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サマリー:人間の本質は自然法則からの自由であり、それは社会の構成によってなされる(Futurist note第2回)


1.0イントロダクション

こんにちは、VARIETASのFuturistのRentaです! VARIETASは、構造的な問題によって発生するひとりひとりを取り巻く摩擦(=フリクション)がゼロな社会(=Friction0)を実現することを目指すスタートアップ企業です。Futuristとは、目指すべき未来像を示す未来学者です。

今回は、以前に公開したFuturist note第二回のサマリーです。
サマリーですので、10月のテーマである「人間の本質は自然法則からの自由であり、それは社会の構成によってなされる」という世界観を伝えることを主としています。

自由以外に人間の本質があるのではないか?自由の概念はたくさんあるけど、その比較検討は?という疑問点が出てきた方は、ぜひ本編をお読みください!


前回のnoteで告知した通り、Futuristは「実現したい未来像」として「自由」を掲げています。

そこで、このサマリーではFuturistが考える自由とはどんなものなのかを提示します。

2.0自由とは何を指すのか

自由という言葉には様々な定義やイメージが当てはまり、文脈によっては正反対な意味を持つことがあります。FuturistのRentaが考える自由は示しておくと、「現実には色々な制限があるけれども、その中で自分のやりたいように選択ができること」を指します。

自由にとって欲望の成就が重要ですが、様々な理由である程度の制限は受けます。たとえ、長者番付でトップになろうとも自分の身体から自由になることはできませんし、精神を電子バンクにアップロードするプロジェクトもあるが、やはりある程度の制限は受けることになります。そのようなことが出来るお金持ちはマイノリティなので、世の中のマジョリティはもっと制限されていることが多いはずです。

しかし、私たちはそれでも自由を感じることがあります。例えば、志望校に合格した後の束の間の春休みや、ずっとやりたかったプロジェクトに任命された時の高揚感だ。もちろん、よくよく考えればこのタイミングでも私たちは何らかの形で制限されています。
そんな中でも自由を感じられている状況を一般化した形で言い換えたものを引用します。

わたしたちは、確かに常に諸規定性の中に投げ入れられている。しかしその上で、それでもなお「規定されていない」と感じられる時がある。わたしたちが「自由」を十全に実感するのは、その時だ。1)

ここの規定と言うのは制限と言い換えて差し支えないです。引用元の著者は19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルの自由論をもとに議論を展開しています。ヘーゲルも欲望の成就を重要視したものの、すべての欲望を叶えることの不可能さや、他者の破壊に行き着いてしまうことに気づいていたはずです。
それでは、ヘーゲルを通してわかる自由の本質とは何か。 それは、「諸規定性における選択・決定可能性」です。

諸規定性の中にあって、わたしたちはなお、選択・決定可能性を感じることができる。「自由」の本質は、ここに存する。「自由」とは、諸規定性から完全に解放されているということをいうのではなく、ヘーゲルの用語を使ってわたしなりにいい換えるなら、「諸規定性における選択・決定可能性」のうちにあるものなのだ。2)

つまり自由とは「諸規定性の中で成就したい欲望を選択し、そこに向かって実現可能なアクションができること」を指します。

3.0自由の幸福論的な検討と現実社会の問題点

最後に、上で見出した人間の本質としての自由は本当に幸福につながるのか検討します。

というのも、自由が幸福につながるものでなければ平等フィットの中に実装しても参加する人は少ないはずだからです。
古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスは、幸福を「人間に固有の働き」を成し遂げることだと述べています。3)
そして、アリストテレスにとっては人間に固有な機能とはロゴス(思考)でした。

そして、思考が機能だということはそれには何か目的があるはずです。
生存に必要なこと(例えば、食事や睡眠など)は本能が覚えているはずです。また、自律神経やホルモンの作用によって勝手に調整されることでもあるので、生存に必要なことを成し遂げるために思考があるとは考えづらいでしょう。

人間としての幸福について考えた19世紀イギリスの哲学者であるJ.S.ミルは、アリストテレスを参考にしつつ、
思考を通して個性に合うように活動することが幸福につながると考えました。)4

言い換えれば、人間に固有の働きであるロゴスを成し遂げた結果欲望が叶うから幸福につながるということです。

ここで、自由とは「諸規定性の中で成就したい欲望を選択し、そこに向かって実現可能なアクションを取れること」を指すので、自由を突き詰めた結果幸福につながると考えることができます。
1人1人欲望は異なるので、「自ら進んで自分自身の生活を営む」ということは、それぞれの欲望を叶えることを意味します。
ということは、以下のことが言えます。

本人に関わる事柄に対して、選択の余地を与えない社会には、個人一人ひとりにとってのキャラクターが形成されることができない。従って、そのように、人々に選択の余地を与えない場合には、人々に活力にかけた状態に陥れ、更に、彼らから生き甲斐と人として生きる意義を奪うこととなる。5)

人間は社会を構成することによって自由を獲得していますが、その社会が人間の自由を奪うべきではないということです。

まとめ

人間は自然の法則から逃れられているから自由なのです。そしてそれは、
文化やイノベーションによって促進されます。それには社会の構成が不可欠です。なぜなら、様々な欲望を満たすことができる選択肢は社会によって生まれるからです(様々な欲望が社会から生まれているところもありますが)。となると、上の引用のように個人の選択を阻むような社会は矛盾します。

なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか?
一般化すれば、人間の本質は自由であるのになぜ社会的抑圧が生まれてしまうのか?という問いが生まれます。この問いは数回に分けて考察が必要なものだと思います。

そこで、次回のnoteはその予備的考察として、人間はどのようして社会を構成するのか見ていきます。
最後までお読みいただきありがとうございました!


出典
1)苫野 一徳、自由はいかにして可能か. NHK出版.2014.p.77
2)同1)
3)香 春. ”個人と社会の関係性における自由について―ミルの『自由論』に関するアリストテレス的考察―”.名古屋大学大学院人文学研究科編『人文学論集』.2021
4)同3)
5)同3)

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