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漢字っておもしろい〜訓読み編〜

日本語が大好きだ。

理由はいくつもあるけれど、やはり漢字と訓読みがあるのが日本語の特徴であり魅力であると思う。そして、その訓読みが多様であり多用であることもまた、ついつい辞書を引きたくなるほど惹かれる理由だ。

さて今日は、同じ漢字をあてがってその訓読みが変わることで意味合いが少し変わる漢字を紹介しようと思う。なお、学者等ではないので完全に私のイメージで語っている。シリーズ化する気もない。


包まる↔包まれる

「くるまる」と「つつまれる」
(「くるむ」と「つつむ」の受身)

毛布に包まる、多幸感に包まれる。などなど。

コアイメージは、何かを覆われる、取り囲まれるというもの。

「くるまる」は、自分で何かに覆われるように行動している状態で、自発的で望んでその状態になっているイメージがある。

「つつまれる」は、そこに意思は介在せず自動的に取り囲まれている状態のイメージである。

例えば、香りにくるまるのは、香水を自分に振りまいて、なりたい自分に近づこうとするような力強さを感じるが、香りにつつまれるのは、花畑を歩いていて偶然その香りが周囲にただようようなイメージとなる。

〈用例〉
あなたの匂いが残るこのタオルケットに包まって眠ると、あなたに包まれているような気がするのです。



剥く↔剥ぐ

「むく」と「はぐ」

皮を剥く、身ぐるみを剥ぐ。なんてのがパッと思いつくかと思う。

どちらも他動詞であり、対象が必要になる言葉だ。誰の何をむくorはぐのかが明確でないとこの言葉は使えない。

コアイメージは、取り払われる外側とそれに覆われていた内側が存在しているということ。

「むく」というのはその内側にフォーカスしている言葉だ。そして、ポジティブなイメージをそこに内包している。例えば、みかんの皮をむくのは、中にある果肉を食べるためだ。一皮剥けたという慣用句は、成長を遂げた=質がよくなったという意味になる。

一方、「はぐ」はというと、剥ぎ取るなんて言葉もある通り、強制されるようなイメージやメッキが剥げるなどのネガティブなイメージを持ちやすい。これは、本当は隠しておきたい内側が、外側が取られることにより露呈するようなイメージとなる。(とはいえ、剥がれることによって現れた内側が恥ずべきものであるとは限らないし、自分の涙を吸って重くなっている着衣に気づかないで苦しんでいる人の服を無理矢理に剥ぎ取る場合なんかには、荒々しくも優しいイメージがそこにはある気がする。)
あとは、取り払った外側が捨てていい、要らないものである時なんかには剥ぐのほうが合う。

〈用例〉
あいつが俺のお人好しの仮面を剥ぎ取ってくれたから、周囲が目を剥くほど成長できた。


雪ぐ↔雪ぐ

「すすぐ」と「そそぐ」

送り仮名だけでは判別ができない。前後の文脈とどちらかを判断する必要がある。

コアイメージはどちらも液体が流れ動くような感じ。

「すすぐ」は、洗濯機もすすぎ機能や口をすすぐという表現がイメージしやすい。一度、液体を閉じ込めて流動させることにより汚れ等を流す行為。「そそぐ」は、同じく液体で汚れ等を流すけれど、液体をかけ流すようなイメージとなる。

〈用例〉
口をすすぐのが下手だという汚名をそそぐべく、練習に励む。



いかがだっただろうか。いつにも増してよくわからん記事であるが、まあ、漢字っておもしろいよねっていう、ただそれだけのお話。


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