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柄のTシャツを五分かけて着る

丸谷才一と井上ひさしの対談のなかで、文学の読者は人間だけでなく、祝詞は神様が読者でもあり、長歌には祝詞的な性質があったという説があるから、短歌や俳句にも祝詞のような面がある。日本文学の始まりには神様に捧げること、いわば神様との社交だったのだ。といった話題が出てきた。ナルホドな、と思った。

自分の作品をまわりの親しいひとに楽しんでもらいたい、知らないひとに読んで自分のことを知ってもらいたい、自分自身が納得できる作品を作りたい。そこまでは当たり前のように考えるものだけど、たまにおちいる「なんのために創作してるんだっけ…?」みたいな迷いを抱いたとき、自分自身を含めてひとのために作っているのではなく、なにかひとを超えたもの、かみさまに捧げるのだ、くらいの曖昧かつ確かめようのない動機を設けていいように思う。芥川龍之介の短編小説「戯作三昧」のオチのところ、作品を生み出すという行為の本質のようなものを思い出すシーンも、これに似た感覚なんじゃなかろうか。

創作も生活も、急ぐもんじゃないよな。かみさまが見ていてくれたらいいな、くらいののんびりしたこころもちでいるのがよい。

急がない生活がいい 獺の柄のTシャツを五分かけて着る/あめのちあさひ

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