。これは、「知識を持ち、理論的に問題を解決できる人間」が「普遍的な人間像」であるという想定に基づいています。しかし、この基準に合致しない者、例えば実践的なスキルに長けているが試験には弱い者や、創造的な思考が得意だが一般的な教科書の知識には興味がない者などは、教育制度から見落とされがちです。

このような状況は、アイデンティティの論理が働いている例と言えます。つまり、一定の「普遍的な人間像」に合致しない者は、その社会制度(この場合は教育制度)から排除され、その結果としてその人々の多様性や個性が見過ごされてしまうのです。

まとめ

最後にまとめとして、4つの象限を接続しながらまとめます。

人間は世界を正しく捉えたいという欲求、集団の中で恥をかくことに対する不安を持っています。その不安を解消するために、他者の行動を模倣したり、社会規範を求めたりします。よって社会規範に従うことで多数派になると、心理的に快感を感じるのです。

その一方で、人間は多様な側面を持っているため集団と個人のアイデンティティが完全一致することはまずありません。この不一致は個々人の個性や能力が本人の意志や好みと異なる場所に配置されるという意味での搾取、または活躍の場を手に入れても個性の活かし方が分からないという意味での無力化につながります。

集団と個人のアイデンティティの不一致を引き起こすのは相互不信です。排除の恐怖から集団の規範に無理やり従うことによって相互不信が発生します。自分が信頼に値しないと感じると、他人も自分に誠実に接してくれないと考えがちです。その結果、他人を信用できなくなります。
これは個性を活かす機会を得られないという意味での周辺化に陥っていると言えます。

そして、このような状況が続くと、誰もがおかしいと思っている社会規範が破られずに存続します。つまり、社会規範は個々の不安や不信感を緩和するための手段であり、それ自体が問題を引き起こす可能性があるにもかかわらず、それが存在し続ける理由となります。

社会的側面に接続すると、資本主義や機会均等における果実の占有を正統化するために、能力主義が存在します。この論理において、競争がおかしいと主張してエネルギーを消費するよりも、競争に勝つために努力する方が個人としては合理的です。なぜならば、アイデンティティの論理が発動し、「競争を効率よくこなす理性的な人間」が普遍的な人間像として想定されているからです。つまり、文化的帝国主義によって理性的で競争に勝てる個人「のみ」が理想化されているのです。

そして、社会的な側面は生物的な側面にフィードバックします。競争に向かう資本主義によって、相互不信が生じます。みんなが競争を望んでいる一方で、自分は競争を望んでいないが、勝たなければ生き残れないと感じます。そして、「競争をやめよう」と提案している人々さえも、自分を出し抜こうとしているように見えます。これにより、誰もが問題だと感じている社会規範が破られずに存続する状況が生まれます。これは支配が起きていると言えます。なぜならば、個性を活かす社会制度をなくすための意思決定権が実質上失われているからです。

今回のnoteで発見された社会的束縛を解決するために平等フィットとはどんなものかを次回以降論じていきます。最後までお読みいただきありがとうございました!

出典

  1. トッド・ローズ、オギー・オーガス. Dark Horse(ダークホース) 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代. 三笠書房. 2021. p.284

  2. サマリー:人間の本質は自由であるにも関わらず、社会的抑圧が確認されている。それはどんなものか(Futurist note第4回), VARIETAS, note https://note.com/varietas_iverse/n/n806ccd1f1784

  3. 同2

  4. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.35-36

  5. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.67

  6. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.88

  7. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.71

  8. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.99-100

  9. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.100

  10. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.170

  11. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.223

  12. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.224

  13. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.256-257

  14. トッド・ローズ、なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術. NHK出版.2023.p.257

  15. Iris, Marion, Young, Justice and Politics of Difference, Prinston University Press, 2011. p.110

  16. Iris, Marion, Young, Justice and Politics of Difference, Prinston University Press, 2011. p.99

  17. 同20

  18. 山下範久.資本主義にとっての有限性と所有の問題. 岸政彦/梶谷懐 編著.所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源-.中央公論新社.p.11

  19. HUFFPOST「能力主義」はなぜしんどい? マイケル・サンデル教授と平野啓一郎さんが語る日本社会の問題. https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6163f87ae4b0196444269c00

  20. 山下範久.資本主義にとっての有限性と所有の問題. 岸政彦/梶谷懐 編著.所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源-.中央公論新社.p.19-20

  21. 山下範久.資本主義にとっての有限性と所有の問題. 岸政彦/梶谷懐 編著.所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源-.中央公論新社.p.25

  22. 山下範久.資本主義にとっての有限性と所有の問題. 岸政彦/梶谷懐 編著.所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源-.中央公論新社.p.26

  23. 山下範久.資本主義にとっての有限性と所有の問題. 岸政彦/梶谷懐 編著.所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源-.中央公論新社.p.27

  24. 山下範久.資本主義にとっての有限性と所有の問題. 岸政彦/梶谷懐 編著.所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源-.中央公論新社.p.27-28

  25. 黒崎勲. 教育の機会均等原則の再検討. 2009

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