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故・お姉ちゃんのこと〜うら編

今日は姉の命日。荒れ模様だった空はちょっと晴れてきた。
きのう姉の人生について書いていたら、イヤなことも諸々思い出した。

あの頃どう思ってたの?とか、私はこう感じてたんだよ。とか、話したくても話せない。知りたくても知る方法がもうない。
逃げちゃうなんて、やっぱりヒドい。。。

物心ついた頃から、私は姉の嫉妬を全身に浴びてたと思う。姉妹にはよくあることだろう。
けど晩年、年老いた母から聞いたことがある。
「T子(姉)は最初の子だから夫の家の子、お兄ちゃんは男の子だから夫の家の子、3人目のK子だけは私だけの子として育てようと思ったの。K子には言っておく。」って。
それって、、、
不仲由来のえこひーきじゃねーか。
そんなことも知らずにのほほんと生きていた私は、そりゃ長女から強烈に妬まれもするだろう。

で、姉からだいぶ理不尽にいじめられていたようだけどほとんど覚えてない。覚えてないクセに何でそう思うかというと、姉への恨みつらみをノートに書き綴って死のうと思ったことだけ覚えてるから。
小学校の高学年か中学生だったと思う。
書いたノートを机の上に広げて置き、近所の11階建ての団地へ行って最上階の柵から飛び降りようと思って足を掛けて怖くなって走って帰ってきてノートを破り捨てた。
幸い誰にも見つからなかった。
もし死んでたら、ものすごく陰湿な仕返しである。怖がりさんで良かった。団地にも大迷惑だし。
いまでも時々、あの片足を掛けて見下ろした景色と気持ちはフラッシュバックする。でもノートに書いた内容は思い出せない。

大人になって結婚して、姉から手紙が届いた時。
封筒に「◯◯ブス子様」(◯◯のとこは実名)と宛名書きされてたりした。郵便配達員さんが見るところに「ブス子」って。
何度もそんなことがあった。悪い冗談なのか悪意なのか、真意が掴めないままモヤモヤしたものだった。別にいーけど気分良くはなかった。

あと、確か高校生くらいの頃、母はこんなことも言っていたな。
「T子はアスファルト、K子はどろんこ道みたいね。アスファルトは強くて丈夫だけど水を受け付けないから木や草は育たない。どろんこは雨が降ればぬかるんでしまうけど、植物が育ち木陰を作り場を癒す。」と。
私はその時好意的に受け取ってしまったけど、姉はどう思ったろう?
もし彼女が必死に鎧を身につけていて、本当は全然強くなんかなかったら??ずーっと我慢して誤魔化して生きていたとしたら???理解され包まれて安心できる日をそおっと夢見続けていたとしたら????愛に飢えてただ強いねって褒められるためだけに強さを装っていたとしたら?????

ねぇ、本当はどうだったの?
一度でも、あなたを心から理解する人はいたの?
安心できる日はあったの?

どこにも答えはない。。。。。。。

あ。。。
「うら編」はブラックなことを書こうと思ってたけど悲しくなってきたからやめた。
その内また整理がついたら書くかもしれない。書かないかもしれない。書こうとしてやめるかも。

これは大事な宿題だなぁ。
あーぁ。。。

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