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地獄日記

ツイッターを見ていて疲れるなと思うのは、いつもどこかの知らない誰かで何かに怒っていて、彼らの言ってることはもっともだと思うことが多いけれど、ぜんぶ自分のこととして考えていたら気持ちが持たない。「正しいこと」……というかそれが本当に正しいかどうかは関係なくて、「わたしはこれが正しいと思います」と主張されること全般なんだけど……は一度認めてあげなければならない、みたいな風潮がマジで嫌(ヤ)で、「正しいことを言ってんのかもしれねえがお前の言い方がムカつくのできいてやんねえ~ヨ」と思うことがのほうが多い。なんでも言えるSNS時代の特徴だろうか、正しいこと言えば聞き入れてもらえると思ったら大間違いなんだよな。聞いてもらえる言葉ってのは、伝わるように放たれた言葉であって、それを考えてない独りよがりには寄り添えない。語られているのが生きづらさだろうが、権利だろうが、そもそも信頼できない。

みたいなことを思いながらぷりぷりしていたところで出会った、京極夏彦先生の中高生向けの講演録『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』。言葉とはどういうものか、言葉はいかに不完全なものか、でも言葉は楽しめるものだってことを、丁寧な言葉で語ってくれる。ときおり笑わせにもくる。言葉は、人に対して作用するものだ。一方で、めちゃくちゃ不完全なもので、言葉で意思の疎通なんてできると思わないほうがいい。だけども、この地獄みたいな世の中を渡るのに言葉はとても有益なものだ。そうだな、言葉ってこういうものだな、大事にしなきゃな、と頷きながら、アッというまに読んじゃった。

中高生のころにこの講演録みたいなかたちで言葉の面白さに気づけていれば、自分の言葉ももっと豊かになっていただろうか。なんてちょっと思ったけれど、僕は高校生のとき夏彦さんの京極堂シリーズと百鬼夜行シリーズに出会って読み漁って育まれたので、それはそれでめちゃよかったはずだ。あのころから約二十年、まさかいまになって京極堂シリーズの新刊に出会えるとは、夢にも思わなかった。もう出ないのだろう、と思っていた。ありがたいことです。刊行が楽しみです。


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