紅葉の季節に結婚するということ

明日、僕達は婚姻届を提出し夫婦になる。
10月21日、交際からちょうど一年。

結婚するということについて、改めて考える。


昨年のこと。
残暑が遠のき、ようやく紅く色づいてきた木の葉を冷たい初秋の風が揺らしていた頃。遠い北の大地で僕は運命の人と出会った。
大袈裟に言ってしまえば、出会う前から決して小さくない運命を感じてはいたけれど、その日彼女と出会ったとき、そしてとても愛おしいかけがえのない四日間を共に過ごした中で、それは大きな確信に変わった。
彼女とこの先ずっと一緒に居たい。
まるで中学生の恋愛のように初々しいこの想いは、老いることなく日に日に強さを増していき、一年経った今でも衰えを知らない。
四日間を過ごしたのち、いつしかその募る想いは具体性を持ち始め、北と南で約900kmを隔てるこの遠く離れた距離を縮めたいと考えるに至る。それはつまり僕か彼女のどちらかが、生来育った地を離れて、遠く見知らぬ街に移り住むという事に他ならない。
僕はこの頃ちょうど仕事が転機を迎えこの地を離れるというわけにもいかず、一方の彼女は口癖のように「仕事を辞めたい」と言っていた。
そうしていつしか
“まだいつかはわからないけれど、近い将来彼女がこちらへ来れたらいいな。”
というところまで話は進んでいた。それはもちろんその先に「結婚」という二文字を見据えての話であった。

しかしこうなると僕の胸の内にはある一つの見過ごせない大きな問題が芽生える。
今ある仕事を辞め、見知らぬ街に向かって900kmというこのあまりにも遠い距離を彼女がやってくる。何か不測の事態があったときにすぐに地元に帰ることもままならなければ、これまで共に過ごしてきた友人や家族とも離れる事になる。
そのとき、その決断に、いったいどれほどの勇気がいるのか。それは僕が経験した事のない決断だからこそ、とても大きな不安を孕み、覚悟を要するものに思えた。
ならば、と僕はここである決断をする事にした。彼女が大きな覚悟を迫られる事になる以上、僕もそれに応える覚悟を示さなければならない。
その決断とはつまり婚約、プロポーズである。こうしてまだ会って間もないどころか1ヶ月すら経っていない彼女に、僕は二度目に会う事になる年末の12月31日、プロポーズをする事に決めた。
一般に同棲からの結婚という流れがある種当然だと思われている節もあるが、僕は過去の経験からそれを忌避していたし、せいぜい電車に乗って2時間ちょっとくらいの距離ならばそれも考慮のうちだったかもしれないが、ことは900km、海を隔て、なんだったら隣国くらいの距離がある転職を伴う引っ越しとなると話は別だ。
同棲からの結婚ではなく、同棲と結婚を同時に。なんなら結婚をしてからの同棲。そう、これは彼女と一緒に暮らすための結婚である。

結婚。それはつまりお互いの人生に責任を持つという事。人生良いときもあれば悪いときもあるだろう。それでも僕はそんな彼女の人生の一番側にいたいと思った。僕の人生の一番側にいてほしいと願った。それだけの覚悟と責任を、僕はプロポーズという形で彼女に示す事にした。

そこからの行動は烈火の如く、そして素早く、覚悟を形で示す為の指輪を探した。彼女の好みとサイズをリサーチし、その上で彼女に贈りたいと思える指輪を見つける為、まるで屈強な二人のボディーガードに阻まれているのではなかろうかという入りづらさを店構えから醸し出すブライダルジュエリーショップを巡った。
中に入ってしまえばそんな威圧感漂う店構えからは想像もできないほど歓迎ムードの店員さんと、あれやこれやと一店舗二時間以上を費やしてデザインを選考した。事前に調べたものや、イメージを伝えて店員さんにチョイスしてもらった物の中からなんとか最終候補を二つに絞った。ひとまずその日は店を後にし、一週間どちらの指輪にするか悩みに悩んだ。
一生ものであり、決して高くはない買い物でもある。なにより値段以上の「意味」がある贈り物。
悩みに悩んだ末選んだのは、より僕の第一印象が「優しかった」店とデザイン。そしてRayという僕らを結んでくれた思い出の曲のイメージとも繋がる、七色の輝きがハッキリした光芒を放つダイヤが印象的な指輪だった。
リングの内側にはプロポーズの予定日を刻んだが、これはこの日に絶対渡すのだという決意の表明でもあった。
そしてダイヤの側面にも顕微鏡でないと見れないレベルの文字が彫れるとの事だったので、ちょっぴり恥ずかしい文字を刻み、より「意味」を持たせる。たとえ見えなくても、そこに刻まれているという事はきっと指輪を見るたびに思い出してもらえるはずだ。

成約後、出来上がるのには約一ヶ月半を要し、今か今かと待ち構えながら、年末の旅行日前日についに受け取った。

年末の旅行は三泊四日の旅程となる。
一日目には僕の友人達への紹介を兼ねた飲み会があり、二日目には鎌倉で社寺巡りと貸し切り温泉デート。そしてこの二日目が12月30日であり、僕がプロポーズをすると決めたのがこの日の深夜0時日付が変わり大晦日となった時。
お互いにとって人生のどん底のような「隠」の空気に包まれつつも、少しずつそこから抜け出そうと歩み始めた一年の締めくくりに、最大限の「陽」の思い出をもってくる。これが僕がこのプロポーズと指輪に込めた最後の「意味」でもあった。

そして、当初頭の中で予定していたロマンあるシチュエーションとは全く異なる状況の中、ホテルの一室にて、ついにその時はやってきた。
2019年12月31日。
ポケットに指輪を忍ばせながら何度も折れそうになる心をなんとか引き摺り、もはやここで逃したら終わりだぞというところまで引き摺ったあと、今思えばあまりにも不格好なシチュエーションで僕は彼女に声をかけ、「結婚」という言葉をやっとの思いで声に出し、箱を開けて彼女にたくさんの意味を込めた指輪を見せた。

彼女の第一声は「はぁ!?」という可憐さの欠片も無い太い一言でこっちまで驚いたが、そこから10分くらい時間が静止したかのようにフリーズした後、なんとか無事にその細くて綺麗な左手の薬指に指輪を嵌める事ができたのだった。
たくさんの意味を込めた、あまりにも重い指輪だったかもしれない。それでも、そうだったからこそ、きっとここから歩む彼女の選択の重さに応えられたのだと、僕は心の内でそっと考える。


結婚するという事について改めて考える。
それは、これから先死ぬまで一緒に歩むという事。彼女の人生に責任を持つという事。気持ちの繋がりだけではない形式的な繋がりをお互いに持てるという事。
なによりやっぱり、泣いたり笑ったりするとき一番側に居れるという事。

僕はこれから、彼女の為に生きる。
いつだって妻を持つ夫として行動する。
彼女の幸せが僕にとっての幸せだから。

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