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実父介護のきっかけ

コロナが蔓延しはじめた3年ほど前に、
父は散歩中に骨折した。
その手術をするために、持病の脳梗塞用の
血がサラサラになる薬を止めたことが原因で、過去最大の脳梗塞を起こした。

その日、母からの電話で私達3姉妹は病院に呼ばれた。
「忙しいかもしれないけど、すぐ来てほしいの。」

我々の母は、宮崎県出身で、とにかく明るく、おそろしく気が強く、素晴らしく逞しい。

子育ても家事もしない九州男児に嫁いだ事で、全て降りかかる家事量になんの疑問も抱かず、父の商売を週5で手伝い、家庭を回し、3姉妹を育て上げた。

ブルドーザーみたいな機動力で働いてきた人だ。

おそらく母の腕には
「ブラック企業上等!」と彫ってあるんじゃないかと思う。

つねに気合いが入ってて、とにかく勇ましくて、
誰にも頼らず、1人で恐ろしい量の仕事をこなす。

その母が、理由も言わずに今すぐ病院に来てほしいという。いくら考えても、何度考え直しても、最悪の事態を覚悟するしかなかった。

病院に駆けつけると、長年、我が家の台所を司ってきた母が、テーブルクロスを広げるようなかろやかさで、みんなで決めたいことがあるという。

父の担当医がおっしゃるには
・父があと数日の命であること
・延命治療をしたら、長生きできるかもしれないこと
・とはいえその延命治療は60代までにしかおすすめできない患者の体力が必要なものであること。
・そしてもし手術が成功しても、寝たきりに近い生き方しかできないこと

延命手術をするのかしないのか、決めなければならない。どちらに転んでも地獄でしかない選択肢をスラスラと語る医師と、呆然となる私達。

そして、その決断をすぐにしなければ、
意味がなくなると急かされる。

父はなんども、ふとした時に、年老いてだれかの世話になってまで長生きしたくないと言っていた。
「頼むぞ」
「延命なっとん(なんて)しちゃいかんぞ」
と繰り返し私達に言っていた。父の気持ちを尊重するなら答えはひとつしかないと、私達は全員わかっていた。

それであれば、病室にいる父ともう2度と会えないという選択をしなければいけない。

。。。

それは、無理だと思った。
1パーセントでもそこに可能性があるなら、父の生命力にかけたい。もう一度父の笑顔が見たいし、まだまだ家族で一緒にいたい。

我々の泣き崩れる顔をみて「手術してもらおう。大丈夫だよ。パパの生命力すごいじゃん。」という姉。姉としての責任感で励まそうとしてくれている。

絶対「大丈夫」なんてないのに。もし助かったとしても寝たきりで生きていくのだろうか。
母も、「良かった。わたしも手術にしたかった。」と言う。

切羽詰まった時ほど、人間は夢を見てしまうのかもしれない。情けないことに、私達は正しい決断をする強さも分別も、誰も待ち合わせてなかった。可能性が少しでもあるなら、父に生きていて欲しい。それしか考えられなかった。

私達は、医師に手術をお願いした。

〜続く〜

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