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ねずみごろしふろばのじごく

あ!あさひくんだ!待ちなよ、なんで逃げるの。ねえ、やましいこと、ないでしょ。帰るとか言わないの。きみに帰る場所なんてないんだから。ふふふ。ちょうどよかった、これからゴトが始まるの。ちょっと手伝ってよ。神経使う作業、得意でしょう。わたしはおおざっぱだからさ。細やかなことできるひとに頼みたいと思ってたんだ。あさひくんが適任だよ。終わったら遊んであげるから、ね、今日、わたし、白いフリフリの可愛いパンツはいてるんだよ、確認したいでしょう?  

「わかったよ、ペロ子ちゃん。僕はなにをすればいいんだい」  

ありがと、あさひくん。やさしいひと、大好きだよ。ま、あさひくんはやさしいだけのひとだけどね。くすくす。頼みたいことはね、いまからおよそ一時間後の、午前零時に指定の場所に来てね。マンションの場所と部屋番号はこのあと送るからね。その部屋に入って、部屋の電気はつけないで、懐中電灯を頼りに、朝までに目につくすべての血痕を拭き取ってくれたらいいの。  

「今日は誰を屠るの」  

知らなくていいのに。今日の獲物はねずみだよ。だからわたしは猫ちゃん、にゃん。じゃ、しかるべく。  

★  

 生活能力がないから、ひとりなったらすぐに生きていけなくなるだろうと思っていたが、生きている。親や、兄弟や、友達や、先輩や、僕よりもずっとうまく生きていけそうなひとは、みんな死んでしまったり苦労している。
 子供のころ、なにしもないで部屋に引きこもっていた自分を見かねた母親から、家事を手伝え、風呂の掃除でいいからやれと言われた。ひとりこもった浴室は存外に居心地がよくて、白く、明るく、いやなことはすべて流してしまえそうだ。ずっと擦り続けているのは、良い。なにも考えなくていいからだ。汚れを見つけ次第、落として、落として。ほんのすぐつぎのことだけを考えていればいい。そうして浴室の床のタイルを半日擦り続けていたそうだ。母親も呆れていたな。なにもできない子だと罵られた。なにも言い返せなかった。
 そのころから生活を現実のものとして捉えられていなかったのかもしれない。生きられない。擦り続けることはできるのに。人生が擦り続けることだけならばよかったのに。死んでしまった僕よりうまく生きていけそうだったひとの血も綺麗に拭き取ることができたのに。がたん、と、玄関の扉が開く音がして「なにをしている」と男の荒げた声に呼びかけられるまで、僕は風呂場の床にぶちまけられた血液を拭き続けていた。

これは、ねずみ年の2020年に、友人らとねずみにちなんだ小説を書き合おうという話をして書き始めたものの、転結がまったく思い浮かばず座礁した小説の出だしです。小説を書くというのは、非常に難しいものですね。やっぱ、プロットとか多少は考えて始めるべきだな。おもしろい文章を書けることへの憧れだけが、ずっとあり続ける。



あさひくん!やっと会えた!ごめんね〜。あさひくんだけ怒られちゃったね。反省してます。  

「知っていたよ。きみは人殺しなんかしていない。僕は鈍感だけど、人間とほかの動物の血の匂いの違いはわかるよ。きみは僕が  

あら。ぜんぶばれちゃった。その通り。わたしは猫ちゃんじゃなくてねずみさんだったのです。  

わたしは足を洗うから、きみはそろそろ手を洗おうね。  

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